FOUJITA フジタの紹介:2015年日本,フランス映画。乳白色の使い手としてパリの名をはせた日本人画家、藤田嗣治。戦時下の日本においては戦争画家となった。その波乱の人生をフランスと日本二つの視点で描く。
監督:小栗康平 出演:オダギリジョー(藤田嗣治)、中谷美紀(君代)、アナ・ジラルド(ユキ)、アンジェル・ユモー(キキ)、マリー・クレメール(フェルナンド)、加瀬亮(寛治郎)ほか
映画「FOUJITA フジタ」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「FOUJITA フジタ」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「FOUJITA フジタ」解説
この解説記事には映画「FOUJITA フジタ」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
FOUJITA フジタのネタバレあらすじ:パリの異邦人、藤田嗣治
1920年代、パリのアトリエで白いキャンバスに向かう藤田嗣治は、当時の画壇でも売れっ子の日本人画家。キキという女性をモデルに描いた裸婦に使った乳白色は女性を描く上でのこだわりだった。仲間内ではフーフー(お調子者などの意)の愛称で呼ばれ、夜のカフェではモデルや他の画家や作家などと談笑し、再び絵に没頭する生活を送っていた。国籍も雑多な人々が集まるパリは異邦人に優しいと彼は言う。
モデルの女性と浮名を流す彼にとって、スキャンダルは自分の名前を覚えてもらうチャンスだったし、フーフーと愛称もそれで覚えてくれるなら彼は喜んだ。異邦人の藤田にとって、絵画だけではなく名前を覚えてもらう事も重要だった。
パリを訪れた後輩の日本人画家たちに、アトリエを案内しながら、キュビズムやフォービズムなど流行や新しい技法はここにあるけれど、それを真似せず自分のスタイルを模索するように藤田は説いた。後輩たちとカフェのテラスで話していると、その中の一人が高村光太郎の詩を一編読み始めた、それはパリのノートルダムを嵐の日も風の日も見上げる詩、ノートルダム寺院の前に佇む黒いマントの男が風雨にさらされるイメージが過ぎる。藤田はと言えば、テラスにいた女性客をじっと見ていた。するとその片方が彼のジロジロ見られて不愉快だと言いにきた。藤田はただ見なければ描けないと言って彼女の絵葉書大のスケッチブックに書いた似顔絵を差し出した。すぐに彼が画家のフジタだと分かった彼女達は、彼に似せたマネキンを知っていると話もう一人の女性は自分の似顔絵も欠いて欲しいと頼んだ。既に描いた彼はそれを渡し笑顔で別れた。そんな藤田はスケッチブックを街中で広げて似顔絵を描くより、ルーブル美術館で模写をした方がいいと後輩に言った。
FOUJITA フジタのネタバレあらすじ:パリに溶け込み寵児となった藤田嗣治
親しくなった女性とパリの蚤の市を訪れた彼は、ドールハウスを買った。誰かが愛着を持った物が彼は好きだった。個展を開いた藤田は新聞記者のインタビューにも物おじなく答える。絵を描くには手で触るほどに近づかなければならないと言うのが彼の持論だった。議論好きの記者によるインタビューも社交的は彼には苦ではなかった。そして、フジタ・ナイトと称するパーティーを開き仲間たちを呼び、花魁道中の真似事をするなどパリでの生活を謳歌していた。三人目の妻となる、ユキに刺青を入れたいと言った彼は、自分にも、いつも明るくいられるように手首に昼を指した腕時計と、ユキを守れるように身体にライオンの刺青をしようと言った。
FOUJITA フジタのネタバレあらすじ:二次大戦のため日本に帰国した藤田、戦争画家になる
結局、ライオンの刺青をすることはなかったが、小さな裸婦の線画の刺青を施していた。新しく妻となった君代と片田舎で暮らす藤田。君代は藤田と関係のあった女性を彼が描いた絵で知っていた。着物の反物を選びながら、迷うなら二つ買えばいいと言う藤田に、今まで妻だった女性たちを布でたとえて見てという、ある人はベルベット、またある人はシルク、じゃあ私はどんな布なのか尋ねると、今は戦争で物不足だからと言って、彼は話を切った。物不足なのはどこも同じで、絵筆を買うにしても彼の求める筆は無いと、筆職人は言った。 陰鬱な田舎暮らしの中にあって、蚤の市で買ったドールハウスが、彼がパリにいた名残だった。 やがて彼は戦争画を描く事になり、開かれた展覧会では彼の絵の前で泣き崩れる人もいた。絵を描くには手で触るほど近づかなければならないのが持論の藤田にとって、戦争画を書くのは命がけの挑戦でもあった。
FOUJITA フジタの結末:戦争の終りと共にフランスへ帰ったフジタ
藤田は山から煙が出ている場所があるというと、それは炭焼き小屋があるからだと、近所の人に教えてもらった。さっそく山に入った彼は炭焼き小屋ではないどこか崖の下に出る。戦争中にあって、田園はいっそ静かで、物思いに耽る彼の横に置かれた西洋人形と日本人形だけが、戦争を思い起こさせた。君代は花を生け、私は花を飾る事しかできない、あなたは絵を描く事が出来ると言った。戦局の悪化と共に、藤田に再び戦争画の依頼が来る。グアムのバンザイクリフから身投げする女性の映像が、日本が今瀬戸際にいる事を示していた。藤田は戦争画を描くのはこれが最後と決めた。高村光太郎の詩に出てきたような黒いマントの藤田が嵐に打たれる様と、のどかな段々畑が映し出され、太陽に照らされた大木と蝉の声に夏が着たのだと分かる。夜の静かな水辺、藤田の戦争画が水に浸っていく。そして、戦闘機の轟音と共にエンドクレジットが始まる。途中、ランスにある藤田によるチャペルの壁画が映し出され、祈る民衆の中に藤田と思しき人物と君代の姿があるのが分かる。チャペルの外観が映り、エンドクレジットが再び始まる。
FOUJITA フジタのレビュー・感想:藤田嗣治がレオナール・フジタになるまで
パリにいる際、藤田は自分をあくまで異邦人であると言う認識をしていたのは、パーティーなどのシーンで分かる。それでも溶け込んでいたのは一重に彼の日本人離れした社交性ではないでしょうか。不思議な事に、後半日本での生活でも彼はどこか日本人でありながら異邦人的に映る事があります。物不足の頃に妻の着物を新調することに躊躇しなかったり、筆にこだわったり、戦争画を描いていながら彼の周りから戦争のイメージはしません。また炭焼き小屋があると言った山や森などは幻想的ですらあります。戦争を明示しているのは絵のタイトル、バンザイクリフのフィルム、ラストの戦闘機の轟音のみです。水に浸っていく藤田の絵が戦争の終りと、藤田が戦争画を描いた事で後々叩かれ、日本の中で異分子になり晩年フランスに再び渡りレオナール・フジタとして、フランスに帰化しカトリックの洗礼を受けることの布石になっています。フランスに帰化することで、やっと藤田は「異邦人」ではなくなったのではないでしょうか。
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