マックイーン:モードの反逆児の紹介:2018年イギリス映画。リー・アレクサンダー・マックイーンは90年代から2000年代を代表するファッションデザイナー。世界中のセレブがファンになり、日本でも多くのファンがいました。華やかなファッションの世界に革新的な手法を持ち込み、人々を驚かせてきた彼は、ステージでは明るく振る舞いましたが、その内面は暗く多くの悩みを抱え、最後は自ら命を絶ちました。『マックイーン:モードの反逆児』はマックイーンの少年時代から自殺までの人生と仕事の思い出を親族や関係者が語ります。”Rotten Tomates”(アメリカの映画批評サイト)で大絶賛され、ファッションに興味がない人やマックイーンについて知らない人でも映画の中の彼の作品やショーを楽しめ、興味深く見られる内容になっています。
監督:ピーター・エディドギー 出演:リー・アレクサンダー・マックイーン(デザイナー)、イザベラ・ブロウ(スタイリスト)、トム・フォード(デザイナー)ほか
映画「マックイーン:モードの反逆児」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「マックイーン:モードの反逆児」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
マックイーン:モードの反逆児の予告編 動画
映画「マックイーン:モードの反逆児」解説
この解説記事には映画「マックイーン:モードの反逆児」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
マックイーンのネタバレあらすじ:起・ロンドンのファッション界での成功
アレクサンダー・マックイーンは、1969年ロンドン生まれで、6人兄弟の末っ子、母は教師でした。学校では授業中も服のデザインに熱中し、美術が好きでしたが、1985年、16歳で中退します。その後、ロンドンのサヴィル・ロウ(ロンドンの高級紳士服の中心地)で働き始めますが、早くも才能を見せます。タツノ・コージ(立野浩二)は彼にファッションを教えましたが、よく質問する男だったと回想します。
1990年にイタリアのロメオ・ジリノのアトリエで働き始めますが、ロンドンに戻ります。ロンドンでは1990年から92年にかけては英国芸術大学の名門セントラル・セント・マーチンズでファッションの修士号をとります。そこでは周囲とも気が合い、チームワークを学び勉強好きだったといいます。
当時、ファッション界に大きな影響のあったスタイリストのイザベラ・ブロウは彼の天才性を見抜きます。マックイーンはイザベラに見出され、ロンドンのファッション界で成功します。従来のファッションとは違うマックイーンのデザインは、肌を露出させる、安い素材で作るなど、注目を集めます。私生活ではいたずら好きで面白い人柄で鳥が好きだと関係者は話します。ただ、金にはかなり困り、失業保険をもらっていた時期もあったと語ります。
マックイーンのネタバレあらすじ:承・ロンドンとパリでの活躍
ロンドンで成功したマックイーンにはアメリカのハリウッドのセレブからも声が掛かります。マックイーンの父はタクシー運転手、ファッションのことはよく分からなかったといいます。教師の母は本が好き、スコットランドからの家系に誇りを持っていました。マックイーンはピアノを聞きながら夜遅くまで仕事をしていたといいます。
1995年のショー”Highland Rape”(ハイランドレイプ)はその暴力的、過激な性描写で批判を受けます。しかし、1996年にはイギリスの最優秀デザイナーに選ばれます。イギリスで名声を獲得したマックイーンはフランスのジバンシィ(GIVENCHY)のデザイナーに抜擢されます。周囲から驚きの声も上がりますが、マックイーンは金も理由であったと話します。フランス語も話せないマックイーンですが、周囲からは敬意の目で見られます。
1997年1月に最初のショーを迎えますが、ショーは英国とフランスをミックスさせたもので、大成功とはいえませんでした。マックイーンはロンドンに帰りショーを行いますが、保守的なジバンシィと違い、大騒ぎでショーを行います。世界で活躍するマックイーンですが、その一方でスタイリストのイザベラとは仲が悪くなります。
マックイーンのネタバレあらすじ:転・革新的で派手なショーと精神の落ち込み
1990年代の後半、マックイーンはパリとロンドンでショーをこなします。ロボットをステージに登場させる彼の手法は人々を驚かせます。彼の名声は高まり、サインを求める人も出てきます。そんな中、彼の精神は不安定になり沈鬱の差が激しくなったと関係者は証言します。周囲からのプレッシャーで麻薬にも手をだし、人を信用せず金にも喜ばなかったと言います。
2000年9月、彼を代表するVoss(ボス)と名付けたショー。ガラス越しにモデル達が叫び、最後は箱の中から大きな太った女性が登場するのは、このショーを代表するシーンとなります。マックイーンは有名になっても兄弟、家族との関係を大事にします。仕事は大きくなり有名デザイナー、トム・フォードも彼のショーを詩人のようだと称賛します。グッチ(GUCCI)のような大手も彼との取引を考えます。
2006年のファッションショー、マックイーンの友人であったモデルのケイト・モスの幻想的なホログラムが人々を魅了します。2007年には彼を見出した、イザベラが自殺し、マックイーンの人生に大きな影響を与えます。マックイーンはイザベラの葬式ではスコットランドの衣装で悲しげな表情で参列します。関係者はマックイーンはこの頃から自殺を考えていたのではないかと話します。
マックイーンの結末:最愛の母の死とモードの反逆児の自殺
2007年のショー、マックイーンはイザベラへの敬意を見せるかのように、イザベラの好みだったファッションを見せます。しかし、彼のファッションショーと気持ちは暗くなり、関係者は太めの彼が痩せこけて青白くなっていったと振り返ります。同性愛者の彼はエイズに侵されていたとも言います。関係者の中には休養を勧める者もいましたが、マックイーンは多くの仕事を続けます。彼は自殺への準備をするかのように最後のショーを行います。
2009年10月6日、パリ。Plato’s Atlantis(プラトーズ・アトランティス)と名付けられたショーでマックイーンは観客の大きな拍手を浴びます。
2010年、大好きだった母がガンで亡くなり、マックイーンはツイッターに嘆きのツイートを投稿します。
2010年2月11日、アレクサンダー・マックイーンは自殺します。世界中のメディアが大きく報道しました。姉は「母以外に彼を幸せにするものはなかった」と語ります。関係者は生前の彼の人柄を振り返ります。
映画の最後、出演、製作関係者の名前とともに彼の美しい作品が紹介されます。
以上、映画『マックイーン:モードの反逆児』のあらすじと結末でした。
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