ルルドの泉で の紹介:2009年オーストリア,フランス,ドイツ映画。ヴェネチア国際映画祭5部門受賞。世界的に有名な聖地フランスのルルドを舞台に、奇跡を求めて各国からルルドに集まる人々が抱える悩みや孤独を鮮明にあぶり出す。
監督:ジェシカ・ハウスナー 出演:シルヴィー・テステュー(クリスティーヌ)、レア・セドゥ(マリア)、ブリュノ・トデスキーニ(クノ)、エリナ・レーヴェンソン(セシル)ほか
映画「ルルドの泉で」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「ルルドの泉で」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
ルルドの泉での予告編 動画
映画「ルルドの泉で」解説
この解説記事には映画「ルルドの泉で」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
【はじめに】
映画館で鑑賞するべき映画です。ルルドの山の上から街中を見わたした光景に、巡礼者が大集合した中心聖地でのミサの映像が圧巻。かなりの大がかりなロケで、大画面で見ると、圧倒されるような迫力がある映像なのです。
【好き嫌いがはっきり分かれる映画?】
好き嫌いが真二つに分かれそうな映画です。少なくともスピリチュアル映画好きな人にはウケるのではないでしょうか。ルルドの泉、奇跡、巡礼、細かい人間関係とリアルな、現実に身近にいそうな登場人物たち・・・そして彼らについての巧みな心理描写を、決して台詞にだけ頼らず、視覚でも見事に表現しています。
【ジャンルはサスペンス?ミステリー?】
日本でのこの映画のDVD謳い文句が「宗教サスペンス」となっています。いや、全然違います。せめて「巡礼ツアーミステリー」にするべきだったと思います。いつも赤い帽子を被っている車椅子の若い女性クリスティンが奇跡の泉で知られているルルドへのカトリック巡礼ツアーに参加します。信仰心が強いわけでもなく、「奇跡」も特に信じていませんでした。人に無理強いされ、しぶしぶこのツアーに参加しただけ。ルルドの泉の水に触れたからってどうなのよ?とむしろ小馬鹿にしている素振りです。ところがそのクリスティンに「奇跡」が起きたように見えました。
【ルルドの奇跡は本当にある?】
ルルドの泉で彼女の「病」が突然治ったのです。巡礼ツアー参加者の人々(皆、何かしらの病を持っています)や介護人たちは心の底から喜んであげられません。「なぜ自分ではなく彼女が、神に選ばれたのか!?」「なぜ信仰深くもない彼女が!? なんだか興ざめする・・・」分かりやすくいえば、ブスで教養もなく性格もよくない田舎者の女性が、ハンサムで人格者でもある資産家に見初められた。周囲の女性たちが「なぜあの子が!?」と納得いかないのと同じ。なぜ誰よりも神の力とルルドの奇跡を信じていなかったあの娘にだけミラクルが!?
【「ルルドの奇跡」の後】
「奇跡」が起きた(ように見えた)後、クリスティンは密かに想いを寄せていた、赤十字ボランティア(*制服からして赤十字ではないか、と・・・)の男性に、自信を持って近付けるようになります。健康というのはやはり重要。自分に健康がないと自信が持てず、意中の異性に告白もしにくいものなのです。クリスティンの恋はうまくいきそうに見えます。天にも昇った気持ちですっかり舞い上がり浮かれきってしまうクリスティン。その喜び方、はしゃぎ方は露骨。きっと日本人なら、周囲の病人たちに気を使い「私だけ『奇跡』が舞い降りて健康になった。皆さんに悪いからあまり喜びを見せないようにしよう」と歓喜と興奮をみせないようにするでしょう。しかしそこはさすがフランス人。まったくそんな心配りはせず、「ああ私は幸せだわ、ああうれしいわ、私にだけ奇跡が起きたんだわ」というように全身で喜びを表現します。同じツアーの参加者たちも介護人の女の子も非常に冷ややかです。特に心神深くもなく性格もよくなく、重篤な病におかされていたわけでもないあの小娘にだけハッピーエンドが?私はこの先も一生心臓病を抱えて生きていく、車いすのお世話になっていく、こんなにまじめな人生を送ってきていたのになぜ神はあの可愛げのない娘を選んだ?誰一人納得できません。
【突然消えた奇跡の力】
元気になったはずのクリスティン。本当にルルドの泉の神力によるもの?それとも単なる偶然?何かの一過性のものにすぎなかった?今度はいきなり倒れて、突然以前の病気が戻ってきました。残酷といえば残酷な話で、期待をしていなかったのにふいに健康になり「人生バラ色になった」とぬか喜びさせられました。が今度はまたもや予告もなくガクッとそれが崩れ去り、戻ってきたはずの健康がスパッと消えてしまったのです!クリスティンが突然倒れ、その直前まで一緒に踊っていた例の赤十字男性は、彼女からするりっと離れて行ってしまいます。この男性の薄情さが見えます。クリスティンが倒れた時、周囲は本当に心配したような様子を誰一人見せません。むしろ「ざまみろ」「やっぱりな」というような顔をします・・・全員、「奇跡」の存在を信じ願っていたはずなのに、それが自分の身にふりかからない限り、所詮どうでもいい・・・神様を信じ、奇跡を信じ、善良な人々であるはずなのに実はねたみそねみを持っており、人の幸運を喜ばず不幸を願っていた・・・
【人々のどす黒い嫉妬心】
世の中には不思議なことや奇跡が起きるけれども、それがいつまでも持続するか分からないし、また起きたからといってそれが「いいこと」だったのかどうかは果たして分からない・・・そして人間というのは、赤の他人に起きた奇跡や幸運については「神様のおかげで」と、神に感謝をしない。最後は「果たしてこれは奇跡が起きたのか。違っていたのではないか」という疑問を投げかけてエンディングを迎えます。観ている人間に、信仰とは何か、信じている「奇跡」が自分ではなく赤の他人に起きたらどう感じるのかということを見事に伝えています。また様々な解釈をするよう、これはどういう意味だったのかそれぞれが考えるように投げかけた、ヨーロッパらしい映画です・・・一言でいうならば・・・・C’est la vie….人生なんてこんなもの・・・
追伸
映画のシーン・・・病人の近くでも煙草を吸っている介護人の女の子たち・・・フランスですね・・・
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