ヒトラーと戦った22日間の紹介:2018年ロシア,ドイツ,リトアニア,ポーランド映画。第二次世界大戦中、ナチスドイツの占領下にあったポーランド・ソビボル強制収容所で、ソ連の軍人アレクサンドル・ペチェルスキーが捕虜として収容されてから22日後に起こした脱出劇を、本人の回顧録からなる実話を基に収容所内での実態も交えて描いた歴史ドラマです。ロシアの国民的俳優にしてハリウッドでも活躍するコンスタンチン・ハベンスキーが脚本と主演、そして初監督を務めています。
監督:コンスタンチン・ハベンスキー 出演者:コンスタンチン・ハベンスキー(アレクサンドル・“サーシャ”・ペチェルスキー)、クリストファー・ランバート(カール・フレンツェル)、フェリス・ヤンケリ(ルカ)、ミハリーナ・オルシャンスカ(ハンナ)、マリア・コジェーブニコワ(セルマ)、ダイニュス・カズラウスカス(レオ)、ウォルフガング・キャニー(グスタフ・ワグナー)ほか
映画「ヒトラーと戦った22日間」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「ヒトラーと戦った22日間」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
ヒトラーと戦った22日間の予告編 動画
映画「ヒトラーと戦った22日間」解説
この解説記事には映画「ヒトラーと戦った22日間」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
ヒトラーと戦った22日間のネタバレあらすじ:起
第二次世界大戦真っ只中の1943年9月27日。ナチスドイツの占領下にあるポーランドのソビボル収容所。この日も数多くの捕らえられたユダヤ人が列車に乗せられ、この収容所に連行されてきました。彼らのほとんどは、ナチスが有益だと判断したごく一部の職人以外は到着後すぐにガス室に送られる運命にあり、生き残ったごくわずかな者たちもまたナチスの為に死ぬまで強制労働を強いられ、ナチス親衛隊将校の気分次第でいとも簡単に殺されていく、まさに地獄絵図のような光景が繰り広げられていました。
しかし、そんな絶望的な状況でも、この収容所から脱出する計画が極秘裏に進められていました。反乱メンバーの中心人物であるレオ(ダイニュス・カズラウスカス)は作戦成功のため、この収容所に新たに捕虜として収容されたユダヤ系ロシア人のソ連軍中佐、“サーシャ”ことアレクサンドル・ペチェルスキー(コンスタンチン・ハベンスキー)に目をつけました。
ヒトラーと戦った22日間のネタバレあらすじ:承
レオはサーシャに対して反乱メンバーに加わるよう要請しましたが、サーシャはこれを拒否しました。
そんなある日、農作業に従事させられていたユダヤ人数名が収容所からの脱出を決行しましたが失敗に終わり、全員射殺されたうえ収容所内のユダヤ人を10人に1人射殺するという罰則までもが課せられる結果となりました。この事件を機にナチス親衛隊曹長カール・フレンツェル(クリストファー・ランバート)を始めとするナチス将校たちは収容所内の支配体制をより一層強化し、まるでゲームを楽しむかのように次々とユダヤ人を射殺していくナチス兵士を目の前にして、サーシャや反乱グループは何もできずぐっと耐えることしかできませんでした。そんな中、フレンツェルはサーシャが別の収容所で何度も脱出を図ったことのあることを突き止め、彼に目を付けるようになっていきました。サーシャを何としてでも反乱グループに加えたいレオは何度も説得を試みましたが、ユダヤ人で編成された特殊部隊ゾンダーコマンドに捕まり暴行を受けてしまいます。
ヒトラーと戦った22日間のネタバレあらすじ:転
サーシャが収容所に収監されてから12日目、ソビボルに列車が到着しました。列車の中はユダヤ人の死体が積み重なっており、わずかに生き残った者たちは、収容所長の右腕でありナチス将校の中でも一際残虐なグスタフ・ワグナー(ウォルフガング・キャニー)らの手にかかり次々と抹殺されていきました。この凄惨な光景を目の当たりにしたサーシャは遂に反乱を決意、レオたちと手を組んで収容所からの脱走計画に加わることにしました。
サーシャが収容されてから21日目、サーシャとレオたち反乱メンバーは着々と収容所からの脱走計画を練っていました。目標は収容されたユダヤ人全員の脱走であり、反乱メンバーは脱出のついでに報復としてナチス将校や看守たちを1人ずつ連れ出して全員抹殺する計画も併せて立てました。そんな時、収容所内のユダヤ人に集合がかかり、サーシャやユダヤ人たちはナチス将校たちが催した宴での余興に強制的に駆り出されました。ユダヤ人たちは馬代わりにさせられて将校を乗せた荷台を引かせられるレースに参加させられ、レースに負けたり力尽きたりした者たちはその場で射殺されていきました。この光景に我慢ならなくなったサーシャは荷台にフレンツェルを乗せ、自ら一晩中引いて走る事で、将校たちの注目を一身に引き受けました。朝日が昇り、宴が終わった頃には、疲れ切ったサーシャは立ち上がる気力すらも失っていました。
ヒトラーと戦った22日間の結末
サーシャが収容されて22日目の1943年10月14日。遂に脱走計画決行の時が訪れました。サーシャたち反乱メンバーは計画通りに一人ずつナチス将校を連れ出してはナイフで殺害していきましたが、十数名殺害したところでフレンツェルに察知されてしまいました。それでも反乱グループはフレンツェルを狙撃して足止めすると、サーシャやレオの合図により収容されていた600人もののユダヤ人たちが一斉に脱走を開始、ナチス兵との銃撃戦で何百名が命を落としながらも、生き残ったユダヤ人は全員脱走に成功しました。
以上、映画「ヒトラーと戦った22日間」のあらすじと結末でした。
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