ジュディ 虹の彼方にの紹介:2019年アメリカ映画。天性の歌声をもつ少女は大スターの座と引き換えに映画スタジオに私生活を支配されて普通の生活を失い、不眠症や、薬物やアルコールへの依存に苦しむようになる。名作ミュージカル映画『オズの魔法使』から30年後、ジュディ・ガーランドは子供たちとの生活を守るためにロンドンでのステージに臨む。晩年のミス・ショウビジネスを演じて第92回アカデミー賞 主演女優賞受賞を受賞したレネー・ゼルウィガーは本作品で全曲を自ら歌いあげた。
監督:ルパート・グールド 出演:レネー・ゼルウィガー(ジュディ・ガーランド)、ジェシー・バックリー(ロザリン・ワイルダー)、フィン・ウィットロック(ミッキー・ディーンズ)、ルーファス・シーウェル(シドニー・ラフト)、マイケル・ガンボン(バーナード・デルフォント)、ダーシー・ショー(幼いジュディ)、ほか
映画「ジュディ 虹の彼方に」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「ジュディ 虹の彼方に」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
ジュディ 虹の彼方にの予告編 動画
映画「ジュディ 虹の彼方に」解説
この解説記事には映画「ジュディ 虹の彼方に」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
ジュディ 虹の彼方にのネタバレあらすじ:宿無しになったジュディ
1930年代後半、MGM撮影所には『オズの魔法使』のセットが作られつつあった。撮影所の最高責任者であるルイス・B・メイヤーはセットの一角で少女を前に話をする。私たちは普通のアメリカの町に住む人たちのために映画を作っている。それらの町のどれにも君よりきれいな女の子がいるだろう。でも君は誰ももっていない歌声をもっている。
少女(ダーシー・ショー)は主人公のドロシーの役を与えられるが、自信がなく待ってほしいと言う。でもメイヤーは普通の女の子になって普通の生活をしたいのかと問いかける。少女は大スターの道を選ぶ。
『オズの魔法使』から30年。1968年の冬、ジュディ・ガーランド(レネー・ゼルウィガー)は40代後半。次女のローナと長男のジョーイを連れて地方を巡業している。今晩はロサンゼルスのステージで歌った。だが、人気は凋落し、昔ほどのギャラはもらえない。遅くホテルに帰るが、宿泊費の滞納のために、とうとうホテルを追い出されてしまった。子供を連れてタクシーで行った先は、子供たちの父親である元夫シド・ラフト(ルーファス・シーウェル)の屋敷。
シドは子供たちを連れて旅行する生活を批判し、ジュディに一人で出て行けと言う。しかたなく彼女は、ヴィンセント・ミネリとの間にもうけた長女のライザ・ミネリの家に行く。間もなく彼女のショーが始まるというライザの家ではパーティが開かれ、若者たちが集っている。そこでジュディはニューヨークにお店をもつ若い実業家、ミッキー・ディーンズ(フィン・ウィットロック)と出会い、朝まで楽しく過ごすことになる。
ジュディ 虹の彼方にのネタバレあらすじ:ロンドン行き
シドは弁護士を通じて子供たちの親権を主張する。今や家もないジュディは子供を奪われないためにロンドンでの公演依頼を引き受けるしかない。シドの家で子供たちに別れを告げて身を切られる思いでロンドンへ行く。
ロンドンでは彼女はまだ大スター。ナイトクラブの支配人バーナード・デルフォント(マイケル・ガンボン)と世話役のロザリン・ワイルダー(ジェシー・バックリー)が彼女を迎え、高級ホテルの部屋をあてがう。だが、リハーサルのためにロザリンに連れていかれた教会で、ジュディはバンドリーダーのバートに紹介されるが、一曲も歌わず帰ってしまう。翌日開演だというのに。ジュディはその夜、緊張からか眠れない。
公演初日、開演時間が近づくのに楽屋にジュディはいない。ロザリンはメイク係を連れてホテルへ向かう。自室のバスルームにこもっていたジュディを引っ張り出し、メイクをして衣装を着せてナイトクラブへ引っ張っていく。
舞台袖で「歌えない」と弱音を吐いていたジュディだが、ロザリンに背中を押されて舞台に出ると「私は一人行く」と “By Myself”を熱唱し一流エンターティナーの実力を見せる。ロザリンとも次第に信頼関係が築かれていく。
ある晩、公演を終えたジュディが楽屋から出てくるのを二人の熱烈な男性ファンが待っていてサインを求める。ジュディは二人に一緒にディナーをしないかと誘うが、火曜日の深夜に開いている店がみつからず、その同性愛カップルの家で食事をすることになる。オムレツを作るはずが、しくじってスクランブルエッグらしきものになる。
後日の公演のチケットを買っている同性愛カップル。1964年の公演に来られなかった分も今回は楽しむつもりだ。当時は同性愛がイギリスで違法だったために一人が収監されていたのだった。ジュディは辛い時代を過ごした二人のためにピアノに合わせて “Get Happy”を歌う。
ジュディ 虹の彼方にのネタバレあらすじ:ミッキーとの結婚
翌朝、朝食のルームサービスが来る。ルームサービスなんか頼んでいない、寝たばかりなのにと怒るジュディだが、ルームサービスの台の下にミッキー・ディーンズが隠れていてジュディは大喜びする。ミッキーとロンドンを歩き、ロザリンやバートに紹介する。
だがいいことは続かない。テレビ局でインタビューを受けるが、親権をめぐるシドとの争いに触れられて傷ついてしまう。そして酩酊状態で仕事に行く。気弱になるが、ロニー・ドネガンに代役をしてもらおうかとロザリンに言われてプライドに火が付きステージへ上る。でも、待たされた観客の野次の相手をして観客を罵倒してしまう。
MGM時代、ジュディはやせるためにハンバーガーを禁止され薬を飲まされ、長時間の撮影を強いられる生活をしていた。ある日、撮影スケジュールの都合で誕生日の2か月前に撮影所で誕生パーティをしろと言われる。しかもバースディケーキも本物ではない。反発して撮影所のプールに飛び込んでしまう。ロンドンのステージでの不祥事の後の晩、ジュディはあの時のルイス・B・メイヤーを思い出す。メイヤーは威厳のある父親のようにジュディをしかり、二度と撮影を遅らせないように言い、ジュディは謝罪する。今回もジュディはデルフォントに謝罪することになる。
デルフォントはジュディに医師の診察を受けさせる。医師は肝臓等、体は悪いところだらけのジュディに本当は休養が必要であることを言う。
ジュディを慰めてくれたのはミッキーだった。ミッキーはジュディの名をつけた映画館をオープンさせるというプランを語る。ジュディとミッキーはロンドンで結婚し、バートやロザリンにイギリス風に祝福される。ジュディはステージで熱唱し、ミッキーはアメリカに戻りジュディのための契約を取り付けようとする。
ジュディ 虹の彼方にのネタバレあらすじ:ぼろぼろのジュディ
ロンドンにシドが訪れる。弁護士を通さずに話し合おうと言う。シドは子供たちが今いるシドの家にいることを望んでいると言い、ジュディは嘘だと言って怒る。ホテルに戻ったジュディは帰って来たミッキーに会うが、ミッキーは新しい契約を取れなかったという報告をする。
理由は、ジュディのステージでの態度の悪さが報道されたことだった。交渉の失敗を自分のせいにされたと感じたジュディはミッキーと口論になる。そしてあなたもこれまでの男と同じで傍観者なのよ、と悪罵を浴びせてしまう。
精神的にぼろぼろのジュディは遅刻してステージに上がったが、観客のブーイングを浴びた上に転倒してしまう。ジュディは公衆電話から娘のローナに電話をかけ、彼女と弟の、父親の家にいたいという意志を確認して納得する。
ジュディ 虹の彼方にの結末:私を忘れないで
ジュディの公演はキャンセルされる。だが、ロザリンとバートがレストランでジュディのためにささやかな誕生パーティをしてくれる。本物のバースティケーキで。ジュディのショーは今晩からロニー・ドネガンのショーになるが、ジュディはロザリンにショーを見たいと言う。ロニー・ドネガンがいいエンターティナーであるからだけでなく、客席との間に生まれる愛を信じたいからだ。
その晩はジュディとディナーをした男性カップルがジュディの歌を聴きに来たのだが、ロニー・ドネガンを聴きに来たのではないと、がっかりしてチケット売り場で返金交渉をする。
一方、ジュディは、少女時代に自分たちの映画が上映された晩を思い出す。彼女のあこがれの対象だったミッキー・ルーニーから遊びに行こうと誘われるが断ってしまう。万雷の拍手をする観客たちともっといっしょに過ごしていたかったからだ。
ジュディは舞台裏で、ロニーに一曲だけでいいから歌わせてくれと頼む。ロニーは同意し、舞台に上がったジュディは驚いているバートに選曲を任せる。歌ったのは “Come Rain or Come Shine”。その声を聴いてゲイのカップルは慌てて入場する。観客からの拍手を受け、ジュディは「虹の彼方に」を歌いだす。だが、途中で歌えなくなる。そのときゲイのカップルが立ち上がり続きを歌い始め、やがて客が皆歌い出す。ジュディは観客への愛を伝え、私を忘れないでと言うのだった。
この公演の6ヶ月後、ジュディが47歳で亡くなったことを字幕が告げる。
以上、映画「ジュディ 虹の彼方に」のあらすじと結末でした。
「ジュディ 虹の彼方に」感想・レビュー
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1939年公開のMGM映画【オズの魔法使い】で、「虹の彼方に」を唄う少女ジュディ・ガーランドの姿が今も忘れらない。70年代の前半に初めて観た最も愛する映画のひとつである。監督は我が敬愛する巨匠のヴィクター・フレミング。そして、ジュディの元夫のヴィンセント・ミネリ監督も私のお気に入りの名匠である。【オズの魔法使い】と関係者を深く愛しているので、私にとって【ジュディ 虹の彼方に】は特別の上に特別が付く最高の作品なのである。ジュディ・ガーランドの苦い人生と、晩年の苦悩と悲劇を知っているので余計に辛くなる。この作品の中でレネー・ゼルウィガーは自分を完全に消し去って、ジュディである事に徹している。物真似でも似せているのでもなく、ジュディ・ガーランド本人に徹しているのだ。レネーの自分を限界まで追い込む姿勢がジュディ本人と重なり合い響き合ったのではないだろうか。深酒と向精神薬の併用は短期意億障害や躁鬱を引き起こす。これは個人的にも経験済み。特に女性の場合は自傷行為(リストカット)を伴う事が多い。ジュディは虹の彼方にこそ幸せが待っていると思いたかったのだろうか。彼女がクローゼットの狭い空間で二人の子供と抱き合う姿が答えなのかも知れない。何人(なんぴと)も自分に与えられた人生を生きるしか術がない。満足するか不満を吐き続けるかは本人次第。但し、芸術家やエンターテイナーはそうではない。他人を満足させることが義務づけられているからである。ベテランのミュージシャンやアーティストでさえも本番前は逃げたくなるものである。生のステージが連続すれば可成り過酷なのである。少女時代の人生を切り売りして、晩年も子供達と離れ離れになってしまったジュディ。現実が過酷であるがゆえに、ステージ上の虚構の世界で夢を見ようとした女の意地と矜持が誠に見事であった。ジュディ・ガーランドとレネー・ゼルウィガーの心意気に心から拍手を贈りたい。
レネー・ゼルウィガー、完全復活の巻。よくやった、ジョーンズ(byヒュー・グラント)。ジュディ・ガーランドについては恥ずかしながら、ライザ・ミネリの母親という事ぐらいしか知らなかった。例えるならば(瞽女のお祖母様と)藤圭子と宇多田ヒカルみたいな関係かなという印象。けれど別の映画を鑑賞しに行った際に、この『ジュディ』の予告編を観て思わずゾクッとするほど鳥肌が立ち、これは見逃してはいけない!そう思っていたタイミングでの、レネーのオスカー受賞。そして待ちに待った3月の公開、この状況下で映画館にも客入りに影響が出ており、保健所から太鼓判が押される程のまばら具合だった。けれども上映が始まった途端、完全にディーバの世界に引き込まれ、時に笑い、時に呆気に取られ、時にホロリと涙しながら、スクリーンに釘付け。ディーバの哀しみ、孤独、脆さ、けれどひとたび舞台に立てばパッションの塊と化す。レネーの憑依芸、圧巻。特にたくましくも孤独に包まれたような背中が全てを物語っていた。暫くジョービズから遠ざかっていたレネー自身の、恐らく葛藤を超えた成長をも含めて。しかも彼女自身がレコーディングした歌声にも心が震えた。確かに甘さは残るけれど(ある意味、『シカゴ』で共演のゼタ=ジョーンズの方がやはり凄みは出るであろう)、これはこれでレネーの「Somewhere Over the Rainbow」で良いのではと心から思えたし、色々な意味で先が全く見えないような今日この頃、憑き物が落ちたかのようなパフォーマンスに何だか勇気を貰えた気がした。ショウ・マスト・ゴー・オン。