クリスティーンの紹介:1983年アメリカ映画。邪悪な意思を持った車が惨劇を引き起こすホラー作品。内気な高校生アーニーは、廃車寸前の真っ赤なプリムス・フューリーに心奪われ即決で購入した。以降取り憑かれたように、クリスティーンという名のその車を愛でるようになる。人が変わったように攻撃的になったアーニーを救うため、友人デニスと恋人リーはクリスティーンを破壊しようとするのだが。原作はスティーヴン・キングの同名小説。
監督:ジョン・カーペンター 出演者:キース・ゴードン(アーニー)、アレクサンドラ・ポール(リー)、ジョン・ストックウェル(デニス)、ロバート・プロスキー(ウィル)、ハリー・ディーン・スタントン(ジャンキンス警部)ほか
映画「クリスティーン」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「クリスティーン」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「クリスティーン」解説
この解説記事には映画「クリスティーン」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
クリスティーンのネタバレあらすじ:クリスティーンとの出会い
舞台は1957年アメリカ、デトロイト。ある自動車工場で、出荷前の真っ赤なプリムス・フューリーから作業員の遺体が発見されるという事件が起こります。時は流れ、1978年9月12日、カリフォルニア州ロックブリッジ。新学期初日、高校生のデニスは車で友人アーニーを迎えに行きました。デニスはフットボールチームに所属する社交的な性格で、アーニーは地味で内気ないじめられっ子です。正反対の2人でしたが、不思議と気が合い仲良くやっていました。昼休み、アーニーが不良生徒バディとその仲間に捕まったと聞きデニスは慌てて助けに向かいます。このことが教師に露見したバディは退学処分になりました。帰り道、報復に怯えるアーニーの目に廃車寸前の真っ赤なプリムス・フューリーが飛び込んで来ます。ボロボロでまともに走れそうもないその車に、アーニーは一目惚れしてしまいました。持ち主のルベーが現れ、車の名前はクリスティーンだと教えます。クリスティーンはルベーの弟が1957年9月に購入したもので、6週間前に死亡するまでずっと夢中で乗っていたそうです。アーニーはデニスが止めるのも聞かず、クリスティーンを購入。しかし厳格で過保護なアーニーの両親は、クリスティーンを家に置く許可を断固として出しませんでした。アーニーは家を飛び出し、自分で修理が出来るダーネル修理工場のガレージに置いて貰うことにします。
クリスティーンのネタバレあらすじ:アーニーの変化
それからアーニーは足繁くクリスティーンのもとに通い、修理に明け暮れました。アーニーの腕を認めた工場主のウィル・ダーネルは、雑用を引き受ければ工場内の廃材を自由に使って良いと約束します。クリスティーンを購入して以降、アーニーの様子は明らかに変わっていきました。自信に溢れ、デニスや両親にも荒っぽい態度を取ります。デニスはルベーを訪ね、彼の弟について聞き出しました。ルベーの弟は排気管からホースを繋いで車中で自殺したそうです。彼は車内で5歳の娘が死亡しても、蔑ろにされた妻が自殺しても、クリスティーンを手放そうとしませんでした。ルベーは持ち主とクリスティーンを引き離そうとするのは危険だと忠告します。
クリスティーンのネタバレあらすじ:クリスティーンの嫉妬
それからしばらくして、フットボールの試合に出場したデニス。試合中、ふと真っ赤なプリムス・フューリーがやって来たのを見つけます。それは新車同様に磨き上げられたクリスティーンでした。運転しているのは勿論アーニーで、学校で1番の美女と噂されるリーを連れています。2人に気を取られたデニスは試合で大怪我をしてしまい、病院に運ばれました。見舞いに訪れたアーニーに、もう以前のような気弱さはありません。友人の変化にデニスは強く戸惑うのでした。大雨の夜、一緒にドライブシアターへやって来たアーニーとリー。体に触ろうとするアーニーを、リーは拒絶してしまいます。自分よりクリスティーンを大切にするアーニーに不満を抱いていたのです。嫉妬は女にするものだと言うアーニーに、「この車は女よ」と言い返すリー。するとワイパーが止まり、アーニーは慌てて外に出ました。リーが不満そうにハンバーガーを食べ始めると、車内に光が溢れラジオが鳴り響きます。突然喉を詰まらせたリーは必死に外に出ようとしますがドアが開きません。アーニーも何も出来ず、結局近くにいた男性がリーを救出してくれました。リーは「車を捨てて」と訴えますが、アーニーにその気はさらさらありません。ところがその夜、バディ達がダーネル修理工場に忍び込みクリスティーンをめちゃくちゃに壊してしまいました。翌日、変わり果てたクリスティーンの姿にアーニーは絶望し、リーや両親に暴言を吐きます。
クリスティーンのネタバレあらすじ:恐ろしい能力
アーニーは決してクリスティーンを諦めようとせず、早速修理に取り掛かりました。ふと、車体の一部が直っているのを見たアーニーは「よし 見せろ」と言います。するとクリスティーンは自力で修復を始め、みるみる内に直ってしまいました。自己修復を遂げたクリスティーンは、自分を壊したバディ達を襲って次々に殺害。更に不審に思って銃を突きつけたウィルまでも殺害してしまいます。州警察のジャンキンス警部がリー達の証言をもとにアーニーを尋問しますが、彼は何も知らないと突っぱねました。新年を迎えたデニスの家に、リーが訪ねて来ます。彼女は心底アーニーを心配していました。デニスはいざとなれば自分がクリスティーンを壊すと約束します。リーが帰った後、アーニーがクリスティーンでデニスを迎えに来ました。ビールを呷りながら凄まじいスピードでクリスティーンを走らせるアーニーに、デニスは強く心を痛めます。そしてリーも心配していると伝えますが、アーニーが愛しているのは最早クリスティーンだけでした。
クリスティーンの結末:惨劇の夜
アーニーとクリスティーンを引き離そうと決意したデニス。後日、学校に停めてあったクリスティーンのボンネットに、ドライバーで「今夜 ダーネル修理工場で」と傷をつけます。その夜、デニスとリーはダーネル修理工場に忍び込みました。クリスティーンの姿はありません。デニスはブルドーザーを動かして入口付近で待ち伏せし、リーには事務所で隠れているよう指示を出しました。ところがリーがデニスから離れると、隠れていたクリスティーンが姿を現します。リーを殺害すべく突進するクリスティーン。リーが事務所に逃げ込むと凄まじい勢いで突っ込んで来ました。リーが恐る恐る近付くと、血まみれのアーニーが飛びかかってきます。腹部に大きなガラス片が刺さったアーニーは、真っ青な顔でクリスティーンを撫で絶命しました。デニスとリーが悲しむ中、持ち主を失って尚クリスティーンは動き続けます。執拗にリーを狙うクリスティーンに、デニスは後方からブルドーザーで乗り上げました。怪我がまだ回復していないデニスにリーが力を貸し、2人は念入りにクリスティーンを押し潰します。そしてクリスティーンは箱のような鉄の塊になりました。ジャンキンスと共にクリスティーンを廃棄したデニスとリー。アーニーを救えなかったと悔やむ2人の前でクリスティーンが静かに動き始め、この映画は終わりを迎えます。
以上、映画クリスティーンのあらすじと結末でした。
「クリスティーン」感想・レビュー
-
呪いの車が人々を襲うという、スティーブン・キング原作のホラーです。呪いの車がどうして呪いの車になったのかが説明されていないのが残念でした。車を大切にしてくれているご主人様を襲って殺してしまうのも謎・・・。原作を読めば書いてあるのかな?みんなで何も考えず、ワーワーキャーキャー言いながらおうちで観るには最適の映画だと思います。最後にお約束の車がまだ生きているのでは?なシーンもニヤリです。
-
この映画「クリスティーン」は、スティーヴン・キング原作で「ハロウィン」「ザ・フォッグ」「遊星からの物体X」などの傑作を撮った、ジャンル・ムービーの騎手、ジョン・カーペンター監督の作品だ。
それにしても、この映画を私は何度観たことだろう。
とにかく、この映画は映像の美学を十分に満たしていて、SFXホラー映画の中でも最も美しくスタイリッシュだ。
そして、その美学と裏腹な残酷さを見せて行くという凄さ——。この映画のモンスターは、女の性格を持った、とてもやきもちやきな車。
主人公の高校生(キース・ゴードン)は、物凄いカーマニアで、車をとても大事にする男の子だが、その青年にやきもちをやくという物語だ。意志を持つ車”クリスティーン”が、自分の美と自尊心を傷つける人々を襲うという、”サイコ・スリラー”の隠れた大傑作でもあるのだ。
この車は、1958年型の真っ赤なプリマス・ヒューリーという典型的なアメ車で、いかにもプライドの高いセクシーな女というキャラクターのイメージを持つ車なのだ。
そして、このヒューリーという言葉には、”怒りや激情”、”狂暴”、そして”あばずれ”といった意味もあるのだそうで、物語の伏線として、こういったところまでよく考えて作っているなと感心してしまう。
“魔性のウーマン・カー、クリスティーン” 。
この悪女に一目惚れしてしまった青年は、後で手痛い目にあうことに——。物語は、この車がデトロイトの自動車工場で完成した時、工員がシートに灰をポロッと落としてしまうところから始まる。
その後、その工員は謎の死を遂げるのだが、果たして誰が彼を殺したのか?そして、舞台は15年後へと移り、車は今やすっかり古くなっていて、もうあの時の美しさはどこへやらという感じで、野ざらしで放置してあったのを主人公の高校生の男の子が、その車を発見するのだ。
以前から1958年型のこの車に憧れていた青年は、一目惚れしてしまって、その車を非常に安い値段で買って帰ることに。
売り手はこの車に、女の名前で”クリスティーン”と名付けていて、青年は一生懸命にピカピカに車を整備し、元の美しい姿に戻していく。すると、同時にここから”クリスティーン”は、人間そっくりの”意志”を出していくのです。
そして、不思議なパワーも見せるのだ。ある日、青年が不良にいじめられた時、この車も壊されてしまうのだが、”クリスティーン”は何と自らの力で再生してしまうのだ。
へこんだところがボコボコと戻っていって、割れたライトやミラーも元に戻っていくというSFXは、とにかく凄い。それまで、内気で全くもてなかったオタク男だった青年は、この車を持つことによって、積極的な明るい男になっていき、どんどん自信が出て来て、なんと学校一の美人とつき合うことにまで成功するのだ。
ところが、ここから”クリスティーン”の怒り、ジェラシーが始まることになる。
彼女が車に乗っていると彼がいない間に彼女を窒息させようとしたり、彼女を車の中に閉じ込めてしまったりとか、あるいは不良たちを轢き殺したりとか、ガンガン暴走していくのだ。車が意志を持って暴走する映画には、「激突!」だとか「ザ・カー」などがあったが、この映画のようにストーリー展開の中で、車がいかに人間のような感情を持っているかということを、感じさせていけるかということが重要な気がする。
この映画を観ると、主人公に愛を持ってしまった”クリスティーン”のジェラシーが、本当に存在するかのような気持ちにさせてくれるのだ。
題材としても車と男の関係というのは、非常に身近なもので、乗りこなしていくうちに車への愛情がわいてきて、可愛くなってくるという経験はよくあるものだ。
それを、車の方からも愛されたらという発想で、心理的なものを物理的な手段で表現しているのが、この映画の凄さでもあるのだ。そして、私が一番好きなシーンは、怒りで暴走するアクション・シーンよりも、この車がペシャンコにされた時に、自力で再生していく姿だ。
フィフティーズのノリのいい音楽が流れる中、どのように美しく元に戻るかという映像が、まるで一つの華麗なショーを見ているようなのだ。「遊星からの物体X」もそうだったように、このシーンで、ジョン・カーペンター監督の”SFXへの敬意”というものを強く感じてしまったのだ。
クリーチャーのワンマンショーとして、いかに華やかに詩的に見せるかということを考えて、エンターテインメントに徹したのだと思う。
そして、これは技術的なことだけでは表現できず、”クリスティーン”が人間のような感情を持っていて、彼の目の前で、「絶対に私は醜くならないのよ」という女の感情を露わにしながら、変身していくその姿を見せていくところが、まさに生きている感じがするわけで、いかにしてこの車をエロティックで、わがままなプライドの高い女というキャラクターを作り上げていったかというところが、この映画の最大のポイントだと思うのだ。
この作品もスティーブン・キング原作になるのだがこの長編小説を映画の尺に合わせるのには無理だったのだろう。この小説を翻訳した深町眞理子氏もこの映画に対し不満をもらしている。世評でもこの映画に対してあまり芳しくないようだが筆者個人としては意外と気に入っている。ただ、やはりキングの原作の登場人物たちの深い描き方などを前述のとおり映画化に際し割愛されているのには若干の不満が…。キングの小説のファンならご存知かと思われるが彼の描く世界観とでもいうべきものは、ただ単に、「怖い!」というだけでなくそこに描かれる登場人物たちのコンプレックスなどについても深い洞察がありそこが単なるホラー小説ではないと思う。何だか映画の感想よりも原作者のキングの方について記してしまったが映画を観てから原作を読んでも(もしかしたら原作は品切れかも…)さしつかえはないと思う。