紳士協定の紹介:1947年アメリカ映画。アメリカ社会の隠れた反ユダヤ感情を暴露したエリア・カザン監督の初期の代表作。アカデミー賞では作品、監督、助演女優賞を受賞。扱われている題材が特殊なため、日本では1987年まで劇場公開されなかった。
監督:エリア・カザン 出演:グレゴリー・ペック(フィル)、ドロシー・マクガイア(キャシー)、ジョン・ガーフィールド(デイヴ)、セレステ・ホルム(アン)ほか
映画「紳士協定」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「紳士協定」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
紳士協定の予告編 動画
映画「紳士協定」解説
この解説記事には映画「紳士協定」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
紳士協定のネタバレあらすじ:起
フリー・ジャーナリストのフィル・グリーンは妻を亡くしたばかり。息子のトミーと母親と共にニューヨークに引っ越してきました。雑誌の編集長・ミニフィと面会すると、ある企画を持ちかけられます。アメリカにはびこるユダヤ人への差別を記事にしてくれというのです。フィル自身がユダヤ人ではないこともあって最初は気が進みませんでしたが、ユダヤ人のフリをしてその体験を書いてみるというアイデアを思いつき、実行してみる気になります。
紳士協定のネタバレあらすじ:承
実はこの企画はミニフィの姪・キャシーによるもの。彼女とパーティで会ったフィルはその美しさに惹かれます。彼女との付き合いが始まると同時に、ユダヤ人へのなりすましも開始。ユダヤ人を排斥する風潮はフィルの思っている以上でした。グリーンバーグというユダヤ風の名前を名乗った途端、相手は眉をひそめ、彼を避けるようになります。出版社の幹部たちですら、その昼食会でフィルがユダヤ人だと名乗るとそれを広めてしまうのです。驚いたのはリベラルな考えを持つキャシーまでが、フィルが本当にユダヤ人なのかと聞いてきたことです。このことで2人の関係は緊張。偏見の根強さを思い知らされます。フィルの母親が心臓病で医師に見てもらう際も名前のせいで冷淡な態度を取られ、郵便配達員もメールボックスの名前に不快感を示し、ホテルで予約を取ろうとしても断られます。トミーも学校でユダヤ人だとしていじめられる羽目に。
紳士協定のネタバレあらすじ:転
そんな最中、フィルは結局キャシーへプロポーズ。キャシーの実家へ挨拶にゆくことになります。しかしその町はユダヤ人排斥を公にしている場所でした。キャシーはフィルがユダヤ人でないことを家族に告げようとしますが、フィルがそれを許しません。結局お祝いの集まりにキャシーの知り合いは出席しませんでした。
紳士協定の結末
ようやくトミーの記事が出来上がり、雑誌に載せられます。内容の素晴らしさが賞賛され、フィルがユダヤ人でないことも公になります。途端に人々の彼への態度は豹変。フィルは内心で苦々しさを覚えます。フィルとの婚約を解消していたキャシーもフィルのユダヤ人の友人に諭され、彼とのやり直しを決意します。
以上、映画「紳士協定」のあらすじと結末でした。
この1947年のエリア・カザン監督の映画「紳士協定」の紳士協定とは、成文化した約束ではないが、暗黙のうちに関係者が互いに認め合っている約束事の事だ。
この映画の場合は、アメリカにおける”ユダヤ人差別”がそれに当たる。
ユダヤ人を差別していいとは誰も言わない。
保守的な南部ならともかく、特に進歩的でリベラルの人の多い東部のインテリ層の社会ではそうだ。
ところが現実には厳然とした差別が存在している。
ユダヤ人だと分かると就職や結婚が難しい。
予約しておいた高級ホテルが、ユダヤ人だと分かると解約されてしまうのだ。
うわべでは差別は否定されているから、本当の理由は決して言わない。
何かと他の理由をつけて断るのだ。
主人公のルポルタージュ作家(グレゴリー・ペック)は、雑誌社から、そうしたユダヤ人差別についてのルポルタージュを依頼されるが、どのようにしてその実態に迫ろうかと考えた末に、自分はユダヤ人だと名乗る事にする。
彼の名前はグリーンだが、グリーンバーグと変えてみる。
このグリーンバーグというのは典型的なドイツ系ユダヤ人の姓なのだ。
こうして名前を変えただけで、彼はいろんな差別を経験する事になり、子供もいじめられる事になるのだ。
ユダヤ人差別を告発しようと言っているその雑誌社自体が、実はユダヤ人だと採用されず、彼の秘書をする人になった女性は、実は自分はユダヤ人である事を隠して入社したのだと打ち明ける。
妻に先立たれて子持ちのまま独身でいる主人公のグリーンは、この仕事を通じて社長の姪のキャシー(ドロシー・マクガイア)と親しくなり、恋仲になる。
彼女はユダヤ人差別問題を取り上げる事を社長に提案した女性であり、当然、偏見のない進歩的な女性だと主人公は思っている。
ところがある日、主人公の息子がユダヤ人の子と思われていじめられると、彼女は「ユダヤ人でなんかないのに!?」と言うのだ。まるで、ユダヤ人だったら差別されても仕方がないみたいに。
また、彼女の別荘を主人公が、親友のユダヤ人に貸して欲しいと頼むと、断るのだ。
自分はユダヤ人を差別はしないが、近所の人たちは暗黙のうちに差別をしているので、後でいろいろトラブルが起こるに決まっており、厄介だと言うのだ。
そこで主人公の怒りが爆発し、あからさまに差別するものだけが差別しているのではなく、他人が差別をしている時、自分は関係ないというフリをして知らん顔をしている者もまた、差別をしている仲間なのだ、と。
この映画は、現在の視点、立ち位置で観ると、少し古くさく見えてしまいます。
その理由のひとつは、今日のアメリカではユダヤ人差別は大幅に改善されているために、これは昔の事というふうに見えるからです。
もうひとつは、この主人公が実に理想主義的で、常に妥協なく正論を主張し、昂然と肩をそびやかせているためなのです。
かつて古き良き時代のアメリカ人は、こんなふうに差別問題などを内に抱えながらも、つまり、いくらかの欠点はあるにしても、総体として自分たちは、正義に根差して理想を追求している国民だという自信を持っていたのだと思う。
そして、映画でこんなふうに、自分たちの社会の矛盾、不条理を堂々とさらけ出して”自己批判”できる事自体、自分たちが自由で勇気のある国民である証拠だと信じていたのだと思う。
そして、この主人公を演じたグレゴリー・ペックは、そういう時代のアメリカの、そういう自信に満ちた姿を演じた俳優たちの中でも、代表的な俳優であったと思う。
たんに真面目そうというだけでなく、意志が強そうで、曲がった事が大嫌いで、いつも相手に対して真っ向から正論をぶつけていくだけの信念と、悪びれない闘志を持っている人間なのだ。
そんなポーズの一番似合う俳優であり、この「紳士協定」では、まさにそういう信念の人物を見事に演じていると思う。
この彼の演技スタイルが、後に彼がアカデミー賞の最優秀主演男優賞を受賞した「アラバマ物語」での名演につながっていったのだと思う。