バートン・フィンクの紹介:1991年アメリカ映画。ニューヨークの劇作家バートンフィンクに、B級格闘映画の脚本の執筆を依頼されます。その執筆のために用意されたホテルで、悪夢のような出来事が彼に襲いかかります。コーエン兄弟の傑作と呼ばれる作品で、カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞しました。
監督:ジョエル・コーエン 出演:ジョン・タートゥーロ(バートン・フィンク)、ジョン・グッドマン(チャーリー)、ジュディ・デイヴィス、マイケル・ラーナー、ジョン・マホーニー(メイヒュー)、トニー・シャルーブ、ジョン・ポリト、スティーヴ・ブシェミ、ミーガン・フェイ、ほか
映画「バートン・フィンク」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「バートン・フィンク」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
バートン・フィンクの予告編 動画
映画「バートン・フィンク」解説
この解説記事には映画「バートン・フィンク」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
バートン・フィンクのネタバレあらすじ:起
ニューヨークの劇作家バートン・フィンク(ジョン・タトゥーロ)は、ハリウッドの有名プロダクションから執筆依頼のオファーが入ります。迷ったものの、友人の薦めもあり依頼を受ける事にしたバートンがプロダクションの社長リプニックと対面します。
すると彼は、バートンの希望はお構いなしにB級レスリング映画の脚本を書くように依頼してきたのです。バートンは仕方なく会社が用意したホテルの一室で執筆を開始します。
用意された部屋は蒸し暑く、とても作業するに適した環境ではありませんでしたが、仕方なくバートンは執筆にかかろうとします。すると隣の部屋から大きな笑い声が聞こえました。
バートンはフロントを通じて苦情を言うと、隣の部屋の男がバートンの部屋にやってきました。男の名前はチャーリー(ジョン・グッドマン)、大きな風貌とは違い、気の良いチャーリーにバートンはすっかり打ち解けていきました。
バートン・フィンクのネタバレあらすじ:承
しかし、バートンの執筆作業は慣れないジャンルのせいか難航を極めます。元々の暑さに加え、飛び回る蚊の音、剥がれ落ちる壁紙、バートンの集中をことごとく乱してくれました。そしてバートンは何故か壁にかかっている浜辺の女の写真に釘付けになってしまいます。
あまりのはかどらなさにバートンが途方に暮れていると、偶然バートンの尊敬する小説家メイヒュー(ジョン・マホーニ)に出会います。後にメイヒューの屋敷にバートンが出向いた時に出会ったメイヒューの秘書オードリーに心奪われてしまいました。
一緒にピクニックに行った先で、メイヒューの酒癖の悪さとオードリーに対する暴言や暴力を目の当たりにしたバートンは、尊敬するメイヒューに失望してさまいますが、オードリーへの思いはさらに募っていきます。
相変わらず作業が進まないバートンに、さらに追い討ちがかかります。何かにつけてバートンをはげましてくれたチャーリーがニューヨークに帰るというのです。また会おうと約束して別れますが、バートンは落ち込んでしまい、どうしようもなくなったバートンはオードリーを呼び出してしまいます。
バートン・フィンクのネタバレあらすじ:転
オードリーと色々な話をして落ち着いたバートンでしたが、誘惑に負けて彼女と一夜を過ごしてしまいます。翌朝、バートンが目を覚ますと、バートンの横には無惨に殺されたオードリーの姿がありました。
驚き慌てるバートンでしたが、どうすることもできずチャーリーに連絡します。チャーリーはバートンを落ち着かせ死体をどこかに片付けると、全て忘れるよう諭しました。
翌日はリプニックの元に向かい、あらすじを披露する予定でしたが、もちろん何のアイデアもないバートンは途中で、アイデアを出すのは何かと具合が悪いとリプニックに出任せを並べ、その場を乗り切ります。
ホテルに戻るとチャーリーが荷仕度をしているところでした。チャーリーは最後までバートンを励まし、小包をバートンに託すと去っていきました。その後、聖書からヒントを得たバートンは、ついにストーリーを書き始めるのでした。
やがて警察がバートンのいるホテルにもやってきて、バートンにも事情聴取しました。そこでバートンはチャーリーが連続殺人犯カール・ムントだということを知ります。
バートン・フィンクの結末
警察が帰った後もバートンは執筆を続け、一気にストーリーを書き終えました。完成祝いに繰り出したダンスホールから戻ると、ホテルには警察がまたやってきていました。警察は今度はメイヒューが殺された事をバートンに伝え、バートンのベッドに付着していた血痕の事をしきりに聞いてきたのです。
警察はバートンとムントの共犯を疑っていました。警察はバートンに手錠をかけて拘束します。するとバートンは部屋が暑くなってきていることを感じ、チャーリーが戻ってきていると確信しました。
やがて何かがおかしいと警察が気づいた時には、辺り一面火の海です。炎の中から現れたチャーリーは警察を撃ち殺し、拘束されたバートンを助けると、再び炎の中に消えていきました。バートンはもらった小包と脚本を持ち燃え盛るホテルから脱出します。
バートンは出来上がった自信作「大男」をリプニックに持っていきました。しかしリプニックが思っていたものとはかけ離れていたことと、そんな物を自信ありげに見せてくるバートンに怒りが沸き上がり、バートンを激しく罵倒します。リプニックは怒り任せにバートンを飼い殺し、このまま街に留まらせると告げました。
その後、バートンが浜辺を歩いていると、あのホテルで釘付けにされた女性とそっくりな女性と遭遇します。女性はバートンに小包の中身を尋ねますが、バートンは分からないと答えました。バートンはあの時ホテルで見た写真そのままの風景をただ眺めています。
以上、映画「バートン・フィンク」のあらすじと結末でした。
この映画「バートン・フィンク」は、理想と現実のギャップに悩む芸術家の姿を通して、現代人の心に潜む孤独や不安や狂気を鮮烈に描き出した秀作だと思います。
ジョエル・コーエンとイーサン・コーエンの兄弟は、監督・脚本、製作を2人3脚で行なって、妥協のない独自の境地を築いた、アメリカ映画界のインディペンデント系の映画作家たちの中でも、最も充実した優れた作品を作り続けてきていると思う。
暗黒街を背景に単なるギャング映画の枠を越えた、陰影の深い人間ドラマとして世界中で高い評価を受けた「ミラーズ・クロッシング」の次の作品として製作・脚本をイーサン・コーエン、監督・脚本をジョエル・コーエンで撮ったのが、この「バートン・フィンク」。
カンヌ国際映画祭でパルム・ドール大賞、監督賞(ジョエル・コーエン監督)、主演男優賞(ジョン・タトゥーロ)の主要3部門を制覇し、コーエン兄弟の名声は揺るぎないものとなったのです。
1941年のニューヨーク。すなわち第二次世界大戦の開戦前夜の風雲急を告げる時代に、演劇の改革を夢見るひとりの若き戯曲家がいた。彼の名前はバートン・フィンク、ユダヤ人である。
彼は同時代に流布する前衛的で難解な演劇に対して反旗を翻し、日々労働に汗し悩み苦しむ大衆のための演劇が作られなければならないと主張するのです。
彼もまた、自己のルーツは小市民的世界にこそある、と考えていたからなのです。
時代背景を考慮すると、フィンクの作家的な姿勢は、決して偶発的なものではないと思う。
大恐慌の後、アメリカでは多数のプロレタリア作家が登場し、文学者たちも政治や社会に積極的な発言を行なっていたからだ。
フィンクはすでに演劇の世界では時代の寵児だったが、それだけでは食えないからと、彼のプロモーターは、映画のシナリオの執筆を勧めるのです。
自分のルーツがニューヨークの庶民の世界にあると考えるフィンクは、ニューヨークを離れるのは辛かったが、結局ハリウッドに招かれて映画のシナリオを書くことになります。
しかも、与えられた仕事は、彼の演劇理念とは無縁のB級映画のシナリオ。
それでも説得されて渋々ロサンゼルスのホテルにカンヅメになるのです。
そして、このホテルにフィンクが着いた時から、彼の悲喜劇的なドラマが幕を開けるのです。
この彼がチェック・インしたホテルは、ハリウッドのイメージからはほど遠い、うす暗く不気味な雰囲気が漂っていたのです。
その後、このホテルの一室で、フィンクは悪夢のような日々を過ごすことになるのです———-。
全く仕事が進まず、スランプに落ち込んだフィンクの精神状態を反映するかのように、彼のまわりでは、まるで現実とは思えない出来事が静かに進行していくのです。
フィンクは、絶えず演劇の理想に対してのみ心を奪われており、彼女もいないし、いつもいつも何かに急き立てられているみたいに神経症気味。憂鬱そうな顔は、この映画の全編を通してニコリと微笑むことすらありません。
このイライラ、ウツウツのキャラクターをジョン・タトゥーロが実に巧みに演じていて、見事の一言につきます。
この映画の見どころは、様々な人間関係を通じて、不安と失望と怒りではちきれそうになったフィンクの内面が、次第に神経症的に追いつめられていくところにあると思う。
深夜、張りつめた精神状態でタイプライターを叩いていると、隣室から得体の知れない呻き声や物音がするのです。
そして、異常な暑さと湿気のために次々と壁紙が剥がれ落ち、糊が溶けてダラダラーッと流れ落ちてくるのです。
毒々しい模様で彩られた長い廊下は、立っているだけで眩暈がしそうだし、エレベーター・ボーイも何となく薄気味が悪い。この息苦しさ、蒸し暑さなどの生理的な感覚を見事に描き出した映像と音響には感服します。
映画会社の社長は、フィンクと同じユダヤ人だが、一度クビにした重役を家畜か奴隷のようにこき使っている粗暴な男だし、その部下も芸術には全く理解がなく、フィンクと肌の合わない嫌味な奴なのです。
会社にはフィンクが、尊敬してやまない小説家のW・P・メイヒューもライターとして雇われていたが、彼は救いようのない飲んだくれ。
彼が酒に溺れているのは、精神に異常をきたした奥さんのことがつらいから、と言ってヨヨと泣き崩れるメイヒューの秘書兼恋人のオードリー・テイラーも何か変な女だ。
ロサンゼルスでのフィンクの唯ひとりの心の友は、ホテルの隣室の住人である保険外交員でチャーリー・メドゥスと名乗る太った大男(ジョン・グッドマン)だ。彼は非常に気だてのいい男だったが、彼は実は連続殺人犯だという情報がフィンクの耳に入り。
こうして、フィンクの受難はまだまだ続くのです。
ふとしたきっかけで、フィンクと一夜を共にしたオードリーは、翌朝、血まみれの惨殺死体となって発見されたのです。
フィンクを必死にかばうと見えたチャーリーも、やがて世にも恐ろしいその正体を現わして———-。
この映画「バートン・フィンク」で描かれているのは、理想と現実のギャップに悩む芸術家の姿だと言えますが、それ以上に小市民である現代の我々一人一人にも潜む、孤独や不安や狂気そのものなのだと思う。
一見、何の変哲もない日常に、悩みや災いのタネが少しずつ降り積もり、やがて主人公が現実とも幻想ともつかぬ悪魔の世界へ歩んでいくという映画はいくつもありますが、この作品はその中でも突出した優れた秀作だと思う。