ピアニストを撃ての紹介:1960年フランス映画。「大人は判ってくれない」に続くトリュフォーの第2作。自伝的な前作と違ってミステリの映画化で、トリュフォーらしいオフビートな犯罪映画に仕上げている。撮影はゴダール作品で有名なラウール・クタール。
監督:フランソワ・トリュフォー 出演:シャルル・アズナヴール(シャルリー)、ニコール・ベルジェ(テレーザ)、マリー・デュボア(レナ)、セルジュ・ダウリ(プリーヌ)、アルベール・レミ(シコ)、クロード・マンサール(モモ)、ダニエル・ブーランジェ(エルネスト)、ほか
映画「ピアニストを撃て」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「ピアニストを撃て」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
ピアニストを撃ての予告編 動画
映画「ピアニストを撃て」解説
この解説記事には映画「ピアニストを撃て」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
ピアニストを撃てのネタバレあらすじ:起
シャルリー(シャルル・アズナヴール)はパリの小さなダンスバーで演奏するピアニスト。ちょうど演奏をしようとしたところに兄であるシコ(アルベール・レミ)が訪ねてきます。
彼と会うのは4年ぶりでした。シコは犯罪に関わっていて、今も仕事仲間を裏切ったせいで彼らに追われています。助けを請われてもシャルリーは冷たくあしらいますが、追手たちが来ると見捨てても置けず、その逃走を助けます。
閉店後、シャルリーと給仕女のレナ(マリー・デュボア)が一緒に夜道を歩いていると、シコを取り逃がした追手の2人の男たちが彼らを尾行してきました。シャルリーたちはうまく男たちをまきます。
ピアニストを撃てのネタバレあらすじ:承
しかし男たちは店に戻って店主のプリーヌ(セルジュ・ダウリ)に金を掴ませ、シャルリーとレナの住所を聞き出しました。翌朝になって彼らは2人を拉致します。
モモ(クロード・マンサール)とエルネスト(ダニエル・ブーランジェ)と名乗った男たちは、シコを見つけ出すための協力を求めます。やがてレナが機転をきかせてスピード違反取締の警官の注意を引いたため、なんとか2人は彼らの車から脱出。
とりあえずレナのアパートへ行くと、その部屋には昔のシャルリーのポスターが貼ってありました。実はシャルリーは昔、エドゥアール・サローヤンの名前で知られた新進のコンサートピアニストでした。
ピアニストを撃てのネタバレあらすじ:転
エドゥアールは妻のテレーザ(ニコール・ベルジェ)と幸せに暮らしていたのですが、彼女が興行主ラルス・シュメールと関係を持っていたことを知ります。彼がコンサートで名声を得たのは、妻と興行主の肉体関係があってのことでした。
夫の苦悩を知ってテレーザは自殺。そのショックでエドゥアールはキャリアを捨て、シャルリーと名を変えました。その隠された事情をいつの間にかレナは調べていたのです。
この事をきっかけに2人は男女の仲となります。彼らは揃って退職するためにバーに行きますが、そこでレナに密かに惚れていた店主と口論となり、シャルリーは彼を刺殺します。
ピアニストを撃ての結末
シャルリーは警察を逃れるためにレナの運転する車で人里離れた実家へ行き、彼女をすぐに帰らせます。実家にはシコと一緒にリシャールも隠れていました。リシャールもシャルリーの兄で、やはり悪事に手を染めたのです。
翌朝、レナが車で実家へ戻ってきて、店主の刺殺が正当防衛として処理されたことを告げます。そこへモモとエルネストがやってきます。彼らはシャルリーの幼い弟フィードを人質として拉致していました。
やがて撃ち合いとなり、サローヤン兄弟は全員助かったものの、レナが撃たれて死んでしまいます。その後、シャルリーは虚しさを抱えながら、相変わらずダンスバーのピアニストを続けるのでした。
以上、映画「ピアニストを撃て」のあらすじと結末でした。
場末の酒場のピアノ弾き、シャルリを演じるシャルル・アズナヴールが絶妙だ。
絶望しながらも生きていく人生の味といったものが、映画を観終わった後、胸の奥にソッと残される、そんな感じの映画なのです。
随所にフランス映画的なエスプリが散りばめられていて、楽しませてくれます。
特に、シャルリの幼い弟を誘拐する、二人の悪漢の憎めない好人物ぶりが愉快です。
悪漢たちが滑稽であるだけに、シャルリの恋人が、彼らに殺されてしまうことの残酷さ、哀しさが胸に迫ってきます。
ラストの雪の中の一軒家をめぐる銃撃シーンは、殺し合いなのに、なぜか牧歌的でのんびりしたものがあります。
暴力は大嫌いだという、フランソワ・トリュフォー監督の面目躍如といったところで、犯罪映画の形を借りた”愛の映画”になっているのです。
二枚目でも、タフガイでもない主人公のシャルリが、この犯罪映画でもあり、恋愛映画でもある、この映画にピッタリで、特に彼のシャイな雰囲気の描写は、つっぱらない映画の楽しさを満喫させてくれます。
それは、いかにも”フランス的洒脱さ”と言ってもいいのですが、粋に昇華しないのは、そこに人生への”苦い絶望”が込められているからだと思うのです。