パコ・デ・ルシア 灼熱のギタリストの紹介:2014年スペイン映画。スペインが生んだギタリスト、パコ・デ・ルシア。その音楽がどのように育まれ浸透していったのか、彼の足跡と共に辿る。
監督:クーロ・サンチェス 出演:パコ・デ・ルシア、チック・コリア、カルロス・サンタナ、ジョン・マクラフリン、ルーベン・ブラデス、サビーカス、エストレージャ・モレンテ、ほか
映画「パコ・デ・ルシア 灼熱のギタリスト」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「パコ・デ・ルシア 灼熱のギタリスト」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
パコ・デ・ルシア 灼熱のギタリストの予告編 動画
映画「パコ・デ・ルシア 灼熱のギタリスト」解説
この解説記事には映画「パコ・デ・ルシア 灼熱のギタリスト」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
パコ・デ・ルシア 灼熱のギタリストのネタバレあらすじ:起・見出されるまで
スペインが生んだ世界的なギタリスト、パコ・デ・ルシア。彼が子どもの頃に抱いていた夢は、舞踏団にに入り舞台に立つことだった。踊り子が着替える間にソロを弾いた事があったが、それが人生そのものになるとは、当時は思いもしなかった。
フラメンコの演奏家は、アンダルシアの中でも下層階級で、パコの父は昼は市場で働き、夜はキャバレーでギターを弾き、ギャラは観客の盛り上がり次第だった。子供のころから父親に演奏をねだり、ギターを持つ前からリズムを学んだ。兄のペペに教えている横で自身も学び、七歳の頃から弾き始め、仕事を得るために兄と共に子ども番組にでた。
そして、フラメンコ好きな夫婦に兄が気に入られ、ツアーに誘われた。彼らは、アメリカで人気のあったフラメンコダンサー、ホセ・グレコをパーティーに呼んだ。兄弟でアメリカツアーに誘われるも、幼いパコはビザが取れず、兄が先に発ち、パコがビザを取ると、兄を追ってアメリカに渡った。
パコ・デ・ルシア 灼熱のギタリストのネタバレあらすじ:承・努力に裏打ちされた才能
パコは自分のレベルを落としたくないと、コンサートの前日でも練習をする。才能だけでなく努力を続けることを信じていた。
アメリカに渡り、第三ギターとして弾いていたが、ある日、第一ギターが急病でソロをパコが弾くことになった。緊張の中、弾き終えると待っていたのは観客の指笛、スペインでは引っ込めという意味のそれは、アメリカでは大喝采と同義だった。
その後、パコは本格的にニーニョ・リカルドに師事した。NYフラメンコの中心地で、うまいギタリストがいるとパコは噂になっていた。そして、師に自分の音楽を奏でるべきだと助言されると、作曲を始め、フィリップスと契約をした。
フラメンコ用のギターはコンサート用に改造した。その妥協の無さと同じくらい奔放さもあるが、彼が常に大切にしてるのはテンポだった。
パコ・デ・ルシア 灼熱のギタリストのネタバレあらすじ:転・伝統を越えて
そして、歌手カマロンと出会い、うまいだけではない歌にショックを受け、一緒にレコードを作った。この出来事が始まりで、パコの人生を大きく変えていくことになる。
フラメンコ関係者の間で、高い評価を受けたが、聴衆が限られているせいで、他の音楽に比べて有名にはならなかった。それでも、テレビ出演などを打診され、ラジオ局やテレビ局へ出向いた。その度にパコは、フラメンコの常識を覆した、伝統を変えた等の紹介をされた。即興での演奏はフラメンコ界では初めてで、パコは二ヶ月あまりで有名になり、フラメンコ演奏家への罪悪感もなくなった。
やがて、クラシックの劇場で演奏するようになったパコは、伝統的なフラメンコを弾く一方で、他の音楽も取り入れていた。表現の形は変わり、アンダルシアのコードを基礎にしながら、ハーモニーの可能性を広げようとしたパコの試みは、伝統主義者からは糾弾された。それでも彼は成長したいと願っていた。彼を評価する人もいたが、保守的なフラメンコ演奏者からは非難を浴び、活動休止した。
パコ・デ・ルシア 灼熱のギタリストの結末:パコの復活
スペインの独裁政治が終わり、海外で弾いていたパコの音楽が入ってくるようになるなどして、再評価された。
パコは、ジャズからソロの時の即興の弾き方を学び、自分の旋律を探求しつづけた。常に自分のその時の最善を尽くし、高みをめざした。
1977年、パコはドローレスと出会いセクステットを結成した。セクステットは、パーカッションをカホンにするなど、試みを続けた。冒険は好きだがフラメンコ界から排除される不安もあった。いつかその苦労は報われると信じて活動を続けたが、パコは燃え尽き、18年で解散した。80年代に入ると、伝統主義者の世界もパコを認めるようになった。
パコは、一人で暮らし、演奏機材も自分で調整して音楽を続けた。自身が感じた事は、自分の一部として受け入れるが、人に対しては隠していた。
スペインの新しい歌手たちと、スペイン歌謡の再興をしようとしていた。彼の一番の誇りは、音楽を通して旅路の足跡を残した事。彼の死さえ即興のようで、メキシコで66歳でその人生に幕を下ろした。
以上、映画「パコ・デ・ルシア 灼熱のギタリスト」のあらすじと結末でした。
パコ・デ・ルシア 灼熱のギタリストのレビュー・考察:リズムと共に
パコ・デ・ルシアと聞くとフラメンコの印象が強いからかそちらばかりに目が行ってしまうが、むしろフラメンコ音楽側からすると異端児という扱いを受けていたことに驚いた。パコの刻むリズムはフラメンコ独特で複雑なリズムが染み込んでいて、フラメンコからどのジャンルに寄せて弾いてもブレることが無い。また、ジャズ的な即興は得意だと思っていたので、その点も意外だった。どこにでも、ゆるぎないリズムが身体の中にあったからこそ、どんなジャンルへ行っても、自分の音楽と言う物を持ち続けられたのだと思う。
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