魚が出てきた日の紹介:1967年イギリス、ギリシャ 、西ドイツ映画。ギリシャ映画界の巨匠M・カコヤニスが手掛けた異色SF映画。1972年ギリシャの小さい島に2人のパイロットが不時着する。飛行機に積んでいた2個の原爆と1個のケースを彼らは落下させておくが、原爆は海中へ、ケースはその島のどこかに落ちた。当局に連絡を取ろうとするパイロットたちをよそに、山羊飼いの夫婦にケースが拾われた。しばらくして軍関係者が変装して島に上陸、遺跡を求めて考古学者たちも現れる。増え始める観光客たち。パイロットは依然さまよう、山羊飼い夫婦は遂にケースの蓋を開ける事に成功……。コメディタッチで展開させながら、金属ケースをめぐるスリルを演出、結末で一気に観客を突き放すというダイナミックな演出がある。
監督:マイケル・カコヤニス 出演:トム・コートネイ(ナビゲーター)、サム・ワナメイカー(エリアス)、キャンディス・バーゲン(エレクトラ・ブラウン)、コリン・ブレイクリー(パイロット)、ほか
映画「魚が出てきた日」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「魚が出てきた日」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「魚が出てきた日」解説
この解説記事には映画「魚が出てきた日」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
【劇中でのやりとり】
海水浴をしている女性:「ねえ、後で一緒に泳がない?」
マル秘事項を知っている軍人:「Madam, I would NOT be going to that sea by all of the money in the world. Who wants to die!?? マダム、その海では絶対泳ぎたくないね、世界中全部の金を積まれても泳がない。誰が死にたいものか」
【実話を基にした放射能の恐怖】
「ぶっ飛んだ」名作です。
アメリカ空軍戦力航空軍団、SACに所属する爆撃機と空中給油機が地中海の3万1千フィート上空で空中給油中に衝突、墜落。
4個の水爆のうち3個がパロマーレス(スペイン)近くの地上に落下し、1個が海中に落下
アメリカ空軍がやってきて、「円筒形形物体」の捜査を開始。
スペイン人の村人たちは
「なぜ彼らはマスク、手袋をしているのか」いぶかしげに思う。
(1966年1月17日)。
この実話を基に作られた映画だそうです。
ストーリーは、米ソ冷戦時代に、核兵器を積んでいたアメリカの飛行機が、ギリシャの島に墜落。
急きょ、米軍がその島、カロス島に核兵器回収捜査を目的に上陸。
しかしあくまでも極秘事項なので、彼らは観光業者を装い、核兵器が落ちたであろう箇所の周辺の土地を買収。島側にはリゾートホテルを建設するため、と説明。(*アメリカ人軍人が全員、若いイケメンというのがナイス)
カロス島には岩しかなく、住人の大半も老人。閑古鳥が鳴いているようなうら寂しい島。
しかしアメリカ人の観光業者がホテルを建設する、ということで村長たちは
「自分たちにもツキが回ってきた」と大喜び。
このことを全国紙に話し、
「過疎状態の島に観光ホテルができる」と記事になる。
これがキッカケとなり、外国人やギリシャ人の大勢のツーリストたちが一気に島に押し寄せてくる。
さらに観光業者を装ったアメリカ人軍人たちが雇った島民が、道路を整備しているとギリシャの古代遺跡が発見される。今度はこれがキッカケになり、各国の考古学者たちも島に押し寄せる。
この流れが面白おかしく、大笑いします。
核兵器回収に務めるアメリカ人の軍人たちについても、皮肉たっぷりに滑稽に描いており、吹き出すシーン満載。「オースティン・パワーズ」の10倍は笑いました。
色々不自然な場面、明らかに矛盾している箇所も出てきます。
狂言師的役割の、不時着したパイロット二人・・・必要だったかな?とか、ヒロインの女性・・・金属を溶かす危険な化学薬をなぜそんな所に置くの?しかも手袋もしないで扱っていましたよね?など・・・・
(同監督の「その男ゾルバ」の映画でも、いくつかのシーンが弱冠もたもたしていると感じました。)
しかしそれらのおかしな部分を差し置いたとして、
爆笑シーン満載で、いかしたファッションにモンキーダンスをアレンジしたようなユニークでクールなダンスシーン・・・
内容が凄いのに、一方ではファッション雑誌のようなスタイリッシュの映像美が続くのです。(1965年の「ナック The Knack …and How to Get It」のテイストにもよく似たテイストです。)
よって「魚が出た日」の映像は、60年代のおサイケなファッション好きにはもろにストライクな世界なのではないでしょうか。
【コメディテイストが次第にホラーに】
ところが笑ってばかりもいられなくなります。
相変わらずレトロチックなのだけどもモダンで斬新なファッションに身を包んだ若者たち(観光客たち)が登場しているのですが、後半でその演出の意味がはっきりと分かります。
岩とロバと老人しかいなかったような島が、あっという間に華やかな観光地になる。
世界中から人々が押し寄せ、若者たちはディスコパーティに明け暮れ、ファミリーたちもビーチで海水浴。
特別の指令を持ってやってきた米空軍たちにも、気が緩んで油断がでてくる。
その直後に、砂浜には多くの魚の死骸が打ち揚げられる。
大量の魚の死骸・・・この意味を理解する軍人たちは顔を青ざめる。
慌てて放射能防御服を身に着けようとしたり、人目も憚らず必死で走り逃げようとするものの、全てが手遅れだというのを悟っている。
パニックになっているアメリカ人たちを見て、島民や観光客たちはぽかーん。
だけども、海辺に打ち揚げられている無数もの魚の死骸を見ても
「何てことはないだろう」と気にもとめない。
人々は海で泳ぎ続け、水道水を飲み踊りに明け暮れ、どんちゃん騒ぎを繰り広げる。
作動したPAシステムが
「アテンションプリーズ、アテンションプリーズ・・・」呼びかける。
アテンション、プリーズ!!
だけども誰も警告アナウンスに耳を傾けず、踊り騒ぎ続け、突然真っ暗になり、映画はおしまい。
現実とのギャップをくっきり目立たせるために、
被爆うんぬんの前後の世界の対比をはっきりさせるために、
すぐそこまで迫っている恐怖を煽るためにあえて腹を抱えて笑う数々のブラックジョークや、煌びやかな素敵な場面を前半では用意していたのだな、とこの後半で気が付きます。
汚染された水道水を、何も知らない人々が飲むあたりから、なんだか胸がどっきん。
陸に打ち揚げられたすさまじい量の魚の死骸・・・このシーンで涙が出ます。
ちなみに「魚」はキリスト教で「イエス」の意味など持ちます。
【魚が出てきたことをどうとらえるか】
この映画の感想は、いつどの時期にどのタイミングで見るか、ということによって
大きく変わってくるのではないでしょうか。
このストーリーの基になった事件が起きた時代に見ればリアルに感じ、
平和な時代に見ればピーンとこないでしょう。
しかし私たち日本人は2011年に
「放射能漏れ!?」という身も凍るようなニュースを耳にしました。
実際どのくらい深刻であろうとも、
メルトダウンの報道は誰もがゾッとしたはずです。
その時にこの映画を見ていれば、
エンディングの魚が死んで海に浮かび上がってきて、
「アテンションプリーズ!」の必死の呼びかけにおぞましく反応したことでしょう。
「魚が出てきた」意味を大いに理解し、顔を青ざめたことでしょう。
今現在平和ボケをしているのならば、
それはそれでこの映画を改めてみるべきです。
刺身をつまみながら鑑賞するのも良し。
放射能をなめてはいけない、という戒めになることでしょう・・・
コメディ的要素とポップなファッショナブルなアートの世界をとり入れながら
上手に問題提議を起こした一級の社会派ドラマといえるのではないでしょうか。
この映画「魚が出てきた日」は、「その男ゾルバ」「エレクトラ」等で知られるギリシャ出身のマイケル・カコヤニス監督の問題作ですね。
この映画の冒頭、スペインのフラメンコダンサーが登場して「原爆が落ちるのはスペインだけとは限らない」みたいな歌を唄います。
そして、舞台はギリシャの貧しい島に移り、その上空で爆撃機がトラブルを起こし、トム・コートネイとコリン・ブレイクリーのパイロットは、積荷の核爆弾2基、高濃度の放射性物質を閉じ込めた金属製の箱をパラシュートで落下させ、自分たちもその後を追って飛び降りるのです。
この件は、1966年1月17日、スペインのパロマレスという村の上空で、4基の核爆弾を搭載した米軍のB-52が事故を起こしたが、爆弾はパラシュートで落としたため、事無きを得たという事件が、実際に発生していたんですね。
この1年後に、その事件をいち早く頂戴して、近未来を舞台にSFブラックコメディに仕立てたのが、この「魚が出てきた日」なんですね。
二人のパイロットは、当局と連絡を取ろうと右往左往。
違うルートで墜落の情報を得た当局の連中は、ホテル業者を装って島に乗り込み、開発という触れ込みで、島の一部を買い取り、爆弾と金属の箱探し。
どうにか2基の爆弾は回収出来たが、最もヤバイ金属の箱がどうしても見つからない。
では、その箱はというと、貧乏な羊飼いの夫婦がこの箱を発見し、お宝に違いないと思い、こっそりと家に持ち帰り、あらゆる手を尽くして開けようとしていたのだ——–。
真っ赤に日焼けし、パンツ一枚の姿でお腹を空かして、うろうろする二人のパイロット。
ド派手なリゾートファッションに身を包み、その状況をエンジョイするホテル業者に化けた兵士たち。
そんな彼らの出現に、島の未来を確信して浮かれまくる村人たち。
新しいリゾート地登場という情報を得て、徒党を組んで詰めかける観光客—–そんな様子が過剰過ぎるほどデフォルメされたマイケル・カコヤニス監督の演出で描かれていきます。
一応、舞台が近未来なので、衣装も未来仕様だが、今見るとシルク・ドゥ・ソレイユっぽいサーカス風で、派手過ぎて滑稽なくらいだ。
こういう描写が長いので正直、観ていて疲れるのだが、羊飼いがひょんなことから金属の箱を開ける方法を見つけたあたりから、そういう疲れが吹き飛ぶような展開が待っている。
とりわけ、原発事故が継続中の今の日本では、この展開はあまりにも怖すぎますね。