噂の二人の紹介:1961年アメリカ映画。巨匠ワイラー監督がかつて「この三人」のタイトルで映画化したリリアン・ヘルマンの戯曲「子供の時間」を自らリメイクした作品。前作ではぼかされていた同性愛の問題がハッキリした形で描かれている。
監督:ウィリアム・ワイラー 出演:オードリー・ヘプバーン(カレン・ライト)、シャーリー・マクレーン(マーサ・ドビー)、ジェームズ・ガーナー(ジョー・カーディン)、ミリアム・ホプキンス(リリー・モーター)
映画「噂の二人」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「噂の二人」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
噂の二人の予告編 動画
映画「噂の二人」解説
この解説記事には映画「噂の二人」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
噂の二人のネタバレあらすじ:1
ピアノの発表会が行われています。そこは私立の女子寄宿学校。大学時代同級生だったカレンとマーサの2人が設立、経営しています。マーサの叔母・リリーが授業の一部と生徒の世話を担当。経営は好調で、産婦人科医・ジョーと2年間婚約状態にあったカレンもようやく結婚に踏み切る気になります。ジョーは地元の有力者・ティルフォード夫人の甥で、夫人の孫娘・メリーも学校の生徒でした。ワガママ極まりなく、他の生徒を虐めていたメリーはカレンにある嘘を咎められ、土曜日のボートレースの出席を禁止されます。この事を恨みに思った彼女は、ティルフォード夫人に「カレンとマーサは同性愛の関係にある」と嘘を吹き込むのです。メリーを溺愛している夫人はすっかり孫の言う事を信用し、事実を確認もせずに彼女を退校させます。
噂の二人のネタバレあらすじ:2
噂はあっという間に広がり、娘を学校からやめさせる父兄が続出。学校の信用はガタ落ちとなり、腹を立てたカレンとマーサはティルフォード夫人を名誉毀損で訴えます。しかし結局2人は敗訴に。このせいでかえって噂を喧伝することになり、残っていた生徒まで失う羽目になるのです。カレンを愛するジョーは結婚する意思を変えませんが、彼にもカレンとマーサの関係を疑う気持ちがあることを知り、カレンの方が婚約を破棄。それを聞いたマーサは自分が心のなかで喜びを覚えていることを知ります。実は彼女には密かにカレンへの恋愛感情があったのです。
噂の二人の結末
やがて、孫の嘘を知ったティルフォード夫人が謝罪するために学校を訪れます。今更ながら頭を下げる夫人にカレンは激怒。夫人はしょんぼりした姿で帰っていきます。「一緒に他の町へ行って仕事を見つけよう」とカレンはマーサに提案。返事を渋るマーサを置いてカレンは庭に散歩にいきますが、その間にマーサは自室で首をつってしまうのです。葬儀が行われ、彼女たちを疑った人々が罪悪感を覚えながら姿を見せます。彼らを無視し、カレンは1人墓地を去っていきます。
この映画「噂の二人」は、1936年にリリアン・ヘルマンの戯曲「子供の時間」を「この3人」という題で映画化したウィリアム・ワイラー監督が、オードリー・ヘプバーンとシャーリー・マクレーンという2大女優を主演に迎えて再映画化した作品だ。
寄宿制の女子私立学校を経営するカレンとマーサの二人の女性が、突然”同性愛”という汚名を着せられ、やがて悲劇的な結末を迎えるまでを、ウィリアム・ワイラー監督が確かな演出力で描き切った名作だ。
この映画は、子供の身勝手な噂が、ひとりの女性を死に至らしめる、恐ろしい社会派ドラマだ。
大人びて意地の悪い少女メアリーが、自分を叱る教師二人が経営する学校から出たいために、二人が”同性愛者”であるとデマを流すのだ。
全ての父兄が自分の子女を学校から引き上げ、二人は原因をメアリーのデマだとその祖母に詰め寄るが、その家に引き取られていた別の生徒の証言で事実は決してしまう——という歯ぎしりしたくなるようなストーリーが展開していく。
そこには、根拠のないゴシップに対する社会の妄信性や、それによって、いとも簡単に崩れてしまう日常生活の脆さ、本来、純粋な筈の子供に存在する邪悪さが提示されていて、観ている者を震撼させます。
この映画の原作者であるリリアン・ヘルマンの巧まざる現実認識、人間描写の鋭さを思わずにはいられません。
だが、一つ気になるのは、メアリーを演じるカレン・バルキンという子役のオーバー・アクトだ。
見るからにふてぶてしい顔もさることながら、眉をしかめたり、驚く時に目を見開いたりする、この子役の芝居の過剰さが、失笑を買うほどに強烈だ。
ウィリアム・ワイラー監督ともあろう名匠が、なぜこんなにも臭い芝居をする子供を起用したのか、理解に苦しみます。
それとも、ワイラー監督はそんなことは百も承知で、この”愚かしい扇動者”の姿を揶揄してのものだろうか?
普通なら、この子役のせいで映画は台無しになるところだが、ワイラー監督は後半、苦悩するカレン(オードリー・ヘプバーン)とマーサ(シャーリー・マクレーン)の悲惨さをじっくりと表現し、その汚点を消し去っていくのです。
カレンの婚約者ジョー(ジェームズ・ガーナー)にすら忍び寄る疑心、裁判を拒否した叔母の薄情さ、レズ志向を自認し命を絶つマーサら、各人それぞれを、ワイラー監督は実に的確に描き分けていくのです。
そして、親友を失ったカレンが、絶望感を抱きながら葬式の参列者の間を胸を張って歩いていく姿に、無理解な社会への怒りを凝縮させているのだと思います。
オードリー・ヘプバーンの澄んだ瞳が、躊躇なく真っ直ぐ正面を見据える、このラストのショットが、この作品の価値を2倍にも3倍にもしているのだと思います。
一個人が風評によって、社会から追放されるこの物語には、ウィリアム・ワイラー監督自身のマッカーシズムによる、ハリウッドの”赤狩り体験”が、色濃く反映されているのだと思います。
当時、それに抗議する委員会を結成し、その中心人物として活動したワイラー監督は、悪夢のようなこの事件に対する怒りを、ヘプバーンに代弁させているのだと思います。