真夜中のカーボーイの紹介:1969年アメリカ映画。1960年代末期のニューヨーク。ふとしたきっかけで出会ったふたりの若者。大都会に憧れてやってきたテキサス出身のジョー。ニューヨークを出てマイアミに住むことを夢見るラッツォ。ふたりはやがて奇妙な友情で結ばれる。1969年公開。第42回アカデミー賞「監督賞」「脚色賞」「作品賞」受賞作品。
監督:ジョン・シュレシンジャー 出演:ジョン・ヴォイト(ジョー)、ダスティン・ホフマン(ラッツォ)、シルヴィア・マイルズ(キャス)、ジョン・マッギーヴァー(オダニエル)、ほか
映画「真夜中のカーボーイ」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「真夜中のカーボーイ」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
真夜中のカーボーイの予告編 動画
映画「真夜中のカーボーイ」解説
この解説記事には映画「真夜中のカーボーイ」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
真夜中のカーボーイのネタバレあらすじ:起
どこの国でもそうだろう。地方と大都市では、人びとの意識や暮らしぶりに隔たりがある。ましてや広大な国土を有するアメリカである。1960年代末期のテキサスと世界最大の都市ニューヨークでは、その隔たりも大きかった。
ジョーは、カウボーイハットとウエスタンスタイルがよく似合う南部の若者だ。どこで仕込んだネタなのか、大都市の男は皆ホモだという。女たちは、しかたなく男を買うらしい。なんてお誂え向きの話なんだ、とジョーは感心する。ジョーは男としての機能に長けていた。テキサスでこのまま皿洗いを続けるか、ニューヨークでひと儲けするか、考えるまでもないことだったのだ。
リッツォは、ニューヨークのブロンクス出身で、ダウンタウンを根城にして生きる若者だ。小柄で片足が不自由な彼は、その身体的特徴からラッツォ(=ネズミ)と呼ばれている。しかし、彼の見た目の印象…、もちろんそうだが、それだけではなかった。人を見る時のリッツォの狷介な目つき、金銭に対する狡猾さにおいても彼は小動物に似た特性を備えていた。リッツォはその日、飯のタネを探っていた。そしていま、目の前にいるカウボーイを上々のカモだと値踏みした。
真夜中のカーボーイのネタバレあらすじ:承
ニューヨークの、とあるバーである。リッツォことラッツォは、早くもカウボーイに近づいた。そこへゲイの若者が割って入ってくる。少女を装ったそのゲイに、ジョーが思わず見惚れると、ラッツォはゲイを追い払う。「あんた、オカマには気を付けないと」とラッツォ。「よくわかったな、オカマだって」とジョーは感心する。ニューヨークにまだ日が浅いジョー。半ば冷ややかに「オカマだらけだ」とラッツォ。獲物が射程距離に入ってきた。ラッツォの目が光る。
「そうか、イイ女を探してやるよ」とラッツォ。ジョーに売春斡旋屋を紹介するという。「まずは紹介料(10ドル)だ」。おれにまかせろ、万事うまくいくさ。そして「手数料(10ドル)だ」。ラッツォは、ジョーにアパートの一室を指示する。すると、ラッツォはすぐに身をひるがえした。売春斡旋屋など知るもんか。
ジョーは走った。ラッツォを探して。幾日も。しかし、ジョーに都市のネズミを追うのは無理だった。有り金が尽き、ジョーは宿を追われた。雑踏から吹き溜まりへ。居場所を移す。どこも居心地が悪かった。夜は道端へ立つ。しかし、寄ってくるのはゲイだけだ。心が萎えた頃、ラッツォが視界に入った。あの野郎と意気込むが、ラッツォは無抵抗だ。おびえきった小動物。殴る気もしなかった。「アテがないなら、おれの家へ来いよ」とラッツォ。ジョーに断る理由がない。
真夜中のカーボーイのネタバレあらすじ:転
そこはニューヨーク市の街はずれにある地域だ。ラッツォの住まいは、取り壊し寸前の集合住宅である。玄関は封鎖されている。その建物の裏からラッツォは不法侵入する。彼の部屋は最上階である。
ジョーとラッツォの共同生活がはじまった。奪った20ドルへの罪滅ぼしか、ラッツォは甲斐甲斐しく家事をこなす。しかし、無一文である。「いまはスリと置き引きで飢えをしのいでいるが」とラッツォは思う。いずれこのビルにも解体の手が入るだろう。そうなれば、おれたちの居場所はなくなる。ラッツォは、ニューヨークから脱出することを夢見ていた。フロリダ。温暖な土地へ行こう。だが、その前に稼がなくては。ジョーの身体は金になる。どうだろう、もう一度、ジョーの夢を叶えてあげられそうか。
ジョーの再起が始まった。まずは散髪。そして身体からホームレスの臭いを消した。カウボーイハットを、着たきりだったコスチュームを、ウエスタンブーツを、クリーニングし、洗い、磨いた。ラッツォは抜け目なかった。苦もなく、金を使うことなく、ジョーの身支度を整えた。後は、ジョーの腕次第だった。しかし、目論見違いがやってくる。高級交際クラブのジゴロに成りすましたジョーは、あと一歩のチャンスをものにできなかったのだ。ジョーはどこまでもカウボーイだった。レディの扱いを知らない田舎者だ。ラッツォはその点で見る目がなかった。フロリダへの旅がしおれた。
真夜中のカーボーイの結末
冬になりラッツォは風邪をこじらせていた。ニューヨークはアメリカ北部の豪雪地帯だ。外は雪になり、廃ビルの中は凍りついていた。ラッツォは肺をやられている。ジョーも、この先、ホームレス生活に限界を感じていた。やはり働きに出るしかない。ジョーはふたたび道端へ立つ。ジョーに目を付けたのは温厚な初老の紳士である。ジョーを誘い、巧みに和ませる。男の財布にはドル紙幣がざっと数十ドル。ラッツォを救いたい。その一心だった。男の顔を殴った。後からまた数回。そして金を奪う。卑劣な手だ。逃げる。どこへ。マイアミだ。
夜行バスは一路フロリダへと向かっている。隣にはラッツォもいる。この男はしきりに言っていた。「フロリダだ」と。もうすぐだ、ラッツォ。「ちがうリッツオだ。いいか、フロリダではラッツォと呼ぶな。リッツォだ」ラッツォが口にする。ジョーは笑みを洩らす。ラッツォの憔悴は激しい。「わかった、リッツォ」。夜明けは近かった。バスは穏やかな海を見渡す海岸通りへ出た。朝だ。リッツォはそこで息絶えた。終点マイアミのバス停まではもう一歩だった。
以上、映画「真夜中のカーボーイ」のあらすじと結末でした。
ダスティン・ホフマンが演じるラッツォが迎える、実に情けなくも悲しいラストは涙なしには見られません。ジョン・ヴォイト演じるジョーがわかりやすく馬鹿なだけに、その役柄の陰影が余計にそうさせます。名優二人が映し出すアメリカの影は、昨今の移民排撃などを見ると、今もそこにあるのだと感じます。ちなみに邦題の「カーボーイ」は「カウボーイ」だと思うのですが、ラストのバスのシーンにかけて、あえて車にしたのでしょうか?