コルトレーンを追いかけての紹介:2016年アメリカ映画。モダンジャズの歴史に燦然と輝く伝説的サックス奏者ジョン・コルトレーン。20世紀ジャズの巨人はどのようにして誕生したのか。彼が歩んだ偉大な軌跡を縁のある人物達の貴重なインタビューとともに振り返るドキュメンタリー映画です。
監督:ジョン・シャインフェルド 出演者:デンゼル・ワシントン(語り)、ビル・クリントン、ラビ・コルトレーン、コモン、ベニー・ゴルソン、ジミー・ヒース、ウイントン・マルサリス、ソニー・ロリンズ、カルロス・サンタナ コーネル・ウェスト、藤岡靖洋、ほか
映画「コルトレーンを追いかけて」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「コルトレーンを追いかけて」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
コルトレーンを追いかけての予告編 動画
映画「コルトレーンを追いかけて」解説
この解説記事には映画「コルトレーンを追いかけて」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
コルトレーンを追いかけてのネタバレあらすじ:起
1957年のニューヨーク。ジャズサックス奏者のジョン・コルトレーンは所属していたマイルス・デイヴィスのバンドを解雇され、重大な岐路に立たされていました。当時まだ新婚であったコルトレーンは家族のために働く真面目な男ではありましたが、重度のヘロイン中毒を患っていました。
麻薬で身を滅ぼしたチャーリー・パーカーのように破滅の道を進むのか、それとも立ち直り、音楽家として再生の道を進むのか、コルトレーンは運命の分かれ道にいました。
コルトレーンは1926年、ノースカロライナ州のハムレットという小さな町で生まれました。育ったのはメソジスト派の厳格な家庭で、日曜日には祖父や父とともに黒人教会に通うことが習慣になっていました。
音楽と信仰が常にそばにあったこと、これが後のコルトレーンの音楽を形作ります。当時の南部はジム・クロウ時代と呼ばれる黒人差別の激しき時代、黒人達は自らの苦しみを芸術ことに音楽へと昇華するようになっていきました。
コルトレーンを追いかけてのネタバレあらすじ:承
少年期に祖父、叔父、父を立て続けに失ったコルトレーンは、母とともにフィラデルフィアへと移り住みます。母は貧しい暮らしの中でもコルトレーンにアルトサックスの個人レッスンを受けさせるなど、息子の教育に熱心で、コルトレーンも夢中でサックスを練習します。
1945年6月5日、チャーリー・パーカーの演奏を間近で見たコルトレーンは強い衝撃を受けました。その後は海軍に入隊し軍のバンドに所属。一年で海軍を除隊し、様々なバンドに参加した後、トランペット奏者ディジー・ガレスピーと出会ったことが転機になりました。
ディジー・ガレスピーはコルトレーンの将来性を見抜き、うまく育てれば化ける男だと確信します。彼のバンドに加入したコルトレーンは四六時中練習に励み、やがてまるで身体の一部であるかのようにテナーサックスを使いこなすようになります。しかしその後、麻薬を打つ現場を見られ、クビを言い渡されます。
その後、マイルスのバンドに参加するものの、再び麻薬のトラブルを起こし解雇されたコルトレーンは、ついに麻薬と決別する決意を固めます。施設にも病院にも頼らず部屋に閉じこもって、ひたすら禁断症状に耐える日々が続きました。強い意志によって麻薬中毒を克服したコルトレーンの才能は一気に開花していきます。
コルトレーンを追いかけてのネタバレあらすじ:転
1957年7月、かねてから親交のあったピアニスト、セロニアス・モンクのバンドに参加します。コルトレーンはモンクの指導により洗練された音楽スタイルを手にいれ、最初のアルバム「コルトレーン」を発表します。テナーサックス界における新たなスターの誕生でした。信心深いコルトレーンは仏教や神道など東洋の宗教にも関心を寄せるようになります。
1958年には再びマイルス・デイヴィスのバンドに復帰、1959年には1960年代のコルトレーンの代表作となる名アルバム「ジャイアント・ステップス」を録音します。全曲がコルトレーンの作曲によるもので、プレイヤーのみならず作曲家としての非凡な才能を世に知らしめることになりました。マイルスのバンドはコルトレーンの加入によって大きく成長しますが、音楽性の違いを感じ始めていたコルトレーンは独立を決意します。
独立から一年経たずに発表したスタンダードナンバー「マイ・フェイヴァリット・シングス」はコルトレーンにとって最初のヒット曲になりました。コルトレーンは以後も新しいサウンドを模索し続けます。サウンドにジャズとして異質だった東洋のイメージを織り交ぜたりと貪欲に普遍的な音楽を追い求め続けます。ヒップホップミュージシャンのコモンはコルトレーンの魅力についてジャズでもブルースでもレゲエでもない人生の音楽だと語ります。
1962年には黄金のカルテットと呼ばれた伝説のバンドを結成、マッコイ・タイナー、ジミー・ギャリソン、エルヴィン・ジョーンズという個性的なメンバーが揃いました。
公民権運動が高まりを見せていた1963年、黒人教会が白人によって爆破され、多数の黒人少女達が命を落とすという事件が起きます。その後のキング牧師のスピーチに感化されたコルトレーンは「アラバマ」を発表。哲学者のコーネル・ウェストはこの作品について白人達に命を奪われた子供達への深い愛が溢れていると語ります。
コルトレーンを追いかけての結末
私生活では最初の妻と離婚を経験、その後ジャズクラブ、バードランドで知り合った若いピアニストのアリスと恋に落ちます。二人はほどなくして結婚、最初の妻との間に子供がいなかったコルトレーンは短い間に三人の息子を授かりました。
そして新たなサウンド作りに挑戦します。1965年に発表したアルバム「至上の愛」は神への感謝を綴った作品であり、コルトレーンの才能を結集させた独創的かつ創造的な作品になりました。娯楽音楽であったジャズを芸術へ昇華させたこの作品でコルトレーンの存在は唯一無二のものとなりました。
1966年7月、コルトレーンは日本で最初で最後となるツアーを行います。長崎へやってきたコルトレーンは自ら原爆の爆心地を訪れ、その場で祈りを捧げます。そして長崎の公演で披露した新曲が「ピース・オン・アース」でした。コルトレーン研究家であるジャーナリストの藤岡靖洋はこの曲を長崎の原爆被害者へ捧げたレクイエムであると語ります。
その後もコルトレーンは音楽で全世界に平和と愛を訴え続けます。1966年末から1967年にかけてコルトレーンは体調を壊します。肝臓がんを患っていました。そして7月17日、40歳という短い生涯を閉じました。コルトレーンの音楽は世代を超えて現代もなお多くの人々を魅了し続けています。
以上、映画「コルトレーンを追いかけて」のあらすじと結末でした。
この映画の感想を投稿する