野いちごの紹介:1957年スウェーデン映画。ベルイマン監督の代表作のひとつで、映画史上のオールタイム・ベストに選ばれる古典。幻想と現実が重なって描かれる手法は後の監督に大きな影響を及ぼした。特にウディ・アレンは非公式に「私の中のもうひとりの私」としてリメイクした。
監督:イングマール・ベルイマン 出演:ヴィクトル・シェストレム(イサク教授)、イングリッド・チューリン(マリアンヌ)、グンナール・ビョルンストランド、ビビ・アンデショーン、ほか
映画「野いちご」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「野いちご」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「野いちご」解説
この解説記事には映画「野いちご」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
野いちごのネタバレあらすじ:起
書斎の机に向かい何か書き物をする老人。傍らには犬が忠実そうに座っています。老人の名はイサク。医学博士です。功成り名遂げた彼は明日名誉学位を授与される予定です。その夜。イサクは夢にうなされます。夢の中で彼は人けのない街路を歩いています。街頭にある時計を見上げると針がありません。立っていた男に声をかけても、その男は風船でできていてたちまち萎んでしまうのです。やがて葬式用の馬車が来て、棺桶を落としてゆきます。その中に安置されているのはイサク自身でした。ショックで目覚めるイサク。不安な夢でした。
野いちごのネタバレあらすじ:承
イサクは授賞式のあるルンドまで車でゆくことにします。義理の娘であるマリアンヌが同行を希望。旅行途中、イサクはふとした気まぐれから若い頃住んでいた屋敷を訪れます。昔あった野いちごもそこにまだありました。そして懐かしい風景に誘われるように彼は自分の半生を振り返るのです。それは幻想として目の前に現れます。イサクと婚約していたサーラ。しかし彼女はイサクを裏切り、イサクの弟と関係を結んでしまいます。我に返り屋敷を離れると、そこに若い娘がいました。彼女は他の2人の男と一緒にヒッチハイクで旅をしています。彼らに好意を持ち、イサクとマリアンヌは車に乗せます。
野いちごのネタバレあらすじ:転
無邪気な彼らの行動に心が安らぐイサク。しかし乱暴な運転をする対向車がやってきて、あわや正面衝突になりかけますが何とか回避。相手の車は横転するものの、乗客たちに怪我はないようです。彼らは夫婦。しかし関係が冷え切っているらしく、イサクたちが近くの町まで乗せてやっても喧嘩ばかりしています。耐えきれず彼らを降ろしてしまうマリアンヌ。そして、海の見えるテラスで食事をした後、イサクの老母の家へ。90歳を越えた彼女はかくしゃくとしていて、思い出の品を色々とイサクに見せます。その中には針のない懐中時計もありました。驚くイサク。
野いちごの結末
車に戻ってマリアンヌに運転を任せた彼は助手席で眠りに落ちます。夢の中で彼は妻と再会。結婚したもののイサクの冷淡な態度につい不貞を働いた妻です。マリアンヌによれば、彼女が子供を作らなかったのもイサクたち夫婦の冷えた関係を見たせいでした。やっとルンドに到着。ここまで同乗してきた若者たちは彼のために花束をプレゼントしました。授賞式のあと、イサクはまた夜中に夢を見ます。そこではのどかな湖の風景が広がっていて、彼はようやく安息を得られるのです。
「野いちご」感想・レビュー
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この映画「野いちご」は、1958年度ベルリン国際映画祭金熊賞受賞作で、ひとりの老人がたどる、幻想的な旅を描いたこの作品は、自分の死を暗示する夢にうなされる主人公を通して、”死”に取り憑かれた男の絶望と不安を描き出してみせる。
過去と現在が交錯し、母への回想、裏切った妻への愛と憎しみ、そして生と死への恐怖が、力強い映像で語られる、イングマール・ベルイマン監督の映画史に残る秀作だ。
不気味な老人の妄想と対照的な、息をのむ自然の景観の美しさが、神の国ではない、この地上にこそ”永遠の生命”が躍動していることを暗示している。
タイトルの「野いちご」には、そんな意味も託されているのだ。
イングマール・ベルイマンの映画は何本かしか見ていない。
それも皆、高校生くらいの時に観たので、ただ難解なだけで、何の印象も残っていない。
しかし、この「野いちご」は、ちょっとだけ印象が違う。
なんか分かったような気がしたのを覚えている。
というのも、この映画だけは、ベルイマンの作品の中でも唯一大学生くらいの時に観たのだと思う。
今回観ても、一応私なりに解釈してみることはできる。
こうした芸術家たちが、何でわざわざこんな分かりにくい映画を作るのかは私には分からないが、今回は物語を簡単に追いつつ、私なりの解釈を書いていこうと思う。
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医師のイサクは、明日、ルンド大学で名誉博士号を授与されることになっている。長年の功績が認められたのだ。
その前の晩、老人イサクは不安な夢を見る。
それはこんな夢だ。
イサクが街を行くと、歩道に針のない時計が立っている。たぶんそれは、もう自分は老人だ、残された時間はないということを暗示している。
目の前で人影が消滅してゆく。それは、人生の終末を意味する。
馬車がやってきて、車輪を歩道に引っ掛けて倒れ,馬車から棺桶が落ちる。棺桶から人が出てきてイサクにしがみつく。これは死はもうすぐ目の前にあるということではないか。
こんな不安な夢を見たその朝、イサクは息子の嫁を伴って、車で出発する。
途中イサクは若い頃住んでいた屋敷を訪れる。
イサクは若い時を懐かしむが、このあたりは幻想的な、美しい場面だ。
イサクは婚約者の若い娘を思い出す。しかし、その娘は弟に取られてしまい、自分は別の女性と結婚し、結婚生活を送ってきた。
婚約者を弟に取られたが故、望まない結婚、満たされない結婚生活をしてきたのだ。
車に戻ると、3人のヒッチハイカーに会う。
1人は女子、2人は男子大学生だ。
イサクは3人を同乗させるが、2人の男子学生は神の存在を巡って殴り合いのケンカまでする。
普通は殴り合いまでしないだろうが、西洋において神の問題は、歴史を振り返るまでもなく、それほど重いものだということだろう。
その後イサクは事故に巻き込まれる。
事故を起こしたのは仲の悪い夫婦で、けんかばかりしている。
しかし考えてみればこんな夫婦は五万といる。
自分たちは特別不幸というわけではなかったのだと、イサクは思っただろう。
イサクは90歳の母親を尋ねるが、母親は元気だけど、針のない時計を持っていた。
ここには、母にも時間がないが、穏やかに暮らしているという現実があった。
イサクは晴れがましい授与式に出席する。
最後に彼は自分の人生を受け入れる。
納得する。満足する。
人生こんなものだと悟る。
良くないこともあったが,こうしていいこともあった。
イサクはその晩安らかに眠りにつき、のどかな夢を見るのであった。
ベルリン国際映画祭金熊賞受賞。