レディ・マエストロの紹介:2018年オランダ映画。女性指揮者の草分け的存在だったアントニア・ブリコの半生を描いた伝記ドラマです。20世紀前半、女性は指揮者になれないとされていた時代、夢をかなえるため懸命に生きたアントニアの姿を追います。
監督:マリア・ペーテルス 出演者:クリスタン・デ・ブラーン(アントニア・ブリコ/ウィリー・ウォルターズ)、ベンジャミン・ウェインライト(フランク・トムセン)、スコット・ターナー・スコフィールド(ロビン・ジョーンズ)、シェイマス・F・サージェント(マーク・ゴールドスミス)、アネット・マレァブ(ウィリーの母)、レイモント・ティリ(ウィリーの父)、ハイス・ショールテン・ヴァン・アシャット(ウィレム・メンゲルベルク)、リヒャルト・サメル(カール・ムック)、ショーン・トーマス(トムセン夫人)、ティム・アハーン(トムセン氏)、マイケル・ワトソン=グレイ(ミス・デニース)、ジェームズ・ソボル・ケリー(バーンズ)、ピーター・バシャム(コンサートマスター)ほか
映画「レディ・マエストロ」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「レディ・マエストロ」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「レディ・マエストロ」解説
この解説記事には映画「レディ・マエストロ」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
レディ・マエストロのネタバレあらすじ:起
1926年、アメリカ・ニューヨーク。オランダからの移民である女性ウィリー・ウォルターズはいつか指揮者としてオーケストラを指揮したいという夢を抱いていました。
ある時、とある劇場で働いていたウィリーはこの劇場で祖国オランダの大物指揮者ウィレム・メンゲルベルクが公演を開くことを知り、どうしても目の前で見ようと通路に椅子を置いて先頭に陣取りました。このウィリーの行為に劇場のスポンサーである御曹司フランク・トムセンが激怒、ウィリーはあえなく解雇されてしまいました。
その後、ウィリーは指揮者でピアニストのマーク・ゴールドスミスと出会い、彼のもとでピアノを学び始めました。そしてナイトクラブのピアノ奏者としての仕事を得たウィリーでしたが、ウィリーの母は彼女がナイトクラブで働くことを快く思っていませんでした。
ウィリーと母は口論となり、その際にウィリーは母の実の子ではないこと、養子になる前の本当の名は「アントニア・ブリコ」であることを知りました。
レディ・マエストロのネタバレあらすじ:承
ウィリーは何度か偶然にもフランクと再会し、いつしか二人は惹かれ合うようになっていきました。そしてウィリーは音楽学校の試験に合格し、改めてゴールドスミスのもとで練習を続けることになりました。
ウィリーは母から家を追い出され、ナイトクラブのベース奏者であるロビン・ジョーンズの家に居候することになりました。ところが、ウィリーはゴールドスミスからセクハラを受けそうになり、拒絶したために音楽学校を辞めざるを得なくなりました。ウィリーはこの時から出生名である「アントニア・ブリコ」として生きることを決意しました。
ウィリー改めアントニアは実の母が既に他界していたことを知りました。アントニアは自らのルーツを探るべく、既に交際をスタートさせていたフランクの反対を押し切って祖国オランダへと渡りました。
1927年、オランダ・アムステルダム。アントニアは今は亡き生母アグネスの妹で、今は姉の墓を守っている尼僧シスター・ルイジアナと対面しました。そこでアントニアは、自分が養父母であるウォルターズ夫妻に売られたのは一時的なものであったこと、ウォルターズ夫妻は我が子を返してほしいというアグネスの願いを無視して当時幼かった自分を誘拐同然でアメリカに連れて行ったこと、アグネスはアントニアの行方を必死に探しながらも叶わずに失意の内に亡くなったことを知りました。
レディ・マエストロのネタバレあらすじ:転
アムステルダムに滞在していたアントニアはメンゲルベルクとの再会を果たしました。アントニアはメンゲルベルクの紹介によりドイツの大物指揮者カール・ムックと出会い、ドイツ・ベルリンに渡って彼のもとで修行することになりました。そしてアントニアは血の滲む努力の末にベルリンの音楽アカデミーの指揮科に合格を果たしました。
アントニアのもとにアメリカからフランクが訪れてきました。フランクはアントニアとの結婚を心から望んでいましたが、今となっては指揮者になるという夢に邁進するアントニアはフランクとの別れを決断してしまいました。その後、アントニアはアメリカの“芸術を支援する女性”という謎の人物から資金援助の申し出を受け、引き続きベルリンで修行に励みました。
1929年。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団ではアントニアに先駆けて初の女性指揮者が誕生しました。しかし、彼女の初公演は大失敗に終わり、アントニアは改めて女性が指揮者になることの困難さを思い知らされました。さらに追い打ちをかけるように、アントニアは元恋人のフランクが別の女性と結婚したことを知り、強いショックを受けました。
それでもアントニアは師匠ムックの支えを受けて念願の指揮官デビューを果たし、初公演を成功させました。アントニアの快挙はアメリカでも報じられ、ニューヨークの養父もこのことを知りました。
そして1933年、フランクは欧州で成功を収めていたアントニアをニューヨークに招聘することにしました。こうして再びアメリカに舞い戻ってきたアントニアでしたが、アメリカでは何一つ実績を挙げていないアントニアに対する音楽関係者の態度は冷淡なものでした。そこでアントニアは状況を打破すべく、女性のみで構成された交響楽団を結成することを思いつきました。
レディ・マエストロの結末
アントニアの楽団には数多くの女性演奏家が応募してきました。その中にはロベルタと名乗るベース奏者の姿がありました。実はロベルタの正体はかつてアントニアが世話になったロビンであり、実はロボンは女性だったのです。ロビンは女性蔑視の社会で音楽で生きていくために男装して活動していたのです。
そしてアントニアがベルリンで修行していた時に援助していた“芸術を支援する女性”の正体はロビンであることも明らかになりました。ロビンは楽団には参加せず、引き続き“男性”としてアントニアを影で支えることにしました。
アントニアの活動に対して、かねてから彼女を快く思っていなかった元師匠のゴールドスミスやフランクの母は徹底的に妨害しようとしました。しかし、フランクはかつて自分がアントニアの努力を無にしようとしたことを深く後悔しており、陰ながらアントニアをサポートする決心をしました。
フランクは自ら演奏会場を手配し、人脈を駆使してフランクリン・ルーズベルト大統領の夫人エレノアの後ろ盾を得ることに成功しました。
そして迎えたアントニア率いるニューヨーク女性交響楽団の公演当日。会場には多くの観客が集まりました。フランクはかつてアントニアがしたように通路に椅子を置いて先頭に座り、ロビンや養父母も駆けつけました。そしてアントニアはタクトを振り始めました―――。
―――アントニアはその生涯を音楽一筋に捧げました。アントニア率いる女性のみの交響楽団は後に男性の団員も加えるようになり、世間の興味を失って結成からわずか4年で解散しました。その後、アントニアのもとに名門楽団から指揮のオファーがありましたが、アントニアは生涯を通じて一度も首席指揮者になることはありませんでした。
映画は最後に、2008年にグラモフォン誌が発表した世界の交響楽団トップ20の中に女性の首席指揮者がいる楽団がひとつもなかったこと、そして2017年にグラモフォン誌が発表した指揮者の世界トップ50に女性がひとりもいなかったことを説明して幕を閉じます。
以上、映画「レディ・マエストロ」のあらすじと結末でした。
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