バンド・ワゴンの紹介:1953年アメリカ映画。1931年にブロードウェイで初演を迎え、260回上演されたミュージカル『The Band Wagon』を映画化したミュージカル作品です。1950年代のアメリカのショービジネス界を舞台に、今や落ちぶれたかつての人気ダンサーが苦難の末にミュージカルを成功させるまでを描きます。
監督:ヴィンセント・ミネリ 出演者:フレッド・アステア(トニー・ハンター)、シド・チャリシー(ガブリエル・“ギャビー”・ジェラード)、ジャック・ブキャナン(ジェフリー・コードヴァ)、オスカー・レヴァント(レスター・マートン)、ナネット・ファブレイ(リリー・マートン)、ジェームズ・ミッチェル(ポール・バード)、ロバート・ギスト(ハル)、エヴァ・ガードナー(本人)、スティーヴ・フォレスト(列車の乗客)、ジュリー・ニューマー(モデル役のキャスト)ほか
映画「バンド・ワゴン」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「バンド・ワゴン」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
バンド・ワゴンの予告編 動画
映画「バンド・ワゴン」解説
この解説記事には映画「バンド・ワゴン」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
バンド・ワゴンのネタバレあらすじ:起
1950年代のアメリカ。トップハットに燕尾服というスタイルで一世を風靡したかつてのミュージカル界のスターで名ダンサーのトニー・ハンター(フレッド・アステア)は、今や時代の流れに取り残されてすっかり落ちぶれ、ロサンゼルスで半分引退したかのような暮らしを送っていました。
ある日、トニーはお忍びで列車に乗ってニューヨークに向かいました。到着した駅には新聞記者たちが待ち構えていましたが、彼らのお目当てはトニーと一緒の列車に乗っていたエヴァ・ガードナー(本人)でした。
トニーを出迎えてくれたのは、ブロードウェイ時代からの親友で舞台作家兼ソングライターのレスター・マートン(オスカー・レヴァント)とその妻リリー(ナネット・ファブレイ)でした。レスターは出来上がったばかりの脚本をトニー主演で舞台化しようと考えており、あまり気乗りしないトニーに舞台の演出を手掛けるジェフリー・コードヴァ(ジャック・ブキャナン)に会うことを勧めました。トニーはすっかり様変りした街の様子を気にしながらもブロードウェイを歩き、ジェフリーが演出と主演を兼任する古典劇「オイディプス王」を見守りました。
終演後、トニーはレスター夫妻と共にジェフリーに対面しました。ジェフリーはレスター夫妻の脚本を「それはまさに現代の“ファウスト”だ」と絶賛、悪役としての出演を快諾するとともにコメディタッチの脚本を深刻な心理劇に書きなおすよう夫妻に指示しました。
トニーはコメディでないなら自分はお呼びでないと断ろうとしますが、ジェフリーは「古い栄光にしがみつくな。この舞台で新しいトニー・ハンター像を打ち立てるんだ。ビル・シェイクスピアの台詞のリズムも、ビル・ロビンソンのタップのリズムも、同じように人を楽しませる。それがエンターテイメントだ」とトニーを口説き倒しました。
バンド・ワゴンのネタバレあらすじ:承
ジェフリーは早速、主演女優にバレエダンサーのガブリエル・“ギャビー”・ジェラード(シド・チャリシー)を抜擢、ガブリエルの恋人で新進の振付師ポール・バード(ジェームズ・ミッチェル)に舞台の振付を依頼、出資者の確保に乗り出しました。
トニーはレスター夫妻と共にガブリエルのバレエを見、その素晴らしさを認めるとともに、ジェフリーのマネージャーのハル(ロバート・ギスト)の手引きでガブリエルに会うことにしました。しかし、トニーは一見自分より背が高く見えるガブリエルとの共演に気後れし、ガブリエルもまたかつてのスターであるトニーに嫌われているのではないかと思い込み、互いに会うことをためらいました。
それでもトニーはガブリエルの身長が実際に自分よりも低いことを確認しましたが、二人は些細なことから口論となってしまい、ショーのリハーサルが始まってもトニーとガブリエルは反目し合ったままでした。
遂に我慢の限界に達したトニーはジェフリーの演技指導にも不満を漏らし、舞台を降板すると言い出しました。ガブリエルはジェフリーやポールに促されてトニーの元に謝罪に向かい、トニーは苛立つものの、ガブリエルは自分が三流ダンサーだと思われていると思って精神的に参っていたと涙ながらに打ち明けました。
トニーも彼女と話し合わなかったのが悪いと自分の態度を反省し、ここでようやく打ち解け合ったトニーとガブリエルは「僕ら二人はバレエとミュージカル、二つの別な世界からやってきた。でも一緒にできると思うよ」と意気投合、夜のセントラルパークで踊り始め、二人なら一緒にやれることを確信し合いました。
バンド・ワゴンのネタバレあらすじ:転
舞台「バンド・ワゴン」はコネチカット州ニューヘイヴンで初日を迎えました。しかし、舞台の出来は散々なものであり、ジェフリーの前衛的な演出と脚本の変更に唖然とした観客たちが次々と席を立つ事態となりました。
出資者たちも次々と手を引き、舞台の続行は危ぶまれる事態に陥りました。それでもトニーはガブリエルやレスター夫妻と共に共演たちの“愚痴パーティー”に顔を出し、楽しいひと時を過ごしながらもこのままで終わらせてなるものかという決意が沸いてきました。
トニーはジェフリーに、脚本の内容を本来のコメディミュージカルに立ち返らせ、新曲を増やし、地方巡業を続ければ必ず上手く行くと提案しました。資金は自分の所有する絵画を売って確保するというトニーにジェフリーも賛同し、「舞台にボスは一人でいい。ボスは君(トニー)だ。そしてできれば僕も一人の役者として参加したい」と願い出ました。ポールはガブリエルを連れて舞台を降りることを決意しましたが、ガブリエルはショーを続けたいと一座に残る決意をし、ポールは一人ニューヨークに戻っていきました。
バンド・ワゴンの結末
原点に立ち返ったトニーらは次々と新曲を披露し、フィラデルフィア、ボストン、ワシントンD.C.、ボルチモアと地方巡業を続けていきました。そしてガブリエルへの想いを募らせていたトニーはレスターにその気持ちを伝え、レスターはガブリエルも同じ気持ちだとトニーに伝え、焦らずにブロードウェイ凱旋公演まで様子を見るように助言しました。一方のガブリエルもポールと別れ、ポールは別の女性と結婚しました。
いよいよトニーの一座はブロードウェイ初演を迎えようとしていました。劇場入りしたトニーはガブリエルと出くわし、なかなか彼女への気持ちに自身を持つことのできないトニーは「この舞台がヒットしたら、ロングランでずっと僕と一緒にいなくちゃならない。うんざりしないかい?」と問いかけましたが彼女は何も答えることはありませんでした。
トニーやガブリエルたちは見事なパフォーマンスで観客たちを魅了、初日は大成功のうちに幕を閉じました。それでもトニーの心は中々晴れず、また打ち上げパーティーも「古臭い習慣だ」とのハルの意向で開かれないことになりました。それでも気を取り直したトニーは一人だけでも成功を祝おうと楽屋を出たところ、ステージ上ではガブリエル、レスター夫妻、ジェフリー、共演者やスタッフたちが勢揃いしてトニーを待ち構えていました。
仲間たちに出迎えられたトニーは、ガブリエルから「あなたと一緒にずっとずっとロングランを続けてゆくわ」と愛を伝えられました。互いの愛を確かめ合うトニーとガブリエルを見て、レスター夫妻とジェフリーは「本当のショーは人をうっとりさせる、そして帰り道で気づくんだ、あれこそがエンターテイメントだって」と感じ、最後はトニーとガブリエル、レスターとリリー、ジェフリーの5人で「ザッツ・エンターテインメント」を歌って映画は幕を閉じます。
以上、映画「バンド・ワゴン」のあらすじと結末でした。
現在にまで至るミュージカル映画の基本的なスタイルを生み出したという意味で、その代名詞的存在なっているのが、1940年代から1950年代にかけての一連のアーサー・フリード製作による50本近くに及ぶ、いわゆるMGMミュージカルであり、それらを特徴づけていたのは、スタジオ内に建てられた、めくるめくような人工的セットで、華麗な歌と踊りの物語が繰り広げられるという、ショーとドラマが一体化した、”アンチ・リアリズム”の織り成す至福の境地であった。
かつての人気ダンサー、トニー・ハンターは、昔馴染みの夫婦に書いてもらった台本で、再起を図ろうとするが、相手役の人気バレリーナとは喧嘩ばかり。
おまけに、演出家はコメディのはずのこの舞台を、どうやら現代版ファウストに仕立て上げようとしているらしい。
そんな中、開幕の日は、刻一刻と迫ってくるが——-。
フレッド・アステア演じる落ち目のハリウッドのミュージカル・スター、トニー・ハンターが古巣のブロードウェイに戻り、そしてカムバックを賭けたミュージカル・コメディ「バンド・ワゴン」のリハーサルが、開始される—–という入れ子構造でストーリーが進行する。
典型的なバック・ステージ物の体裁をとったこの作品でもそれはやはり、あますところなく発揮されている。
この映画でなんといっても美しいのは、最初、衝突していたアステアと相手役のバレリーナ、シド・チャリシーが、はじめて互いに心を許し合って公園のベンチを前に、いつまでも緩やかにステップを踏み続ける、あのいささか唐突とも思えるシーンだ。
なぜ? が許されない何でもありのミュージカルの世界であってみれば、観る者はただ、アステアがすべてを肯定するように、軽やかにタップを踏むたびに訪れてしまうに違いない、この世ならぬ幸福に身を任せればいいんですね。
そしてまた、その幸福な記憶はあくまでハリウッド全盛時代のスタジオ・システムの産物であったミュージカル映画が、やがて衰退の運命を辿った後も、「女は女である」のゴダールは言うに及ばず、ジョン・ヒューストンの「アニー」やら、はたまた「ロッキー・ホラー・ショー」に至るまで幾多の映画作家の手によってスクリーンの中に蘇ることになるんですね。