小早川家の秋の紹介:1961年日本映画。松竹専属だった小津監督が、名プロデューサー藤本真澄に招かれて東宝傘下のスタジオで撮った作品。森繁久彌、山茶花究といった東宝の喜劇俳優が顔を見せ、普段の小津作品とは違った雰囲気になっている。撮影は黒澤監督との名コンビで知られる中井朝一。
監督:小津安二郎 出演:中村鴈治郎(小早川万兵衛)、原節子(秋子)、司葉子(紀子)、新珠三千代(文子)、小林桂樹(久夫)、浪花千栄子(佐々木つね)
映画「小早川家の秋」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「小早川家の秋」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
小早川家の秋の予告編 動画
映画「小早川家の秋」解説
この解説記事には映画「小早川家の秋」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
小早川家の秋のネタバレあらすじ:起
未亡人である小早川秋子は、義理の兄・北川弥之助からの呼び出しを受け、道頓堀のバーで裕福そうな中年男性を紹介されます。北川としては見合いのつもりでしたが、秋子はまだまだ再婚する意思はありません。彼女は長居せずにすぐに自宅であるアパートに帰ります。
部屋には義妹の紀子が来ていました。実は紀子も姉からしつこく縁談を勧められていて、秋子と似たような境遇です。紀子の家は伏見の造り酒屋で、秋子はそこの長男と結婚。家業を嫌った夫は阪大の教授をしていたのですが、先年病気で亡くなったのです。
小早川家の秋のネタバレあらすじ:承
数日後、北川が伏見の小早川家を訪れ、秋子の見合い相手が大いに乗り気であることを報告します。見合いの話を熱心に勧めているのは当主の万兵衛で、秋子と紀子の二人が片付いてくれれば考慮の憂いなし、というところでした。婿養子である久夫に商売を任せてある万兵衛は現在隠居の身で、毎日のようにどこかに出かけています。
一頃競輪に夢中になっていたのですが、どうやら今はそうではないようです。家族も心配していたため、気を回した番頭が事務員の丸山に命じ、その跡を尾行させます。尾行に気が付き、うまく丸山を丸め込む万兵衛ですが、丸山の方では一旦油断させておいて再び跡をつけ、その行き先を探り出します。
小早川家の秋のネタバレあらすじ:転
心配していた通り、そこは女性の家でした。相手は佐々木つねといい、二昔前に万兵衛が世話をしていた元芸妓です。つねは父親のわからない娘を生んでいて、その百合子という女の子も21歳になっています。
父親の久しぶりの女道楽に、久夫の妻である長女の文子は腹を立て、さんざん嫌味をいいますが、わがままな万兵衛は聞く耳を持ちません。そんな具合で寄る年波を感じさせない万兵衛でしたが、さすがに暑い夏に出歩きすぎたのが仇となったのか、法事のあとで急に倒れてしまいます。
小早川家の秋の結末
危篤状態となって親類縁者があわててやってきますが、意外なことに万兵衛はすぐに体調を回復します。しばらくは大人しくしていたのですが、やはりつねに会いたい気持ちは抑えきれず、家族の目を盗んで再びその家へ。ところが彼はそこで再び発作を起こし、急死してしまうのです。
葬式は家族と数少ない縁者だけのあっさりとしたものでした。秋子と紀子はその席でしんみりと話し合い、お互いに勧められた縁談を断ることを決めます。
以上、映画「小早川家の秋」のあらすじと結末でした。
この作品の舞台となった「伏見」と「京都市街」と「大阪」の地は、私にとっては誠に馴染深い思い出の土地である。そして伏見と言えば、京阪線「墨染駅」から徒歩15分の万帖敷町にかつては住んでいた。この映画の全編が終始「関西弁」だったことは、誠に画期的であり実に爽快であった。京の西陣の下町に生まれ育ち、大阪が長い私にとっては古き良き「関西ことば」の「はんなり・まったり」とした響きがが郷愁を搔き立てたのである。小津は東宝のプロデューサーらに口説かれて、異例の東宝の映画撮影に参加している。当時の東宝の錚々たる俳優陣が名を連ねており、東宝の現役スタッフも含めると小津にとっては完全な「away」である。特に森繫久彌と山茶花究は、凡そ小津映画とは親和性のない全く異色のキャスティングである。技巧派(芸達者)でボードビリアン風の二人が小津映画に顔を出すのはこれが最初で最後となった。小津にとって未知の領域に一歩足を踏み入れたことで、期せずして新たなる「小津映画」の新境地を開いたのかも知れない。「小早川家の秋」は中村鴈治郎の為の映画であり、正に二代目鴈治郎の独断場である。二代目鴈治郎は、「神の領域」に達した稀有な「超天才」である。鴈治郎はこの役(当主:万兵衛)を通じて関西人の飄々とした物腰と、超然たる振る舞いを見事に具現化している。そしてこれこそが、「柔よく剛を制す」であり、「柳に風」の自然流(じねんりゅう):諦観なのである。同じく「関西演劇界」の雄であり、映画界の「至宝」でもある森繫久彌も、鴈治郎と比べればさすがに見劣りしてしまう。鴈治郎こそは正に男の美学を自然体で演じ切る孤高の存在なのである。また、老境に差し掛かった家長が秋に亡くなるというこの映画の設定がそもそも秀逸である。「家内制手工業」の最たる例である、造り酒屋が大手企業(大資本)に吸収されるという時勢の移ろいと「悲哀」。小津は、この時代の流れを小早川家の当主であり家長の「万兵衛」に全面的に託したのである。ところで、映画のラストのあたりに笠智衆が唐突に現れる。そのことに違和感を覚える人もあったそうだが、私の解釈と評価は全く異なる。小津作品にずっと出続けている笠智衆は、言わば小津映画にとっては空気のようなものなのだ。小津は役者には常々「演技をするな」と言っている。常に「能面でいてくれ」とも。これは決して譲れない小津の「映画美学」であり「哲学」でもある。小津は「徹頭徹尾」一貫して、役者の勝手な思い込みや自己流の演技を絶対に許さなかった。若しくは許せなかった。小津にとっては俳優や女優の存在は、映画の小道具などと同じく、「オブジェ」の延長線上に位置しているからだ。或いは役者は、「小津画伯」が手にした「絵具(高級顔料)」のようなものではないか。キャンバス(スクリーン)に小津が構想した通りに絵具を落とし込んでゆく。まかり間違っても、絵具が勝手に暴走してはならないである。画家の描く通りに絵具が反応せねば、絵画(映画)は作品として実を結ぶことはない。脚本が出来た段階で「小津映画」は殆ど完璧に仕上がっている。後はバラエティーに富んだ配色の絵具を落とし込んでゆく(適材適所に配置する)だけの作業である。この作品でも、女優陣の華麗なる「饗宴」は見応え充分であった。新珠三千代の真の強い関西女の貫禄と、原節子の清楚で素朴な風合いの妙(対比)が味わい深く面白かった。また、一瞬ではあったが、清楚な「お嬢様系女優」の司葉子(和製ルース・ローマン)と白川由美(和製グレース・ケリー)の共演も贅沢の極みであった。「wiki」によればこの映画を撮っている合間に、小津が次回作にと新珠三千代を熱心に口説いていたそうだ。私もこの映画で改めて新珠三千代を、正真正銘の「魔性の女」として認定せざるを得なかった。明治/大正/昭和の激動の時代に生き、サイレントからトーキーへと変遷を重ねた巨匠は、最後には「カラー映画」に辿り着いて安住の地を見付けたのである。この最晩年の映画 では、小津にしては異例の重くて暗いラストシーンが印象的であった。橋を渡る葬列を見上げるようにして、カラスが3羽、5羽と現れては咆哮を上げる。そして黛敏郎の「葬送行進曲」が鳴り響き葬列と墓石のアップへと続く。観る者に強烈なインパクトを与えるラストシーンは、小津の「魂の叫び」であり、小津の「白鳥の歌」(辞世の句)なのではないかとも考えている。小津は期せずして既に自らの最期を予見していたのではないだろうか。