モリコーネ 映画が恋した音楽家の紹介:2021年イタリア映画。『荒野の用心棒』『アンタッチャブル』など数多くの映画音楽を手掛けてきたイタリア出身の作曲家エンニオ・モリコーネ(1928-2020)の功績を称え、『ニュー・シネマ・パラダイス』などでモリコーネと組んだ巨匠ジュゼッペ・トルナトーレが監督を務めて完成させたドキュメンタリーです。晩年のモリコーネ自身や映画人・音楽家たちの証言を通じ、かつて芸術的地位が低かった映画音楽に挑み続けてきたモリコーネの半生を振り返っていきます。
監督:ジュゼッペ・トルナトーレ 出演者:エンニオ・モリコーネ、ロベルト・カッジャーノ、ゴッフレード・ペトラッシ、セルジオ・レオーネ、ハンス・ジマー、ベルナルド・ベルトルッチ、ジョン・ウィリアムズ、ブルース・スプリングスティーン、ウォン・カーウァイ、オリヴァー・ストーン、ジュゼッペ・トルナトーレ、クリント・イーストウッド、クエンティン・タランティーノほか
映画「モリコーネ 映画が恋した音楽家」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「モリコーネ 映画が恋した音楽家」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「モリコーネ 映画が恋した音楽家」解説
この解説記事には映画「モリコーネ 映画が恋した音楽家」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
モリコーネ 映画が恋した音楽家のネタバレあらすじ:起
イタリアに生まれ、これまで数多くの映画音楽を手がけてきた作曲家エンニオ・モリコーネ。彼を知る人々から「かなりの変人」といわれるモリコーネは型にはまることを嫌い、楽器すらない書斎で頭に思い描いたメロディーを五線譜を書く作曲スタイルを貫いてきました。
若かりし頃のモリコーネは医者になりたがっていましたが、トランペット奏者だった父親からトランペットを吹くよう命じられました。こうして音楽の道へと進むことになったモリコーネでしたが、最初のうちは生活のための音楽活動を苦痛に感じていました。そんなモリコーネの最初の転機となったのは、教師のロベルト・カッジャーノに才能を見出されたことでした。
モリコーネはカッジャーノから作曲を学ぶよう勧められ、作曲の授業を通じて後にモリコーネの師匠となる作曲家ゴッフレード・ペトラッシと出会いました。モリコーネは音楽院の授業で培った正統派の作曲技法に加え、楽器の本来の演奏方法とは異なる使い方、タイプライターやバスタブなどの音すらも駆使する前衛的な手法を融合し、独自のスタイルを構築していきました。
音楽院を卒業したモリコーネは生涯の伴侶となるマリア夫人と結婚しました。モリコーネはただひたすら曲を書き続け、編曲の仕事もこなしていくうちに、その斬新なスタイルが着実に注目を集めるようになっていきました。
モリコーネ 映画が恋した音楽家のネタバレあらすじ:承
メジャーレーベルのRCAレコードと契約したモリコーネは数々の著名なミュージシャン・アーティストとコラボレーションするようになっていきました。やがてモリコーネは映画音楽の世界に足を踏み入れることになりますが、当時の音楽シーンにおける映画音楽は芸術的地位が決して高いものではありませんでした。
モリコーネの恩師であるペトラッシも映画音楽を手がけてはいたのですが、映画音楽は本物の音楽とは認めていませんでした。ペトラッシの弟子たちも同様の考えであり、そのためにモリコーネは孤立してしまいました。
そんなモリコーネにとって心強い味方となってくれたのは、小学校時代からの同級生であり後に生涯の盟友となっていく映画監督セルジオ・レオーネでした。マカロニ・ウエスタン(イタリア製西部劇)の巨匠であるレオーネはモリコーネの作品を聴いて起用を決め、それ以来モリコーネは『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』『続・夕陽のガンマン』などのレオーネ作品の音楽を数多く手がけ、レオーネ作品の常連であるクリント・イーストウッドも「モルコーネの音楽は私を引き立てていた」と賛辞を送りました。
モリコーネは映画音楽のオファーを受けた時、監督に聴かせる前に一番最初にマリア夫人に聴いてもらっていました。マリア夫人が気に入らなければ監督に聴かせることなくお蔵入りにしていました。モリコーネは歌声やサウンドはもちろんノイズ、トーン、ムードなどありとあらゆる要素全てを巧みに織り交ぜ、様々な監督や映画製作者から認められたモリコーネは1969年だけでも21本の映画の音楽に携わるなど順風満帆の音楽生活を送っていました。
モリコーネ 映画が恋した音楽家のネタバレあらすじ:転
クエンティン・タランティーノやブルース・スプリングスティーンなそ様々な映画人・音楽人を魅了し続けてきたモリコーネ。しかし、順調に進んでいるかのように思えたモリコーネも次第にマンネリに陥っていき、いつしか作った音楽はどれも同じ曲だと言われるようになっていきました。
モリコーネはそのことを指摘されると、「印象は似ているが、不協和音で不安定な場面が続くからそう感じるのかもしれない」と反論していましたが、言い訳と感じ取ったであろう周囲はこの調子だと仕事がなくなると警鐘を鳴らしました。
モリコーネはこれまでのスタイルを変える必要に迫られました。そんなある時、モリコーネは映画『アロンサンファン/気高い兄弟』の劇中音楽を手がけた際にラストで踊りの曲が必要だと注文されて伴奏曲を書き下ろしました。しかし、撮影は終わったものの音楽がないと編集作業がはかどらないため、製作者側は複数の音楽家の異なる音を仮につけていました。
そのことを知ったモリコーネはこれでは自分の曲の意味がないと一度はこの映画から降りようとも考えましたが、最終的に劇中音楽は全て自分が作曲することを条件に留まることにしました。モリコーネは他の人の音楽の真似をすることや自分で考えることができないことを非常に嫌がっていました。
様々な映画音楽家たちはモリコーネがいなかったら今の映画音楽は全く違ったものになっていたであろうと考えていました。モリコーネはこれまでオーケストラやB級映画音楽のイメージが強かった映画音楽に変革を与え、交響曲からポップスまで幅広いジャンルを融合し、ジャンルの垣根を取り払うことで人々にサウンドトラックの重要性を提示したのです。
モリコーネ 映画が恋した音楽家の結末
音楽の業界ではモリコーネの名は広く知られていましたが、一般層にはまだ興味すら持たれていませんでした。そんな流れを変えたのはタランティーノにも多大な影響を与えたレオーネの映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』の音楽でした。
モリコーネは幾度もアカデミー賞にノミネートされ、何度も受賞を確実視されながらもこれまで一度も受賞したことはありませんでした。モリコーネは映画音楽から距離を置き、室内楽にシフトしようとしましたが、それでもなおモリコーネの音楽を求める映画人は後を立ちませんでした。
モリコーネは本作の監督でもあるジュゼッペ・トルナトーレから『ニュー・シネマ・パラダイス』のオファーを受け、一度は断りましたが最終的に思い直してオファーを受諾することにしました。、
そして2006年。モリコーネはこれまでの功績を称えられ、アカデミー賞名誉賞を受賞しました。ようやくモリコーネが世界の巨匠として認められた瞬間でした。そしてモリコーネはタランティーノの映画『ヘイトフル・エイト』でもアカデミー作曲賞を受賞、2020年に91歳の生涯を終えるまで生涯現役で作曲活動を続けました。
以上、映画「モリコーネ 映画が恋した音楽家」のあらすじと結末でした。
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