ブレードランナーの紹介:1982年アメリカ映画。舞台は2019年。人類は宇宙へと進出し、開拓・移住が推し進められている近未来。未開の惑星で危険な作業に従事させるため、レプリカントと呼ばれるアンドロイドが作られ過酷な環境で奴隷のように酷使されていた。見かけは人間そっくりだが感情というものを持たないはずの人造人間レプリカント。だが、彼らの中から人間と同じように感情を持ち、独立しようと反乱を起こす個体が現れた。人間の中に紛れ込んだレプリカントを見つけ出し処分するための専門の捜査官「ブレードランナー」と、自由を求めて人類へ戦いを挑んだレプリカントとの戦いを描いたSF映画の金字塔『ブレードランナー』。
監督:リドリー・スコット 出演:ハリソン・フォード、ルトガー・ハウアー、ショーン・ヤングほか
映画「ブレードランナー」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「ブレードランナー」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
ブレードランナーの予告編 動画
映画「ブレードランナー」解説
この解説記事には映画「ブレードランナー」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
ブレードランナーのネタバレあらすじ1
2019年。環境汚染のため昼間でも厚い雲に覆われ、夜と変わらぬネオンが瞬き冷たい雨が降り続けるロサンゼルス。裕福な人々は新天地を求めて宇宙へ移住し、残されたのは下層階級の市民のみ。ロス全体がスラムと化していた。レプリカント専門の捜査官ブレードランナーのデッカード(ハリソン・フォード)は、開拓中の惑星から脱走してスペース・シャトルを奪い乗組員を皆殺しにして地球へ帰還した4体のレプリカントを捜索・処分するよう命令を受ける。脱走したレプリカントはネクサス6型という最新の機種で、人間と見分けることは熟練した捜査官でも困難だという。ネクサス6型を開発・製造したタイレル社のタイレル博士を訪ねたデッカードは、秘書のレイチェル(ショーン・ヤング)と出会い心惹かれるが、レイチェルもまたレプリカントだった。レプリカントは製造されて数年経つと感情が発生する。そのため予防策として4年の寿命しか与えられていなかった。
ブレードランナーのネタバレあらすじ2
脱走したレプリカントは男2体、女2体。そのうちのリーダー格のロイ・バティ(ルトガー・ハウアー)は自分たちの寿命を知るためにタイレルの研究所に侵入するが、その情報はタイレル博士しかわからず、博士は厳重な警備に守られたタイレル社の最上階にいるため近づけない。そのため女レプリカントのプリスを同社の技師セバスチャンに接近させる。デッカードはもう1体の女レプリカントのゾーラがバーのダンサーに化けていることをつきとめ、逃走するゾーラを追いかけ処刑する。その直後、もう1体の男のレプリカントのリオンに襲われ殺されそうになるが、レイチェルに助けられる。レイチェルは人間の記憶を移植され自分がレプリカントであることを知らされていなかったが、デッカードと出会ったことにより疑いを持つようになり、タイレル社から逃げ出して追われる身となっていた。デッカードはレイチェルを自分のアパートにかくまい愛し合う。
ブレードランナーのネタバレあらすじ3
バティはセバスチャンを脅してタイレル博士の部屋に案内させ自分たちの寿命を延ばすよう要求するが、不可能だと言われて博士を惨殺しセバスチャンも殺害する。知らせを受けてセバスチャンのアパートに到着したデッカードはプリスを発見し処刑するが、そこへバティが帰ってくる。激しい死闘をくり広げるデッカードとバティ。戦いのさなか、バティは自分の寿命が尽きようとしているのを悟った。デッカードは追い詰められ、足を滑らせて屋根の端から宙吊りになってしまう。降りしきる雨の中、指は骨折し目の前にはバティが迫っている。こらえきれずに手を放したその瞬間、バティはデッカードの手をつかみ、屋根の上に引っ張り上げた。そしてバティは坐りこみ、頭を垂れ、やがて目を閉じた。永遠に。
ブレードランナーの結末
事件が解決して自分のアパートに戻ったデッカードは、タイレル社の捜査員がレイチェルを捜しに来たが寿命が短いために見逃して帰って行ったことを知る。デッカードはレイチェルを連れてアパートを出る。
(劇場公開版ではこの後明るい陽射しの風景の中、車を走らせるデッカードとレイチェルのシーンがあり、デッカードの「タイレル社の連中は知らない。レイチェルが他のレプリカントのように寿命が短くないということを」というモノローグが入る)
以上、映画ブレードランナーのあらすじと結末でした。
ブレードランナー2(続編)について
⇒ブレードランナー2049のネタバレあらすじ
1982年の公開から30年以上がたったSF映画『ブレードランナー』の続編になる『ブレードランナー2』が2016年夏に撮影開始されることが明らかになりました。ブレードランナーの監督リドリー・スコットは続編の制作を2012年に認め、当時は引き続きリドリー・スコットがメガホンを取ると思われたが、ブレードランナー2作目は制作総指揮として関わることになったそうです。ハリソン・フォードの出演も決定しています。
ブレードランナーのレビュー・感想
SF映画の歴史に名を残す名作「ブレードランナー」。近未来SFの手法を確立した作品でもあります。ブレードランナーに影響されている後の作品は星の数ほど。何がすごいってコレ何年の作品なんですかっていうクオリティです。スター・ウォーズがSF超大作として認知されているのはわかりますが、ブレードランナーも間違いなくSFとしては最高傑作に並ぶと思います。 評価としては物語よりもむしろ、そのクオリティの高さに並ぶ演出の技術的部分、芸術点です。CGがあまり発達してない時代にここまで作れたのは職人の力なのか。ブレードランナーはストーリー的にもハードボイルドと名乗っているだけあって、ハリソンフォードのおっさん臭が既にこのときから漂っていますね。ちょっとお茶目感があって最高です。SF好きにはぜひ見てもらいたい一本です。世界観などは、本当に一級品だと思いますよ。
ブレードランナーはフィリップ・K・ディックの小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を原作としたストーリーで、日本のネオンをデザインした2016年のロサンゼルスの街並みを背景に、アンドロイドと賞金稼ぎ・デッカードの人間模様が描かれている。オリジナル版が1982年に公開され、バージョン違いのビデオも数多く、今でも熱狂的なファンがたくさんいる。単にアンドロイドと人間の戦いを描くのではなく、アンドロイドの悲しさ、命というものの果かなさ、重要さを切々と描いている。それこそが、今でも愛されている源だろう。
冒頭に、未来都市全体をカメラでとらえるのだが、諸星のように煌めく未来都市の人工的な電飾の光を背景に、心地よい低音が重厚に流れる素晴らしいオープニングだ。音楽はヴァンジェリスの作品だが、『ブレードランナー』におけるサウンドトラックの重要性は非常に高く、心臓の鼓動のように低く脈打つ低音に、霊感あふれるシンセサイザーが漂い、その上を光の粒のように音が煌めく素晴らしいスコアだ。映画の美しさを最大限に引き上げているのは、劇中をうめるあらゆるトラックであるといっても過言ではない。
そして美しい音楽に劣らず、映像世界が素晴らしい。けばけばしい電飾に埋め尽くされた、スラム街のように薄汚れた街。所狭しと詰め込まれた洋の西東のあらゆる文化の混淆に、飛び交う多種多様な言語。街の上空を浮遊するスクリーンに映し出される電光広告。あらゆる光の隙間を覆い尽くすように蔓延る、漆黒の闇、影。奴隷用に作られたレプリカントと呼ばれるヒューマノイドが人間に対して反乱を起こし、レプリカントの抹殺に当たるブレードランナー。有能なブレードランナー、デッカードによる反乱レプリカントの探索と処分が展開するなかで、レプリカントのひとりと恋に落ちてしまうデッカードの微妙な心の揺らぎと、人間と変わらない情緒を備えたレプリカントの悲哀を、抑制された演出と深い陰翳のなかに描きだす。まさしく未来都市を舞台にしたフィルム・ノワールと言える。光と影の劇的なコントラストが、たまらない感動を呼び起こす。
デッカード演じるハリソン・フォードは愁いに満ちたセクシーな魅力をにじませている。レプリカントのヘッド的存在を演じるルトガー・ハウアーはハリソン・フォードを超える魅力を放ち、氷のようなブルーの瞳とは対照的なヒューマンな悲しみを抱くレプリカントを野蛮に演じている。また、ショーン・ヤングもどの出演作よりも味わい深い冷たい美しさがまつわっており、自らがレプリカントである哀しみの涙を宿した静かな瞳が印象的だ。
見始めると時間の観念を完全に喪失し、その世界観に圧倒され、気づけば儚くも美しいラストシーンが突如として暗転し、深い余韻を陶然と感じながら、素晴らしいエンディングテーマに聞き入っていた。
「ブレードランナー」感想・レビュー
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この映画につきましては改訂版が溢れていますので、元祖版について書かせていただきます。東洋のテイストがふんだんに盛り込まれていますが、間違いなく西洋が舞台ですね。あらためて考え直すと本作は翌年が舞台となるのです!。でも、映画で描かれていたほどは近未来は凄惨な社会と化していないことは救いですよね。本作に登場するような人造人間の登場まではまだまだ時間がかかりそうですし。全体的に暗めの配色がこの時代を象徴していると言えるでしょうか。酸性雨が降り注ぐということは資源が枯渇して、それに伴う生産性の低下に直結し、人類全体の行動力が減退するという構図は、1970年代半ばから現実にアメリカで起こった事柄を基にしているかのようでリアルに感じました。私は公開当時のことはよく覚えているのですが、確かに景気の良い時代とは言い切れなく、これから迎えようとする世紀末に対して暗澹たる思いに包まれていました。その心象風景がまさに当てはまる映画でしたよ。H・フォードはこの後も大活躍して、今や大スターの座を手に入れましたが、私は一連の『SW』シリーズよりも本作の印象の方が記憶に残っているのです。先にも書きましたが、本作が様々な版により構成されていることは描ききれなかったことがたくさんあった、ということの証拠でもあるでしょうか。結末が違う物が用意されているという映画は確かに他にもありましたが、本作は自分の好みや考え方によって選択できる、という素晴らしい側面を持っている、とも言えるのです。私はベースとなった最初の一本しか鑑賞していませんが、これから機会に恵まれるなら、じっくりと一作ごとに違う味わいを確かめてみたいですね。
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もはやSF映画の古典と言ってよい映画ですが、四十年近く経った今見ても、圧巻です。日本の歌舞伎町をモデルにした、奇抜で、殺伐としたサイバーパンクな世界観が見事に構築され、引き込まれます。原作は『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』ですが、作中に登場する「レプリカント」や「ブレードランナー」という言葉は他のSF作品から拝借されたものですが、そういう用語の使い方も、この映画の面白い点だと思います。
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ブレードランナー 知りませんでした 面白そうです
ありがとうございます -
オープニングの工業地帯の夜景から引き込まれる。
宇宙開発と遺伝子工学がかなり進んだ世界だが、インターネットは登場せず。環境汚染が酷い。謎の日本語の看板や屋台。世界観は凄い。ハはリソン・フォード、若い! -
80年代の公開当時から今日にいたるまで何回鑑賞したことか。最近は動画配信で手軽に鑑賞できて良いですね。何度見ても新たな発見がある映画です。ブレードランナー2と言えるブレードランナー2049の布石にもなる重要な映画です。
本作で、私が特に印象に残ったシーンのひとつ。
レプリカントのプリスがデッカードと戦って死んだ。彼女は舌をとび出させて死んでいる。広告棟の光がまわって、光と影とが交錯している。そこへバティが来て、彼女の顔に顔を乗せる。彼が顔を離すと、プリスの舌はもう引っこんでいる。バティが舌を入れたのだとわかる。
ゲスな言いかたをすればベロチューです。上品に言えばディープキス。でも、こんなにも悲しいディープキスがあるでしょうか。これでバティの中に悲しみと怒りが充満するのが納得いくわけで、すばらしい演出だと思います。