間違えられた男の紹介:1956年アメリカ映画。ニューヨークで実際に起きた冤罪事件を題材に、無実の人間とその家族が追い込まれていく恐怖をサスペンス映画の巨匠ヒッチコックが描き出す。
監督:アルフレッド・ヒッチコック 出演:ヘンリー・フォンダ、ヴェラ・マイルズ、アンソニー・クエイル、ハロルド・J・ストーン、ほか
映画「間違えられた男」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「間違えられた男」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「間違えられた男」解説
この解説記事には映画「間違えられた男」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
間違えられた男のネタバレあらすじ:強盗犯
高級ナイトクラブの楽団でベースを弾くマニーは、借金返済に追われながらも妻ローズ、息子2人の家族4人で幸せに暮らしていた。ある日、マニーはローズの歯の治療費300ドルを工面するため、加入している保険を担保に融資を受けようと保険会社を訪れる。ところが窓口で対応にあたった女性社員がマニーの顔を見るなり、かつて2度も押し入った強盗が再びやってきた、と上司に報告して警察に通報、マニーはわけがわからないまま警察に連行されてしまう。
間違えられた男のネタバレあらすじ:無実の証明
取調べの場で強盗の容疑がかけられていることを知ったマニーはひたすら身の潔白を主張するが、目撃証言や借金があること、さらには犯人が残したメモと筆跡を比べた際に犯人と同じ綴り間違いをしたことから逮捕、拘留されてしまう。翌日、裁判所の冒頭手続きを経て刑務所へ送られるが、マニーの姉夫婦が保釈金7500ドルを肩代わりしたおかげでとりあえず家に帰ることができた。夫の無実を信じるローズは弁護士オコーナーに弁護を依頼、事件当日のアリバイを確認すると、強盗があった2日のうちの1日は郊外に旅行へ出かけていて、同じ宿の宿泊客3人とカードをしていたことを思い出す。その3人のうち2人の身元が判明したため、アリバイ証言の協力を得ようと訪れるが、2人とも既に死亡していた。無実を証明できる手立てを失ったことで絶望したローズは次第に精神に異常をきたし、ついには施設に入所する。
間違えられた男の結末:真犯人
裁判が始まり、不利な状況が続く中でマニーの精神状態も限界に達しようとしていた。そんなおり、食料品店に押し入った強盗が逮捕される。取調べによってその男が保険会社の強盗犯であることが判明、マニーがその男と酷似していたための冤罪であることが明らかとなった。自由の身となったマニーはローズの元を訪れて事件の解決を告げるが、心に受けた傷は深く、以前の明るい笑顔を見ることはできなかった。それでも一家は長い時間をかけて、かつての穏やかな生活をとりもどしていく。
「間違えられた男」感想・レビュー
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アルフレッド・ヒッチコック監督が、「実話に基づいた映画」を撮ったのは、この「間違えられた男」が、最初で最後だった。
そして彼が、自らカメオ出演しなかった作品も、この映画一本だけだ。もっとも、映画の冒頭、彼は逆光の中にたたずみ、「これは、私の映画の中では異色の作品です」と観る者に語りかける。
ところが、この「間違えられた男」は、ドキュメンタリーよりも寓話の匂いを強く漂わせている。
黒白の簡潔な構図や、時間の直線的な処理は、ドキュメンタリー的なのだが、観終えるとなぜか、脂の乗った物語を聞かされたような後味が残る。主人公は、ニューヨークのナイトクラブで働いている堅物のベース奏者マニー(ヘンリー・フォンダ)だ。
彼は、派手なクラブで黙々と演奏し、仕事が終わると毎朝、定刻に帰宅する。そんなマーニーがある日、強盗犯に間違われて逮捕される。
顔や様子がそっくりという証言が相次いだからだ。幼い頃から警察が大嫌いだったと言われるヒッチコック監督は、逮捕、取り調べ、留置、拘置といった、ありきたりの手順を、平板でいながら妙な執拗さを滲ませたタッチで撮っていく。
善良な羊を演じるヘンリー・フォンダの人相が、どこか邪悪で陰険な気配を放つのも、話の隈取りを濃くしていると思う。
さらに、随所で用いられるフェイドアウトの技法は、「——」で終わる文章のような効果をもたらす。
冒頭の宣言にもかかわらず、ヒッチコック監督は、快楽的な映画作家の本能をつい覗かせてしまったようだ。
この映画を見終えて改めて1950年代の米国の底知れぬ暗闇(暗部)を覗き見た思いがした。一般的には50年代の米国は豊かで華やかなアメリカンドリームの時代だと評される。しかしその反面、米ソ冷戦や赤狩りなどの潜在的な社会不安と人間不信の時代でもあった。見知らぬよそ者を異端視したり外国人を異常に恐れた時代でもある。仮に外国人やよそ者でなくても、ちょっとした誤解がもとで思わぬ悲劇に発展し兼ねない空気が支配していた。前述した赤狩りなどの密告や糾弾やリンチの恐怖に人々は怯えていたのだ。そんな、いわれのない罪によってマニーは囚われの身となる。昨日まで朴訥で善良であった一般市民が数人の女の曖昧な記憶が素で極悪人のレッテルが貼り付けられる。平凡でこれといった取柄はないが善良で信心深い一家の主でも、天(お上:権力)のさじ加減一つで奈落の底に落される恐怖。日本風に言えば「一寸先は闇」の世界である。「働けど我が暮らし楽にならず」と言う無産階級の救いようのない悲哀を、全編にわたってモノクロ画面の暗いトーンで容赦なく活写している。カラー先品ではなく敢えてモノクロで撮ったヒッチコックの演出が極めて秀逸である。モノクロ映像によってニューヨークの下町の風景もどことなく荒廃して見えるし、登場人物の恐怖に震える表情や悲痛な叫びもよりリアルに映し出される。こういったヒチコック一流の不快感を増幅してゆく手法(職人技)が誠に見事である。我が最愛の名優ヘンリー・フォンダはいつもながら等身大の凡夫を見事に演じて見せるし、ヴェラ・マイルズも巻き込まれ病んで堕ちてゆく良妻の痛々しさを好演している。さてこの映画は実話に基づいていると言うが、この手の冤罪事件は数多くて枚挙にいとまがない。いつでも何処でも誰の身にも起こり得る恐怖である。日本の人気テレビ番組の「世にも奇妙な物語」の理不尽で不条理な世界観にも共通する人類にとって普遍的なテーマではないだろうか。