西鶴一代女(さいかくいちだいおんな)の紹介:1952年日本映画。巨匠溝口健二が戦後のスランプから復調した作品で、ヴェネツィア国際映画祭で国際賞を受賞。以後3年連続で同映画祭で受賞し、国際的に認められるきっかけになった。溝口の特徴であるワンシーン・ワンカットの手法が存分に用いられている。
監督:溝口健二 出演:田中絹代(お春)、三船敏郎(勝之介)、菅井一郎(お春の父新左衛門)、進藤英太郎(笹屋嘉兵衛)、沢村貞子(笹屋女房お和佐)、大泉滉(笹屋番頭文吉)、柳永二郎(田舎大尽)、宇野重吉(扇屋弥吉)、ほか
映画「西鶴一代女」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「西鶴一代女」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「西鶴一代女」解説
この解説記事には映画「西鶴一代女」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
西鶴一代女のネタバレあらすじ:起
50歳になった娼婦・お春(田中絹代)は娼婦仲間とともに寺の焚火に当たっていました。境内にある羅漢堂に入って一体の仏像を眺めていると、過去に惚れた男の顔がそこに重なってきます。その恋のせいで彼女の流転の半生が始まったのです。
お春は今でこそ夜鷹にまで身を落としていますが、もともと寺侍の娘で京都で宮仕えをしていました。ところが公卿の若党である勝之介(三船敏郎)と相思相愛の仲となり、宿で密会しているところを役人に見つかります。この咎で、一家は京都から追放。勝之介は打首となります。
西鶴一代女のネタバレあらすじ:承
以後、お春は洛外で逼塞の生活を送り、このまま虚しく一生を終えるのかと思われました。ところが世継ぎのないことを危惧した松平家の家来が京都で側室探しをした際、そのお眼鏡にかない、江戸の屋敷に迎えられることになります。
幸いにも寵愛を受けてまもなく若殿が誕生。これでさらに安泰な生活が続くかと思われましたが、「寵愛が過ぎて殿様の体に差し障る」との理由で親元へ返される羽目に。
娘の出世を当てにして呉服をツケで買い込んでいた父親(菅井一郎)は、このことで大変な借金を抱えこみます。
西鶴一代女のネタバレあらすじ:転
借金を返すため、父親はお春を京都の遊郭である島原へ売り飛ばします。太夫となったお春は越後の田舎大尽(柳永二郎)に身請けを約束され、やっと幸せな暮らしが送れるかと思われました。ところが男は贋金づくりで、幸福はまた逃げ去ります。
その後、島原を出たお春は笹屋嘉兵衛(進藤英太郎)の住み込み女中に。ところがここでも嘉兵衛の妻の嫉妬があり、店を辞める羽目になりました。
今度は扇屋(宇野重吉)の家に嫁入りしたものの、夫が殺されて籍を抜かれます。さらに尼の世話になっている時は出入りの商人との中を誤解され、寺にいられなくなります。
西鶴一代女の結末
様々な苦難をなめた末、お春は三味線弾きとして日銭を稼ぎます。しかし芸だけでは食えず、誘われるままに夜鷹にまで身を落とすのです。
やがて松平家の当主が亡くなって若殿が後を継ぐことになり、お春は母親として屋敷に呼ばれます。一旦は喜んだものの、夜鷹という身分が知れて側に寄ることは叶わず、永年蟄居の処分まで受けそうになります。
お春は何とか屋敷を逃げ出し、祭文の門付としてわびしく暮らすことになるのです。
以上、映画「西鶴一代女」のあらすじと結末でした。
この映画「西鶴一代女」は、17世紀、江戸時代中期の井原西鶴の名作「好色一代女」を、名シナリオライターの依田義賢が脚色した、巨匠・溝口健二監督の代表作の一本だ。
もう老残に近い年齢で街娼をしているお春(田中絹代)という女が、荒れ寺の百羅漢を眺めているうちに、その仏像のひとつひとつが、かつて自分と関係のあった男の顔に見えてくる。
こうしてお春は、男性遍歴の一生を回想することに—-。
侍の娘で、京の御所に勤めていたお春は、公卿の若党(三船敏郎)と愛し合っているところを、役人に摘発され、不義者として両親ともども洛外追放の身となる。
若党は「お春さま、真実に生きなされ!」という遺言を残して打ち首になった。
その後、お春は、奥方に子供が生まれなくて困っている大名の側室に召しかかえられた。
殿様がお春に夢中になると、お春も存分に尽くした。あげく、殿様は房事過多で病気になり、彼女は生んだ子を残してお払い箱になってしまう。
次に、お春は島原の廓に身売りし、大金持ちの田舎者(柳永二郎)に身請けされようとしたが、この男はニセ金づくりで、その場で役人に逮捕されてしまう。
そして、お春は次には堅気の大商人(新藤英太郎)の家の女中となる。
ところが、この主人が好色でお春に目をつけ、奥方(沢村貞子)に嫉妬され、いじめられ、この家を飛び出してしまう—-。
やがて、お春は乞食にまでおちぶれ、街娼たちに誘われて街の辻に立つようになる。
そんな、ある日、母親が彼女を訪ねてくる。お春の生んだ子が大名になって、お呼び出しがあったのだという。
喜んで行ってみると、大名の生母が街娼にまで身を落とすとはけしからん、と永の蟄居を命ぜられたのだった。
お春は一目だけでも我が子に会わせてくれと言い、息子の姿を眺めながら身をくらましてしまったのだ。
そして、尼となって巡礼しているお春の姿でこの映画は幕を閉じる。
優雅に、悲劇的に、ユーモラスに、そして全体に一本、男性本位の封建社会に対する痛烈な抗議の筋を通して、溝口健二監督は悠々とこの物語を描いている。
お春を演じた主演の田中絹代も”凛とした気迫”をたたえた好演で、芸達者の俳優たちが、入れ替わり立ち替わり現われて、厚味のある場面を作り出していると思う。
そして、隅々にまでよく神経の行き届いた美しいセット、流麗な白黒映像の粋とも言うべきカメラなど、あらゆる面での技術的な水準の高さが渾然一体となり、稀に見る”映画の美”を生み出していると思う。
この「西鶴一代女」は、日本映画史上において、ひとつの頂点を極めた作品だと思う。
そして、溝口健二監督の得意とした長回しが、最高に効果を発揮して、数々のヨーロッパ映画にも影響を与えたのだと思う。
尚、この作品は1952年度のヴェネチア国際映画祭で、国際賞を受賞しています。