ゴーギャン タヒチ、楽園への旅の紹介:2017年フランス映画。新しい画題を求めてタヒチへ渡ったゴーギャンは、その新しい風景にすぐさま虜になり、島の娘をモデルに画業に励んだ。しかし見つけた楽園はいつしか歪んでいく…。
監督:エドワール・ドゥリュック 出演者:ヴァンサン・カッセル、チュアイ・アダムズ、マリック・ジディ、プア=タイ・イクティニ、ほか
映画「ゴーギャン タヒチ、楽園への旅」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「ゴーギャン タヒチ、楽園への旅」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
ゴーギャン タヒチ、楽園への旅の予告編 動画
映画「ゴーギャン タヒチ、楽園への旅」解説
この解説記事には映画「ゴーギャン タヒチ、楽園への旅」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
ゴーギャン タヒチ、楽園への旅のネタバレあらすじ:起・タヒチへ
お金の話に疲れ、パリには絵にする題材も風景も無いと言うゴーギャンは、ドガの知り合いの斡旋で、タヒチへ行く事にした。当初、妻子と共に行くつもりだったが、子供の教育について考えのある妻は、コペンハーゲンの実家を頼り、ゴーギャンの自分本位をなじった。
仲間たちに成功を祈り、祝われ、ゴーギャンは一人でタヒチへと発った。タヒチの海にほど近い集落の小屋で、一人版画やスケッチ、油絵の作成に励むゴーギャンの元には、絵が売れず、仕送りができない事や、妻からの離縁を求める手紙が届いた。
店のつけも払えない極貧生活の中、ゴーギャンは糖尿病から心臓発作を起こして倒れた。パペーテでの治療を薦められたが、医師の忠告も聞かず、教会の鐘の音を避けるように、旅支度をし、精霊には気を付けるようタヒチの老婆に言われながら、森の中に入っていった。
ゴーギャン タヒチ、楽園への旅のネタバレあらすじ:承・テフラとの出会い
タヒチの風景を描いては進むゴーギャンは、ある夜、どこかから聞える音楽に引き寄せられ、森の中の集落に辿り着いた。歓待された彼は、そこでテフラに出会った。テフラもゴーギャンを気に入り、共に元の小屋に戻った。
テフラはゴーギャンの絵に興味を持ち、スケッチブックに挟まれた写真に彼の家族の存在を知ってもなお、夜は寝物語にタヒチの神話を聞かせ、昼は絵のモデルになった。人類の起源に立ち戻りたいゴーギャンは、彼女を原始のイヴと称えた。しかし、森を出たテフラは、教会の存在を知り、ミサの洋服に興味を持った。
医師からは再三治療を求められるが、ゴーギャンは完成した絵を船便にするよう頼んだ。
ゴーギャン タヒチ、楽園への旅のネタバレあらすじ:転・ゴーギャンの楽園
島民と馴染んで来たゴーギャンとは逆に、テフラはミサの白い服に憧れ、一人でミサへ行き、そこでゴーギャンの元で彫刻を学ぶヨテファと親しくなっていった。
バカンスで訪れる観光客相手に、ゴーギャンは自分の絵や彫刻を売ろうとするが、値切られてしまう。夜、気落ちしたまま家へ戻ると、テフラがベッドの上で裸のまま泣いていた。「ろうそくが無かった」「精霊が来た」と泣いて訴えるテフラの姿を、ゴーギャンはただスケッチした。
テフラを元気づけたいゴーギャンが、漁師に船に乗せてもらい魚を釣ると、その針の刺さり方で、妻が浮気していると漁師に忠告された。それをテフラに話すと、そう思うなら殴れと言うだけだった。そして身籠っていた子供を流産してしまった。
ヨテファが観光客を相手に同じ柄の彫刻を作る事を叱ったゴーギャンは、テフラと教会に通う彼こそが浮気相手だと気づいてしまった。
ゴーギャン タヒチ、楽園への旅の結末:楽園と失望
ゴーギャンは森の家族の元に帰りたがるテフラを連れ、扉のある家に引っ越しヨテファと距離を取った。そして生活のために港で荷運びをして日銭を稼いだ。
身体を心配した医師から、フランスでの治療を薦められた際、絵を描かなくなったことを問われたが、ゴーギャンは答えられなかった。
その一方で、ヨテファの彫刻は市場で高値で売れ、彼はスーツに帽子を身につけるようになり、それまでの姿とはかけ離れていった。さらに家では、テフラがロザリオの祈りをしている事にショックを受けた。
ゴーギャンは、外に出ないようにテフラに言い含め、鍵を掛けて仕事へ行くようになったが、ヨテファは窓からテフラを呼び出し、扉が開いているのを見たゴーギャンは海辺で物思いにふけった。帰宅すると、テフラは「待っていた」と、ゴーギャンを迎えた。
フランスに帰国することを決めたゴーギャンは、最後にテフラをモデルに絵を描いた。
1893年、ゴーギャンはパリに送還、タヒチの絵の評価は分かれた。友人や家族を訪問したのち、再びタヒチへ。そこで傑作と称される作品を制作し、1903年5月8日にテフラと再会することなく死去した。
以上、映画「ゴーギャン タヒチ、楽園への旅」のあらすじと結末でした。
ゴーギャン タヒチ、楽園への旅のレビュー・考察:ゴーギャンにとっての楽園
19世紀末のタヒチはまだいわゆる「文明化・キリスト教化」がされておらず、ゴーギャンは、見たことのない島民の「野蛮さ」を、原始のままの姿と称して讃えた。開けた海辺の町の教会の鐘の音をから逃れるように森へ入った事や、教会に行くテフラを見送るのみで自分は消してその中に入らなかった事から、ゴーギャンが楽園に求めていたのは彼から見た「未開の土地の野蛮さ」と言うのを察することができる。しかし森から連れ出した原初のイヴと称したテフラが、海辺の町でキリスト教や洋服に憧れ、染まっていく様は、ゴーギャンに対する強烈な皮肉に映る。
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