江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間の紹介:1969年日本映画。江戸川乱歩原作の「パノラマ島奇談」をベースにし、江戸川乱歩作品の多くの要素を取り入れたミステリー映画です。奇形人間が数多く登場するため当時は上映にクレームがでたほどで、公開当時より、後年になって火が付き、カルトムービーと化しました。
監督:石井輝男 出演者:吉田輝雄(人見広介/菰田源三郎)、由美てる子(秀子/初)、土方巽(菰田丈五郎)、葵三津子(菰田とき)、小畑通子(菰田千代子)、賀川雪絵(静子)、小池朝雄(蛭川)ほか
映画「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」解説
この解説記事には映画「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間のネタバレあらすじ:起
精神病院の女収容部屋にいる人見広介を狙って一人の女がナイフを持って襲い掛かります。人見を刺しますがナイフはおもちゃでした。そして看守が来ると今度は看守を刺し、看守が『満足したか!』と言って女を自分の部屋に戻しました。また人見には『散歩を許したらいつもこうだ』といって人見を戻しました。人見は医学生で、何故精神病院にいるのかわかりませんでした。その夜聞いたことのある子守歌に過去を回想しました。ある夜、人見は精神病院を脱走しました。するといつもの子守歌が聞こえて来ました。唄っていたのはサーカス団の女性初代でした。逃げる初代を追い詰め、自分も知っているといって歌い始めました。二人は自分の田舎を知りたくて子守歌の根源を探すために今度会う約束をしました。
江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間のネタバレあらすじ:承
日中再び会い人見は初代に島の地図を見せました。すると初代も知っているようで初代が話をしようとしたとき何者かに刺殺されました。犯人と間違われた人見は変装して一人で島のある北陸に列車で向かいました。列車の中で自分とそっくりな菰田源三郎が死んでいる記事がありました。宿で女あんま師に色々話を聞きました。菰田源三郎に関することや島のことなど色々です。そして人見の足の裏には菰田源三郎と同じ卍のマークがあることがわかりました。菰田源三郎の墓を暴いて確認した人見はこの日から菰田源三郎になり切りました。墓場から出てきたように見せるため、墓の前で白装束を着て倒れていました。すると村の坊主が発見し助けられました。そして妻の千代子や回りの人たちにも源三郎であることを信じさせました。しかし源三郎は左利きだったことを知り、さらにメガネなしでは見えないことも知りました。その上飼い犬に吠えられました。ある夜千代子は天井裏から毒を口に入れられ殺されました。その後奇形人間が家に侵入し人見が追いかけましたが見失いました。その時子守歌が聞こえました。女中のきんに聞くと『島から善三郎が来たときからいつも源三郎と歌っていたと言います』。
江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間のネタバレあらすじ:転
人見は蛭川に頼んで島に向かいました。島に付くと源三郎の父丈五郎がいました。異様な風貌です。島民たちが体に色を塗り奇妙な踊りをしています。島の建物の中でも奇妙な踊りが続いています。そして丈五郎がいいものを見せてやると言って部屋に連れてきました。そこには初代そっくりな秀子という女と数多くの奇形人間がいました。そして奇形人間の島の話をしました。丈五郎が奇形人間を作り上げていたのです。そして源三郎の弟が広介で秀子も初代のの妹だと話しました。話を聞いた人見広介は自分は源三郎ではなく広介であることを話しました。すると丈五郎は広介は奇形人間を作らせるために東京に行かせたのだといいました。そして広介の為に、島に病院を構えているいい、広介はそのまま島に滞在しました。早速秀子と男のくっついた体の分離手術をして成功しました。そして広介と秀子は恋人同士になりました。すると丈五郎が母親を見せてやると言いました。海岸の洞窟に丈五郎の妻『とき』がいました。
江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間の結末
『とき』は林田という男と不倫をしており、それを発見した丈五郎は村人たちと一緒に洞窟に二人を放り込みました。トキは妊娠していました。洞窟の中で食料もない二人でしたが林田が先に死にました。『とき』は妊娠していたため気丈に生きていました。林田の死体に群がるカニなどを食べました。そして子供を産みました。それが初代でした。そして翌日生まれたのが秀子でした。その秀子と男を接合したのが丈五郎でした。秀子は広介の妹だったため近親相姦でした。丈五郎が広介に奇形人間を作らなければ洞窟から出さないと言いました。その時下男が自分は明智小五郎だと言って調べたことを話し始めました。丈五郎より悪い事をしていたのは執事の蛭川と静子でした。源三郎が死んでから、二人が菰田家を乗っ取るため静子と共謀して広介を精神病院へ送り、初代を殺したのです。そして千代子を殺したのも二人でした。聞いた丈五郎が銃を構えると二人は海に落ちました。逃げる丈五郎を明智が追いました。追い詰めた明智は『とき』を許すよう丈五郎に話しました。丈五郎は死んで『とき』と抱き合いました。そのころ広介と秀子は死んで花火になると言って二人の花火が上りました。
「キング・オブ・カルト」と言う称号でディープな映画マニア(cinema geek)から支持されている石井輝男監督の入魂の作品である。石井には自分が監督する作品においてはどうしても譲れない一線や拘りがある。そしてそれは必ずしも世間や映画界のコンセンサスが得られるわけではなかった。そういう意味において石井は気骨の人であり反骨の戦士なのである。「世間が何と言おうが俺が撮りたいものを撮るだけ」っと言ってはばからない。これが石井輝男の原点であり映画哲学なのである。彼はまた東映ポルノと言う分野を支えた映画監督でもある。73年にはポルノ時代劇と銘打った「忘八武士道」なる画期的なアクションムービーを撮っている。終戦後の「エログロナンセンス」や「カストリ」などの大衆文化(ムーブメント)が「石井ワールド」の源泉になっている。今日では「恐怖奇形人間」などと言うタイトルからしてアウトだろう。石井はこの映画で精神病院・牢獄・奇形児・障害者・見世物・近親相姦・辺境の地などの一般的に忌み嫌う「もの」や「こと」や「場所」などを取り上げている。この作品に登場する見世物小屋のパフォーマンスと暗黒舞踏の創始者の土方巽は70年のダイニチ映画「怪談昇り竜」にも出て来る。私は舞踏やパフォーマンスなどの前衛芸術のマニアなのでこの映画は最高のご馳走なのである。見世物・サーカス・フリークス・前衛アート・エログロ・などは、フェデリコ・フェリー二やデビッド・リンチにも共通するテーマの一つだ。昭和30年代から40年代にかけて子供達の間では、夕暮れ時になると誘拐犯が子供をさらいに来る。さらわれた子供はサーカスや見世物小屋などに売り飛ばされると噂されていた。だから夕暮れが近づくと日常から非日常の魔境へと空気が一変したのだ。これらの「都市伝説」もまた日常と非日常、現実と非現実との境界など「幻想世界」を映し出す魔法の鏡だった。また石井と同世代の今村昌平監督の「神々の深き欲望」のシーンと被る映像もあった。日本映画の大ファンで「シネマギーク」でもあるクエンティン・タランティーノも三隈研次と並んで石井輝男をリスペクトしている。映画と言う大衆文化:娯楽芸術の隅から隅までを熟知した「ギーク」にとって石井輝男監督は特別な存在なのである。主役の吉田輝雄も良かったが、この作品では土方巽こそが真の主役であったと言うべきであろう。何せパノラマ島でのクライマックスは土方巽の独壇場(ワンマンショー)と化していたからだ。世界屈指のパフォーマーなので土方の一挙手一投足は大変見応えがあった。小池朝雄は人を食ったような「すっとぼけた」表情と得体の知れない不気味さが身上。小池はまるで爬虫類のような特異な容貌でその存在感を示していた。ラストシーンの「人間花火」は圧巻であり好評でもある。その強烈な印象を与える「人間花火」は、この映画における人間賛歌の新たなる「かたち」であり象徴でもある。「人間花火」は血の通った生身の人間の「一世一代」の晴れ舞台。そしてこれこそがエログロの極みである「恐怖奇形人間」の真骨頂なのだ。ことほどさように人間とは高雅にして猥雑な存在なのである。「ザッハリッヒ:所詮、人間は五尺の糞っ腹に過ぎない。」