ベイビー・オブ・マコンの紹介:1993年イギリス,ドイツ,フランス映画。バロック文化が栄えていた17世紀、フィレンツェと思われるイタリアのある都市で「ベイビー・オブ・マコン」と題された芝居が始まる。飢餓と不妊がはびこる町に、何年も生まれなかった五体満足の美しい男の赤ん坊が生まれ、奇跡の子と崇められるが、その子は大人たちの貪欲の犠牲になっていく。だが、この芝居(俳優)と現実(観客)の境はすぐさま揺らいでいく。ピーター・グリーナウェイならではの豪華絢爛な美術と美しい映像(撮影監督はグリーナウェイやアラン・レネの作品で知られるサッシャ・ヴィエルニー)にもかかわらず、血まみれで残虐な暴力とさらけ出された多数の裸体で物議をかもした作品。
監督:ピーター・グリーナウェイ 出演者:ジュリア・オーモンド(娘)、レイフ・ファインズ(司教の息子)、フィリップ・ストーン(司教)、ジョナサン・レイシー(コシモ)、ほか
映画「ベイビー・オブ・マコン」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「ベイビー・オブ・マコン」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「ベイビー・オブ・マコン」解説
この解説記事には映画「ベイビー・オブ・マコン」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
ベイビーオブマコンのネタバレあらすじ:プロローグ
「収穫はほとんどなし、家畜は孕まず…」という吃音の口上と共に、イタリアのとある都市の大劇場で「ベイビー・オブ・マコン」と題する芝居が幕を開けた。
少年貴族コシモ(後年のフィレンツェ大公とコシモ・デ・メディチ三世と考えられる)の一行が劇場に入って、役者たちのすぐ側の特別席に陣取る。
ベイビーオブマコンのネタバレあらすじ:第一幕
食料も水も乏しく、男女の営みも絶え、子供は生まれない、疫病と悲しみのみの田舎町マコンで一人の老婆が子供を産み落とそうとしていた。三人の助産師はどんな怪物が生まれるかことかと話す。
妊婦が苦しみの声を上げるたびに、助産師と観客は出産への秒読みをする。そして生まれてきたのは、意外にも五体満足な美しい本物の男の子だった。
コシモは感動のあまり芝居に参加してしまい、自分と同じコシモという名を与え、牛をプレゼントする。赤ん坊には三人の姉がいたが、その一人がこの子を自分の子にすると主張する。
赤ん坊は人々に希望を与え、人々は赤ん坊を奇跡の子としてあがめる。その娘は赤ん坊を使えば、富を得て階級を上昇させる野心をかなえられると考える。
(娘を演じる女優は、「金持ちになれる」なんて陳腐な台詞だと楽屋で文句を言う)
ベイビーオブマコンのネタバレあらすじ:第二幕
娘は、自分がこの子を生んだと言いだす。処女懐胎したというのだ。娘は赤ん坊に贅沢な服を着せ、赤ん坊は信者が願いを叶えられるように祝福を与える。そのために娘は信者に寄進をさせるが、寛大にも貧しい病人には寄進なしに祝福が与えられる。しかし少しでも財産があればむしり取る。
自分の4人の娘を祝福してほしいが寄進するものはないという男に対して、二人の娘を売春婦にさせて、残りの二人を祝福する(つまり一人を赤ん坊の父親のセックス奴隷にし、もう一人を修道院に入れる)。娘は輝かしい未来を思い描くが、しかし、赤ん坊が娘の将来について不吉な予言を宣べる。
教会は娘と対立するが、赤ん坊の祝福によるのか、町は富み栄え、再び子供ができるようになる。それでも最新科学に通じた司教の息子は、処女懐胎などという奇跡を信じない。娘は私が処女であるのを証明させてあげると言って誘惑するが、司教の息子はなかなか乗ってこない。
しかしその男が教会での栄達を願って娘への肉欲を隠す偽善者だとわかった娘は、地下室に隠した両親を見せて赤ん坊の秘密を明かす。でも司教の息子は醜い老婆が美しい赤ん坊の母親であるとは信じず、赤ん坊は娘が男と関係してもうけたと推定する。
家畜小屋で娘は「私を娼婦のように扱えば私が処女であることがわかる」と言って司教の息子もとうとう誘惑にひっかかるが、その時、赤ん坊が不思議な力を発揮する。コシモから贈られた牛の角に刺されて司教の息子が死に、娘の処女喪失はならなかった。
赤ん坊は娘に、牛を殺したらお前を守ることはできなくなると警告するが、赤ん坊の仕打ちに怒った娘は牛を殺してしまう。この事故により司教は、娘を奇跡の子供の母親にふさわしくないと宣告し、赤ん坊は教会が直接保護するようになる。
(牛と司教の息子役の俳優は本当に死んでいる)
ベイビーオブマコンのネタバレあらすじ:第三幕
赤ん坊を保護下に置いた教会は、赤ん坊の排せつ物や血をオークションにかけて儲ける。オークションにはコシモも参加するが、教会のもうけ主義に批判の声も上がる。
赤ん坊を自分の子であると偽っていた娘は密かにベッドに近づき、私といればよかったのにと、教会の犠牲になった赤ん坊の口を枕で押さえて窒息死させる。
(コシモは同情して涙を流すがお付きの女性たちにこれはただのお芝居ですとなぐさめられる。)
司教は娘の死刑を望むが、町の法律により処女は処刑されない。コシモが解決策を出し、芝居の観客でもある市民軍に娘を委ね、処女を奪わせることにする。司教に許可を受けた兵士が娘のベッドに上る。
(娘役の女優はもう演技する必要はないと言って、下半身を出した男を見ても最初は冗談だと思うが、「私は処女なのよ」と叫ぶ女優を、兵士たちが代わる代わるレイプしていく)
コシモは行為の済んだ兵士の人数を数える。一方で赤ん坊を取り上げた助産師は資格を奪われ、赤ん坊の生母と父も自殺する。最後の208人目の兵士が行為を終えた後、処刑するまでもなく娘は既に死んでいた(「良い女優だったのに」)。
人々は赤ん坊の尊い遺品を次々と自分のものにし、何もなくなると髪を切りとり、やがて赤ん坊の体を全てばらばらにして山分けにしてしまった。
ベイビーオブマコンのネタバレあらすじ:エピローグ
罪の報いとして、町に再び飢餓と不妊の災禍が訪れたことが告げられて芝居は終わる。
司教、助産師等を演じた役者たちが観客に挨拶し、拍手を受ける。ただし、娘と牛と司教の息子は死体で、赤ん坊は吊り下げられた生首だった。
コシモとその一行が拍手と共に劇場から退場する。最後にコシモを始め観客を演じた俳優たちもカメラに向かって挨拶をする。
以上、映画「ベイビー・オブ・マコン」のあらすじと結末でした。
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