さびしんぼうの紹介:1985年日本映画。尾道の高校を舞台に、近くの女子高生に片思いしたヒロキが、彼女を「さびしんぼう」と名付けて覗き見していました。そんなヒロキの前にさびしんぼうと名乗る白い顔の女子が現れます。彼女は昔の母の事をよく知っていて、ヒロキに色々な話を始め…という内容の、片思いする少年と少女時代の母との交流を描いたファンタジー映画です。大林宣彦ワールドの作品だと言えます。
監督:大林宣彦 出演者:富田靖子(さびしんぼう/橘百合子)、尾美としのり(井上ヒロキ)、藤田弓子(井上タツ子)、小林稔侍(井上道了)、岸部一徳(吉田徹)、浦辺粂子(井上フキ)ほか
映画「さびしんぼう」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「さびしんぼう」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
さびしんぼうの予告編 動画
映画「さびしんぼう」解説
この解説記事には映画「さびしんぼう」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
さびしんぼうのネタバレあらすじ:起
尾道西高校に通うヒロキは、寺の住職の息子でカメラが趣味です。合成写真で心霊写真を撮っていましたが、今はもっぱら近くにある女子高で見かけた一人の女子を望遠レンズで覗いています。ヒロキはその女子を”さびしんぼう”と名付け、音楽の教室でピアノを弾く様子をずっと眺めていました。彼女が弾く曲は、自分も練習しているショパンの『別れの曲』。
ヒロキの母タツ子は、いつも「勉強しろ、ピアノの練習をしろ」と口うるさく言っています。父の道了は寡黙で必要以外の事はしゃべらない性格、祖母のフキはボケが入っています。
ヒロキは同級生のマコトとカズオといつもつるんでいます。月一回のアルバイトである寺の掃除があり、マコト、カズオも手伝います。その時、母の古いアルバムをひっくり返し、大量の写真が散らばります。その日以来、ヒロキの目の前に、顔の白い女子が現れるようになりました。
翌日の学校の帰り道、ヒロキは自転車で帰る”さびしんぼう”とすれ違います。”さびしんぼう”は微笑んでヒロキに会釈をします。ヒロキも会釈をし、ルンルン気分で家に帰りました。
翌日、学校で校長室の掃除を命じられたヒロキ、マコト、カズオの3人は、校長が大事に飼っているインコに「タンタンタヌキの金玉は」の歌を教えます。後日PTA会長がインコが「金玉」と連呼するのを聞いて、3人は自宅謹慎になります。
さびしんぼうのネタバレあらすじ:承
ヒロキが自宅でピアノで『別れの曲』を弾いていると白い顔の女子が現れます。女子は自分の事を”さびしんぼう”だと言います。
母タツ子が自宅謹慎中のヒロキに、家庭教師だと言って同級生のマスコを連れてきます。そこへ”さびしんぼう”が現れ、まるで母タツ子の少女時代を知っているかのように馬鹿にしてののしります。これによりタツ子は取り乱してしまいます。
その夜、”さびしんぼう”がヒロキの部屋にやって来ます。プレゼントの箱を見て「誰に渡すの?」と聞くと「本物のさびしんぼうだ」とヒロキが言います。”さびしんぼう”は「勉強が出来て、別れの曲をピアノで上手に弾ける人が好き」と言います。
翌日、母タツ子の同級生の雨野テルエと娘のユキミが訪ねてきます。タツ子はテルミと過ごし、ヒロキはユキミを部屋に案内します。部屋には”さびしんぼう”がいました。”さびしんぼう”は学生時代のタツ子とテルエの関係や、物の貸し借りの話をします。そして、タツ子とテルエの元に行くと過去の恨みをテルエに全部ぶつけます。何が何だか分からなくなったタツ子は発狂しかかってしまいます。
このことでヒロキは”さびしんぼう”に「もう出てくんな」と言います。”さびしんぼう”は怒って立ち去りました。
さびしんぼうのネタバレあらすじ:転
その帰り道、本物のさびしんぼうが自転車のチェーンが外れて困っていました。ヒロキはチャンスとばかりチェーンをはめようとしますが、チェーンははまらず、「家まで持って行ってあげるよ」と言います。
フェリーを使って渡ると二人は歩きます。その間、ヒロキは、ピアノを弾いている姿を覗いていたことを話します。本物のさびしんぼうも、橘百合子という名前を教え「初めて会った時から覚えていた」と言います。百合子の自宅が近くなった時「ここでいい」と百合子が言って別れます。
翌日、フェリーから降りる百合子を待っていたヒロキを見た百合子は、ヒロキを無視します。落ち込むヒロキに”さびしんぼう”がプレゼントを持って来ます。中を見たヒロキはチョコレートが入っているのを見て放り投げます。「チョコレートアレルギーなんだ」というヒロキに「私じゃないよ」と”さびしんぼう”が言います。入っていた手紙を見ると百合子からで、「もうこれっきりにしてください」と書かれていました。
”さびしんぼう”が「明日17歳になるので、もう会えなくなる」と言います。「どうして?」とヒロキが聞くと、「私は好きな人と別れ、平凡な結婚をし、あの人とそっくりな子供を産む。その子供を見守りながら歳をとっていく」と”さびしんぼう”が言って出て行きます。
さびしんぼうの結末
ヒロキは泣きながら、『別れの曲』をピアノで弾きます。その様子を母タツ子が見ていました。
ヒロキが風呂に入っていると、父の道了が入って来ます。道了は「明日は母さんの誕生日だ。プレゼントに『別れの曲』のオルゴールを渡そうと思ったが、お前が弾いてやれ。母さんのいい思い出だ」と言います。
翌日ヒロキは百合子に会いに行きます。クリスマスプレゼントを渡し、百合子が中を見ると『別れの曲』のオルゴールでした。百合子は喜んだあと、ヒロキに別れを告げます。ヒロキは泣きながら帰りました。
自宅の寺の階段で”さびしんぼう”が待っていました。「ヒロキ大好き」と言ってヒロキに抱き着くと、二人は抱き合います。やがて”さびしんぼう”はいなくなりました。
翌日、誕生日の母タツ子は古い写真を拾います。ヒロキに見せると、裏に『さびしんぼう、井上タツ子』と書かれていました。表の写真はあの”さびしんぼう”でした。タツ子が「こんな時代もあったのね」と言うと、ヒロキは「ヒロキという名の彼氏がいたの?」と聞きます。タツ子は「昔の事は忘れた」と言います。
月日が経ち、寺を継いだヒロキは百合子に似た女性と結婚し、お経を読んでいました。
以上、映画「さびしんぼう」のあらすじと結末でした。
「さびしんぼう」とは何とも素晴らしいことばである。美しくもあり、もの悲しくもあり、シンプルだからこそ万人の心に響く「魔法のことば」なのである。大林宣彦監督が私たち日本人に贈ってくれた、氏の造語の最高傑作だと言えよう。憂いを含んだ富田靖子(さびしんぼう)の「瞳」の何と美しいことか。さびしんぼうが潤んだ「瞳」でじっと見つめる。その視線の先には我らの未来がある。そして彼女の落す影には僕たちの過去がひっそりと佇んでいる。「さびしんぼう」はいつも「だぶだぶ」のオーバーオール姿で古風な帽子をかぶっている。まるで誰かさんの影法師のような不思議な存在。愛嬌があるのに寂しがり屋さん。白塗りのメイクと目元の隈取りも、だぶだぶのオーバーオールも最高であり完璧だ。古今東西の映画史上においても、「さびしんぼう」のキャラクターは「チャップリン」のキャラクターと互角に渡り合える唯一の存在だと思う。この作品のクライマックスで石段に座ったままで雨に打たれて抱き合う二人。そう、ヒロキ(尾美としのり)はしっかりと「さびしんぼう」を抱きしめるのだ。雨に濡れて「さびしんぼう」の眼元のメイクが流れ落ちていく。この美しくも切ない情景に、私は思わず胸を搔きむしられる思いがした。ヒロキが抱きしめたものは、自分の分身であり母への憧憬なのだと考える。私が「深層心理」を読み解けば、ヒロキ少年は無意識のうちに母のことを理想の恋人にしているのだと思う。「くちうるさい」だの、何だのと反抗しているが幼少期にはお母さんが恋人だったはず。「一人っ子」のヒロキの天然で甘くて優しい性格も、母の溺愛・寵愛の賜物なのである。ヒロキだけではない、私も貴方も彼も彼女も皆が、お母さんと自分自身の共作(合作)なのである。そしてお母さん(タツ子)と息子(ヒロキ)が化学反応を起こした結果「さびしんぼう」が具現化したのだ。だから「さびしんぼう」もまた母子の合作なのである。劇中で腹を抱えて笑うシーンが何度もあった。「大林節」が炸裂する可笑しさと爽快さの妙である。尾美としのりのすっとぼけた天然ぶりと、健康的で天真爛漫な藤田弓子の魅力が見事にラップしていた。また撮影時には16歳だった富田靖子の等身大の少女としての魅力も尋常ではない。タイトルロールの「さびしんぼう」と、女子高生の橘百合子を演じ分けた富田のパフォーマンスは最高であった。だからこそ富田靖子の存在なくしては「さびしんぼう」は成立しない。だから「さびしんぼう」は富田靖子の分身でもあるのだ。今作の音楽的なモチーフとなっているがショパンの「別れの曲」(練習曲作品10の3)である。フレデリック・ショパンは他にもソナタやコンチェルトなどの大曲や、マズルカにポロネーズやエチュードなど幾多の名曲を遺している。私はピアノ曲の大ファンなので、ショパンも歴代の名ピアニストで数多く愛聴して来た。その中にあっても「別れの曲」は正に「さびしんぼう」にピッタリだと思う。つまり「さびしんぼう」と「別れの曲」は一心同体の「二卵性双生児」なのだ。実を言うと「さびしんぼう」は今回が初見である。亡き母が生前に絶賛していたが何故か今まで観る機会がなかった。私はこれまでずっと先送りしてきたのである。この度この映画を初めて観て、改めて大林宣彦の偉大さを再認識した次第である。自由奔放に、のびのびと、豪放磊落なスタイルで映画に取り組む大林宣彦のスタンスは誠に貴重である。他の映画監督も大林の才能には一目置かざるを得ないだろう。正に羨望の眼差しで見つめているに違いない。このノスタルジックで甘美な「さびしんぼう」こそは、オリジナリティに富んだ「唯一無二の名作」だ。そしてこの映画は個人的には【世界の映画ベスト200】の上位に入る「最高傑作」であると深く確信している。