エド・ウッドの紹介:1994年アメリカ映画。史上最低の映画監督」と言われたエド・ウッド。彼のその数奇な運命に彩られた半生と映画への情熱を彼の作品とともに鬼才ティム・バートンが描いた。
監督 :ティム・バートン 出演:エド・ウッド(ジョニー・デップ)、ベラ・ルゴシ(マーティン・ランドー)、ドロレス・フーラー(サラ・ジェシカ・パーカー)、キャシー・オハラ(パトリシア・アークエット)、アメージング・クリズウェル(ジェフリー・ジョーンズ)、バニー・ブレッキンリッジ(ビル・マーレイ)、ヴァンパイラ(リサ・マリー)ほか
映画「エド・ウッド」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「エド・ウッド」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「エド・ウッド」解説
この解説記事には映画「エド・ウッド」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
エド・ウッドのネタバレあらすじ1
1950年代のハリウッド、そこには若き無名のエド・ウッド(ジョニー・デップ)がいました。彼は精力的に映画を撮り続けるもまだヒット作はありません。そんな時エドはかつての名優ベラ・ルゴシ(マーティン・ランドー)に出会います。かつてドラキュラ映画で一世を風靡した彼でしたが今ではすっかり落ちぶれて薬物に依存する生活を送っていました。ルゴシと昔話しているうちにすっかり仲良くなったエドは何とかして彼を自分の作品に出演させようと決意します。実績も実力も無いエドだでしたがどうにか小さな映画会社をだまくらかして製作費を出資させることに成功します。
エド・ウッドのネタバレあらすじ2
そうして完成した映画「グレンとグレンダ」はエド本人は満足でしたが他の人間から見たら意味不明でシュールな不可解な内容でした。あまりに出来が悪いので映画会社は激怒、上映も小さな地方映画館での上映のみになってしまいます。それでもめげずに映画製作を続けるエドは持ち前の口の上手さでレスラーのトー・ジョンソン(ジョージ・スティール)をスカウトして、「怪物の花嫁」の制作に取り掛かるがいかんせん予算が尽きてしまいます。そこで金をねん出するためにスポンサーの肉屋の息子(素人)を主演にしたり、(出資してくれる条件がこれだった)ヒロインは同じくスポンサーになった女優ロレッタ(ジュリエット・ランドー)に突然配役変更します。これにより元からヒロイン役として配役されてたエドの恋人ドロレスは激怒、大喧嘩になります。更にラストで使う大ダコのセットは何処かの撮影倉庫に保管されていたものを無断で借用する有様でした。
エド・ウッドのネタバレあらすじ3
そうして完成した「怪物の花嫁」だったがまたも大不評。ドロレスとも別れる事になります。そんな折以前から体調が良くなかったルゴシが入院します。見舞いに行ったエドはそこで看護婦をしてた女性キャシーと出会い仲良くなりますが病院の医者からルゴシは酷い薬物中毒でもう長くない事を告げられ更にこの病院も金がないので近々追い出されるという事も聞かされます。暫くして退院した(させられた)ルゴシを励ますために「次の映画で使う」というワンシーンをルゴシを使い撮影します。そしてそれから程なくしてルゴシは旅立ってしまいました・・・。かけがえのない友人を失い暫く落ち込んでいたエドでしたがある教会の牧師が「宗教映画を作りたい」と言っているのを聞き映画への情熱復活。何とかして製作費を出資させるために出演者・スタッフを全員に教会の洗礼を受けさせます。
エド・ウッドの結末
しかし企画されたのは宗教映画ではなくどう見てもSFの「プラン9・フロム・アウタースペース」。当然スポンサーである教会側からは横やりが入り、撮影は思うように進みません。ヤケになったエドは撮影所を飛び出し酒場で酒を煽っているとそこ現れたのはあのオーソン・ウェルズ。憧れの監督を目の前にしたエドはウェルズに色々と話しかけつい撮影の愚痴もこぼしてしまいますがウェルズから「夢のためなら戦え!」と励まされ撮影所に戻ります。そして自分のすべてを込めた映画をと情熱を燃やすのでした。先に旅立った親友ルゴシにも出番を設け(亡くなる直前に撮影した物を流用。後は代役)遂に映画は完成します。プレミアム上映の日、エドは「この映画を親友のルゴシに捧ぐ」と挨拶し連れ添ってくれた恋人のキャシーにプロポーズをするのでした。そして最後にエドを含めた登場人物たちの「その後」が簡潔に描かれて映画は幕となります。
「エド・ウッド」感想・レビュー
-
この映画「エド・ウッド」は、”史上最低の映画監督”と言われたエド・ウッドの若き日を、彼をこよなく愛するティム・バートン監督が映画化した、非常に美しい作品だ。
主演にはティム・バートン監督が「シザー・ハンズ」で組んで以来、もはや彼の盟友ともなったジョニー・デップが好演しているが、それにも増して素晴らしかったのは、ベラ・ルゴシ役のマーティン・ランドーで、アカデミー賞の他、ゴールデン・グローブ賞など数々の賞で、最優秀助演男優賞を受賞しているのも納得の演技だ。
とにかく、この映画は冒頭のクレジット・タイトル場面から、グイグイと惹きずり込まれてしまう。
とある野原の一軒家。”風雲急を告げる”ような音楽。棺の中から起き上がり、もっともらしい予言をする怪人物、墓場。
そして、クネクネと脚をくねらす大ダコ、ツーツーと宙を飛ぶ円盤——。ティム・バートン監督としては珍しいモノクロ画面に、子供じみたロマンティシズムが横溢している。
ペラペラと薄っぺらで、安っぽくて、滑稽で、なんだか涙ぐましく美しい。
特に私が痺れたのは、大ダコと円盤のモダンアート的な画面の部分だ。この「エド・ウッド」は、1950年代のハリウッド映画界の片隅のそのまた片隅のようなところに実在した監督エド・ウッドをめぐるお話だ。
エド・ウッド監督(ジョニー・デップ)は、1930年代にボリス・カーロフと並ぶ怪奇俳優として活躍した、晩年のベラ・ルゴシ(マーティン・ランドー)と出会い、何本かのSF・怪奇映画を撮り、不遇のまま死んだが、没後、”史上最低の映画監督”として、おかしなカルト的な人気を獲得するようになる。
作った映画もヘンテコなものだが、エド・ウッド自身も女装癖の衣装倒錯者で、やっぱり、ちょっとヘンテコな人だったようだ。
そのエド・ウッドを、「エドの同類」だと自認するティム・バートンが撮ったのだから面白い。1950年代のヘンテコ監督エド・ウッドとベラ・ルゴシ、そして現代のヘンテコ監督ティム・バートンとベラ・ルゴシを演じるマーティン・ランドー、この二組の関係がオーバーラップする。
ハリウッド映画界の、一筋のおかしな血の流れ。精神的な血縁関係。
それがこの映画に、「愛」と「時間」の厚味を与えているのだと思う。エド・ウッドを演じたジョニー・デップは、いつもの「暗い翳りを帯びたナイーブな人間」というのと全く違ったキャラクターを、非常にうまくこなしている。
何しろ、このエド・ウッドという男は、感動的なまでに思い込みが激しい、空回り野郎なのだ。
顔はいつも上方45度を見上げ、目はキラキラ、口もとはニカーッとマンガ的な芝居だが、決して”演りすぎ”の感じはしない。
特に、映画製作会社を口説く時の眉の動きが凄い!! うねる、うねる。しかし、何と言っても圧倒的に素晴らしいのは、ベラ・ルゴシ役のマーティン・ランドーだ。
一世を風靡したが、今は落ち目の怪奇スターという、”華やかさと哀れさ”の同居する人物を見事に演じ切っている。みすぼらしいスタジオの中で、スタッフの一人が、ライバルのボリス・カーロフの名前を口にした途端、「ファック・ユー!」と激怒するのだが、「アクション!」の合図がかかった途端、コローッと変わって、悲劇的な威厳に満ちた人物になりきる。
力強く”Beware!”と語り始め、”Pull the strings!”と語り終わる——。その一つ繋がりの場面に、役者の性とか凄みを目のあたりにして、思わず目頭が熱くなってきた。
それから、ブツブツ文句を言いながらも、突如、大ダコと迫真の”格闘”をしてしまうところなども、本当に凄い。そして、”Home”で始まる長ゼリフにも胸を打たれる。
「故郷—-。私には故郷なぞない。世間の人々に追われ、さげすまれて逃れて来た、この密林こそ私の故郷。今こそ世間に重い知らせてやる。私の産み出した原始人間たちが世界を征服するのだ—-。」とにかく、ベラ・ルゴシを初めとするエドウッド映画の常連出演者たちというのが、全く”可愛いフリークスたち”と呼びたいような顔ぶれなのだ。
実在した人物で、「アマデウス」で私がそのツルツルの異様な顔面に狂喜したジェフリー・ジョーンズが演じている、いんちき預言者のクリズウェル、プロレスラーあがりで目の悪い大男トー・ジョンソン、とんでもなく、くびれたウエストを持つ女ヴァンバイア、そしてビル・マーレイが控え目な演技で、不思議な暖かさを漂わせて絶妙に演じた、ホモ・セクシュアルの友人バニー。
こういう”浮世離れ”した人物たちに、ティム・バートン監督の”共感と思慕”が捧げられているのであって、殊更に奇抜なことのようには描いておらず、非常に微笑ましくも好感が持てるのだ。
映画への愛に溢れた作品。近年のものにはあまり興味を惹かれないけど、この頃や少し前の時代のティム•バートン作品が好きだ。エドウッドの撮るのはヘタだけどとにかく映画が大好きでたまらない感が愛おしくもあり励まされる。女装したり変人なところも面白い。