エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命の紹介:2023年イタリア, フランス, ドイツ映画。19世紀のイタリアで実際に起きた誘拐事件を映画化した人間ドラマで、当初映画化権を獲得するも映画化を断念したスティーヴン・スピルバーグに代わってイタリア映画界の巨匠マルコ・ベロッキオがメガホンを執っています。ユダヤ人の両親のもとに生まれるも、ローマ教皇の命で連れ去られた少年の数奇な運命を描きます。
監督:マルコ・ベロッキオ 出演者:エネア・サラ(エドガルド・モルターラ(少年期))、レオナルド・マルテーゼ(エドガルド・モルターラ(青年期))、パオロ・ピエロボン(教皇ピウス9世)、ファウスト・ルッソ・アレシ(サロモーネ・“モモロ”・モルターラ)、バルバラ・ロンキ(マリアンナ・パドヴァーニ)、アンドレア・ゲルペッリ(アンジェロ・パドヴァーニ)、コッラード・インベルニッツィ(カルボニ判事)、フィリッポ・ティーミ(ジャコモ・アントネッリ)、ファブリツィオ・ジフーニ(ピエル・ガエターノ・フェレッティ)、サムエレ・テネッジ(リッカルド・モルターラ)、アレッサンドロ・フィオルッチ(ドメニカノ神父)、アレッサンドロ・バンディーニ(マリアーノ神父)ほか
映画「エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命」解説
この解説記事には映画「エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命のネタバレあらすじ:起
1858年、イタリア・ボローニャのユダヤ人街。この街に住むユダヤ人のモルターラ家に異端審問所警察の兵士たちがやってきました。兵士たちは一家の息子のひとりで当時7歳のエドガルドが何者かによってカトリックの洗礼を受けさせられており、当時の教会法ではユダヤ教(モルターラ家はユダヤ教)の家庭ではカトリック教徒を育てることができないため強制的にエドガルドをカトリック教会に連れて行こうとしました。
一家の父モモロは1日だけ猶予をくれるよう頼み、その間に異端審問所に駆け込んでエドガルドのカトリック教会行きを阻止しようとしましたが相手にされず、妻マリアンナと子供たちに親戚の家に行くよう指示しました。しかし、結局エドガルドは強制的にカトリック教会へと連れて行かれてしまいました。
翌日、モモロとマリアンナはエドガルドを連れ戻すべく異端審問所に出向きましたが、既にエドガルドの姿はここにはなく、どこに送られたかもわからなくなっていました。モモロはなぜこんなことになってしまったのか、誰がエドガルドにカトリックの洗礼をさせたのか考え、かつて家で雇っていた元侍女でカトリック教徒のアンナの存在を思い出しました。モモロはアンナに事情を問いましたが、アンナは動揺しながら「あのままだと地獄に行ってしまうところだった」と言い、具体的な話までは踏み込めませんでした。
エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命のネタバレあらすじ:承
モルターラ家はユダヤ人コミュニティの協力を得て、エドガルドは時のローマ教皇・ピウス9世のもとに送られたことを知りました。一家は新聞社にそのことを伝え、新聞はこぞって教皇を揶揄する風刺画を掲載しました。
その頃、エドガルドは事情を飲み込めないままローマに連れてこられていました。ローマの教会には、エドガルドと同年代の少年たちが沢山集められていました。エドガルドは不安からユダヤ教の祈りを唱えたところ、実は集められた少年たちはみなカトリック教徒ではないことが明らかになりました。
一方、ピウス9世は新聞のみならず国外からも非難を浴びていました。ピウス9世は教皇である自分のすることに口答えするのかと怒り、エドガルドの洗礼を急ぐよう命じました。エドガルドは改めて洗礼を受けさせられ、正式にカトリック教徒にさせられました。それでもエドガルドは教会の少年たちからいい子にしてれば家に帰れるとアドバイスされ、必死でいい子でいようと務めました。
やがてエドガルドは家族との面会を許されました。しかし、教会側に監視されているエドガルドは本音を打ち明けることもできず、モモロはすっかり身なりの変わった我が子の姿にショックを受けました。しかし、エドガルドはマリアンナが感情をむき出しにして嘆いたことから「家に帰りたい」と本音をもらし、教会側に連れていかれてしまいました。教会側はマリアンナに対し、カトリックに改宗すればエドガルドに会えると告げました。
世論と国際的なユダヤ人社会の後押しを受けたユダヤ人協会は何度もローマ教皇庁に抗議しましたが、当時権威の揺らぎつつあった教皇庁は権力維持のため決してエドガルドの返還には応じませんでした。ユダヤ人協会は密かにエドガルドを奪還する計画を立てましたが失敗に終わってしまいました。ピウス9世は「神の愛で赦そう」と言いつつも、ユダヤ人たちに自分への忠誠の証として足に口づけするよう命じました。ユダヤ人たちは屈辱に耐えながら指示通りにするしかありませんでした。
エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命のネタバレあらすじ:転
モルターラ家はエドガルドを取り返せないまま月日だけが流れていきました。そして1860年、イタリア統一運動はより一層熱を帯び、教皇領だったボローニャは市民の反乱によって解放されました。ますます教皇庁の権威が落ちていくなか、モモロは教皇庁を相手取って裁判を起こしました。裁判が進むにつれ、エドガルドが洗礼を受けた経緯が明らかになっていきました。
エドガルドにカトリックの洗礼を受けさせたアンナは、エドガルドが高熱を出したことからこのままこの子が死ねば自分は地獄に堕ちてしまうと思い、近所のカフェの店主のアドバイスを受けながらエドガルドの洗礼を行ったというのです。しかし、モモロの証言や医師の診察の記録ではエドガルドが何日も高熱を出していたという記録はなく、さらにアンナは元々素行不良であり、エドガルドの洗礼によって教会から金銭をもらっていたことも明らかになりました。
しかし、裁判官は当時の教会法の下で行われたことは今の法律で裁くことができず、アンナによる洗礼も有効だと判断しました。裁判はローマ教皇に責任があることこそ認められたものの、誰ひとりとして罪に問うことはできませんでした。教皇庁の権威はますます低下していきましたが、エドガルドはローマに留まり続け、教皇への服従を誓ってカトリック聖職者としての道を歩んでいきました。
エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命の結末
1970年。教皇領だったローマは遂にイタリア王国に併合されました。市民の反乱に参加し、イタリア王国の軍隊に入っていたエドガルドの兄のひとりリッカルドはようやくエドガルドと再会を果たしましたが、成長したエドガルドはすっかりカトリックに染まり切っており、一緒に帰ろうというリッカリドの呼びかけを拒否しました。リッカルドは諦めて引き上げざるをえませんでした。
1878年、教皇ピウス9世は死去しました。その葬儀の際には市民のデモが起き、市民たちはピウス9世の遺体をテベレ川に投げ捨てようとしました。ピウス9世の棺を守っていたエドガルドでしたが、突然目が覚めたかのように市民側に加わり、ピウス9世を罵りましたが、結局カトリックから逃れることはできませんでした。
数年後、エドガルドは母マリアンナが危篤との知らせを受け、久しぶりに実家へと戻りました。エドガルドはマリアンナにカトリックの洗礼を受けさせようとしましたが兄たちに取り押さえられました。マリアンヌはカトリックの洗礼を拒絶し、最期までユダヤ教徒として生涯を終えました。その後、エドガルドは1940年に亡くなるまで生涯をカトリック聖職者として生きました。
以上、映画「エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命」のあらすじと結末でした。
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