雨月物語の紹介:1953年日本映画。江戸時代後期の読本作者・上田秋成の怪異小説『雨月物語』中の2編に川口松太郎・依田義賢が共同で脚色を加えた作品。戦乱の中で翻弄される二組の夫婦と、現実に隣り合わせた幽玄な世界を描く。第13回ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞受賞。溝口健二監督の作品のうちでも最も世界的評価が高い。映画史上のベストテンにもたびたび入選している。
監督:溝口健二 出演:京マチ子(若狭)、水戸光子(阿浜)、田中絹代(宮木)、森雅之(源十郎)、ほか
映画「雨月物語」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「雨月物語」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「雨月物語」解説
この解説記事には映画「雨月物語」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
雨月物語のネタバレあらすじ:起
時は戦国時代、ある年の早春、近江国琵琶湖の北岸の村に妻子と暮らす農民の源十郎は、農業と焼物作りで生計を立てていました。源十郎と妻の宮木が陶器を荷車に積んでいます。羽柴秀吉が長浜の町を支配して治安が安定し賑わっているとの噂を聞きつけ、平和なうちに焼いた陶器を売り切ろうという目算でした。義弟の藤兵衛は下剋上の世の中で血が騒ぎ、農民からのし上がる気持ちで源十郎と一緒に長浜へゆきます。陶器はよく売れ、思った以上の収入に源十郎はホクホク顔に。一方、藤兵衛は町をゆく秀吉の家来たちに口を利いてくれと懇願しますが、戦いの道具も用意していないため、鼻であしらわれるだけでした。
雨月物語のネタバレあらすじ:承
源十郎は今の情勢のうちに売れるだけのものを売って儲けようと焼き物に取り組みますが、妻の宮木は金儲けに懸命になる夫に不安なものを感じ、わずかなすれ違いが生まれます。窯いっぱいの陶器を焼き始めたものの、柴田勝家の軍勢が村へと攻め入り、源十郎・藤兵衛一家はそれぞれ離散。軍が去ってからようやく村へと戻ります。てっきりダメになったと思っていた陶器はうまく焼けており、源十郎は大喜びでした。源十郎一家と藤兵衛一家は湖畔から船で大溝へ向かいますが、海賊に襲われた船を見たせいで不安になり、宮木と子供だけは村へ帰らせることにします。大溝へ着いて、源十郎、藤兵衛、藤兵衛の妻阿浜はさっそく陶器を広げますが、思った通り飛ぶように売れます。
雨月物語のネタバレあらすじ:転
藤兵衛はまだ侍の夢を諦めておらず、手にした金で武具を買うと、阿浜にも構わず去ってしまいます。阿浜は夫を探しますが、やがて数人の侍たちに捕まり強姦されてしまいます。一方、老女と共に美しい女性が源兵衛の店の前に立ち、色々と陶器を選んだ末、屋敷に届けてくれとの注文。源兵衛がその屋敷にゆくと、予想外の饗応を受けます。女性の名前は若狭。織田信長に滅ぼされた一族の生き残りであるという彼女から施しを受けるうちに、源十郎はその妖しい美しさに魅入られていき、屋敷に居着いてしまいます。しかし、若狭に贈る着物を買おうと立ち寄った店で、屋敷の名を聞いて怯える店主の姿に違和感を覚えます。さらに帰り道で見知らぬ神官から「死相が浮かんでいる。家族の元へ帰りなさい」と注意を受ける。恐怖を感じ始めた源十郎は神官に頼んで死霊が触れられぬ呪文を体に書いてもらい、屋敷へと戻ります。家族の元へ帰りたいと訴える源十郎を強引にも引き止めようとする若狭でしたが、呪文によって阻まれ、源十郎は意識を失います。翌朝、茫茫に荒れ果てた野原の中で源十郎は目を覚ましました。
雨月物語の結末
藤兵衛の方は敵将の首を拾い手柄を立てますが、帰還中に立ち寄った宿で遊女に身を落とした阿浜と再会。情けなくも涙ながらに妻へ許しを乞うのでした。
源十郎は一文無しに成り果て失意のまま村へ戻ります。荒らされた家の中に妻子の姿を見つけます。しかし家の中を眺めるうちに、やがて源十郎はその光景が幻であり、妻の宮木が既にこの世に居ないことを悟ります。月日が経ち、村には少しづつ人影が戻り始めました。かつてのように農作業に取り組む藤兵衛・阿浜夫妻と、焼物を作る源十郎の姿で物語は幕を閉じます。
「雨月物語」感想・レビュー
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黒澤明監督の「羅生門」から3年後、「羅生門」の主役森雅之と京マチ子が登場する、これまた世界的に評価の高い名作が誕生した。
ハッキリ言って、私は「羅生門」よりこちらの「雨月物語」の方が好きである。
言い遅れたが、監督は溝口健二で、黒澤明も小津安二郎も取り上げ,溝口健二を取り上げないわけにはいかないだろうと思った。
物語も、作品のテーマも「羅生門」に比較して分かりやすく、何よりも私にとっては情緒に訴える部分が大きいのが、「羅生門」より好きな理由である。
勿論当時世界的に評価された日本映画はこれだけではない。同年、カンヌ国際映画祭では、衣笠貞之助の「地獄門」が今で言うパルムドールを受賞しているし、翌年には「七人の侍」がベネチア国際映画祭でやはり銀獅子賞を受賞している。
日本映画に最も勢いのあった時代かもしれない。さて、「雨月物語」の内容だが、戦乱の時代に、琵琶湖のほとりの村で陶器を焼いて生活している源十郎と、その幼な子、そして妻、隣で暮らす妹とその夫、つまり義理の弟の話である。
源十郎の妻は、夫婦で必要なだけの金があれば、あとは楽しく、仲良く暮らせればそれが幸せだという考えなのだが、源十郎は少しでも金を儲けようと必死である。最もそれは、妻に綺麗な着物を買ってやったりしたいためでもあるのだが。
義弟はなんとかサムライになって手柄をたて、偉くなりたいと、そのことばかり考えている。
源十郎の焼き物は町ではよく売れる。
ある時はそれが飛ぶように売れ、喜んでいると、その見事な腕前に惚れ込んだお姫様の屋敷に招かれ、接待を受けるのだが、その姫とは織田信長に滅ぼされた名家の生き残りだというのだが・・・一方義弟の方は、義理の兄の手伝いで儲けた金で、鎧や刀、槍を買い、ついには手柄まで立てて家来を従え・・・
この先は是非映画を観ていただきたい。
京マチ子演じる姫の元で過ごす暫しの日々は、まさに幽玄の美というにふさわしい。人間の欲は、大きくなればなるほど、人に何をもたらすか・・・溝口健二のメッセージを是非ご自身で受け取っていただきたい。
現代の映画にはない、質素でストレートだが、見事に芸術として昇華されたメッセージがここにはある。
戦後、高度成長に向かおうとしていた日本にも、こんな考えがあったかと,私などはその良心に敬服してしまった。
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宮木の言葉遣いが百姓の嫁らしくないのはなぜだろうか。
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雨月物語はもっと怖い話だと思っていて、いつ妖怪に変身するのかハラハラして見ていたが、京マチ子さんは最後までずっと綺麗だった。
全体的には少し長く感じられ、ラストの田中絹代さんの語りの部分は蛇足だと思ったけど、作品としては美しく面白かった。
出世を望んだ弟と、遊女になって再会した妻がまた一からやり直す場面に感銘を受けた。
世界のクロサワとよく言われるが、本当は世界では小津安二郎監督と本作の監督溝口健二監督も同じくらいかそれ以上に評価が高いのを当の日本人だけが知らないように感じる。妖艶な京マチ子演じる幽霊に導かれるかのように日本特有の幽玄で妖しい世界に引き込まれてしまう。まるで彼女に魅入ってしまった源十郎のように。