アランフエスの麗しき日々の紹介:2016年フランス,ドイツ,ポルトガル映画。パリを見下ろす丘の上の家の庭で一組の男女が性的体験、夏についての互いの記憶、旅の思い出、愛等について長い対話を続ける。時にはモノローグのように。時には沈黙が続く。話は幹から枝を伸ばしていく。ペーター・ハントケの戯曲をヴィム・ヴェンダースが映画化。二人の協力は『ベルリン天使の詩』以来。家の中でピアノを弾く男はミュージシャンのニック・ケイヴ。
監督:ヴィム・ヴェンダース 出演者:レダ・カテブ(男)、ソフィー・セミン(女)、イェンス・ハルツ(作家)、ニック・ケイヴ(ピアノを弾く男)
映画「アランフエスの麗しき日々」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「アランフエスの麗しき日々」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
アランフエスの麗しき日々の予告編 動画
映画「アランフエスの麗しき日々」解説
この解説記事には映画「アランフエスの麗しき日々」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
アランフエスの麗しき日々のネタバレあらすじ:起・夏の日
さわやかな風の吹く、ある夏の日。田園風景の向こうにパリの街並みを見下ろすことのできる丘の上の一軒家。家の中にはジュークボックス。ジュークボックスから流れるのはルー・リードが歌う「パーフェクト・デイ」。恋人と過ごす完璧な日について。その曲が終わると、書斎には一人の男がいる。彼はタイプライターを前にしてフランス語とドイツ語で文章を考える。やがて書斎の窓から見える庭の木陰に置かれたテーブルに親しい間柄らしい一組の男女が現れる。あらゆる現実の枠組み、歴史的枠組みの外にいる男女。だが、現実の外にいるのでもない二人。男がタイプライターに打つ二人の会話が、二人のフランス語の会話になる。男が質問を切り出す。女に初体験について尋ねる。「男との初夜は?」という問いに女は、「夜じゃなかった」と答える。しかも「彼は男じゃなかった。私は女になっていない」。それは今日と同じような夏の日、10歳の彼女が果樹園のブランコの上で。大地から発する稲妻が彼女を貫いた体験、幼い彼女を家族や住み慣れた場所に安住できない亡命の「女王」に変えた不思議な体験だった。
アランフエスの麗しき日々のネタバレあらすじ:承・塩田の小屋
作家は立ち上がりジュークボックスで新しい曲をかけてまたタイプライターに向かう。詮索好きな男は、骨肉を備えた男との最初の体験について女に問う。それはまた夏の日、海辺の見捨てられた広大な塩田にある小屋で、ある男と一つになった体験。男と女は神となり、結婚し、幸せだったが、やがて神性を少しずつ失い、二人は他人になってしまった。
アランフエスの麗しき日々のネタバレあらすじ:転・アランフェスに行った
再び、作家はジュークボックスで新しい曲をかける。男は「アランフェスに行った」と言う。スペイン王の王宮がある同じ庭園に「農夫の家」があると聞いたからである。だが、それは男の勘違いだった。それは男の考えていた労働者の家ではなく、もうひとつの王宮、小さいが豪華な内装の王宮だった。男は女に、多数の男たちとの愛欲の日々についてきこうとする。女はその時期について、「この世界を支配している敵意」、「日常世界のどこにでもある肉と魂に対する陰謀」について復讐していたと語る。男たちはそれぞれ復讐の、一夜限りの共犯者だった。
アランフエスの麗しき日々の結末:アランフェスには王も女王もいない
対話は続いた。作家は家を出て薪を割ったり小枝を集めたりするが、男と女は庭で会話をやめなかった。女は愛のないままセックスをしていたことを話す。愛を感じたのは子供や年寄りに対してだけだった。それでもなお、西部劇の女のように自分を一人の男のものであると宣言する世界にあこがれている。そんな、男のものである女の帝国の「女王」であることに。男は「ずっと前からアランフェスには王も女王もいない」とアランフェスへの旅の思い出を語る。王も女王もいないがかつての王国の徴に出会ったことを語る。それは王の菜園が放置されてから野生化したスグリの実。それは栽培種よりも輝きを増していた。男は「人は最初から愛を失ってる。たとえ失わなくても」と言う。女は「いいえ!中世では愛を表す言葉は女性形だったのよ」と返す。やがて対話は終わり、夕暮れになり、夜になる。男女は消え、今や庭に座っているのは作家である。ジュークボックスからは「世界は燃え上がり僕は君を愛している」という歌詞の歌が聞こえる。作家の目には涙があった。
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