ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラの紹介:2014年ベルギー,アイルランド映画。近代建築の巨匠ル・コルビュジエと、彼が唯一その才能に嫉妬したとされるアイリーン・グレイとの確執を描いたドラマ。撮影には実際の建築物や家具が使われ、ジョン・レノンの息子ジュリアン・レノンがスチール写真を手掛けた。
監督:メアリー・マクガキアン 出演:オーラ・ブラディ(アイリーン・グレイ)、ヴァンサン・ペレーズ(ル・コルビュジエ)、フランチェスコ・シャンナ(ジャン・バドヴィッチ)、アラニス・モリセット(マルサ・ダミア)、ドミニク・ピノン(フェルナン・レジェ)、アドリアーナ・ランドール(シャルロット・ペリアン)、ほか
映画「ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラの予告編 動画
映画「ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ」解説
この解説記事には映画「ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラのネタバレあらすじ:起
1920年代、のちの近代建築の巨匠ル・コルビュジエは、まだ駆け出しの頃、すでにインテリアデザイナーとして成功していたアイリーン・グレイに出会い、真のモダニストとしてのその才能に人生で初めて嫉妬を感じていた。
アイリーンはそれまで、女性との恋愛を作品への糧としていたが、取材で出会った建築家ジャン・バドウィッチから建築の基礎を学ぶうちに、彼と愛し合うようになり、建築家としての作品を手掛けようと南仏の海辺に2人で家を造ることを決める。
当初ジャンはコルビュジエに設計を依頼するつもりだったが、彼の理論にアイリーンが真っ向から対立、自ら設計を手掛けることにする。
ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラのネタバレあらすじ:承
完成した邸宅は2人の名前から”E.1027”と名付けられ、モダニズムの記念碑とも称される傑作として絶賛されるが、ジャンが自ら発行する建築誌に掲載されたそれは、発行者としてジャンの名だけが載り、建築、設計者としてのアイリーンの名前はなかった。
そのため”E.1027”の所有者はジャンとなり、”近代建築の5原則”を取り入れたこの邸宅は、世間からコルビュジエの作品とされていた。
やがてアイリーンは仕事から自分を遠ざけ、酒に溺れ若手デザイナーと浮気するようになったジャンと距離を置くようになり、仕事に集中して自分のための家”テンペ・ア・パイア”を作り上げる。
ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラのネタバレあらすじ:転
そんな中”E.1027”ではアイリーンに無断でコルビュジエが壁画を施し、それを知ったアイリーンは家の精神を無視した行為にショックを受け、ジャンとの間の亀裂も深まる。
その後戦争を経て、久しぶりにアイリーンはジャンと再会する。視力が失われつつあり、完全に視力を失くす前に作品を見ておきたいというアイリーンに、ジャンは一人”E.1027”を訪れると、コルビュジエが壁画を更に派手なものにしていた。
新聞で壁画の件を見たアイリーンは深く傷つき、ジャンは元の状態に戻したいという彼女の意向を伝えるが、コルビュジエは聞き入れない。
ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラの結末
やがてジャンはガンに侵され、”E.1027”の名義をアイリーンにすることを言い残して息を引き取る。埋葬を終えたアイリーンが”E.1027”を訪れると、我が物顔で住み着いたコルビュジエと対峙する。その後もあたかも自分の所有物であるかのようにコルビュジエは家に手を加え続ける。
そして後年、”E.1027”を所有したいと思ったものの財力がなかったコルビュジエは、海運王オナシスも参加するオークションで知人に12万5000フランで落札させる。
のちに彼は”E.1027”を臨むカップ・マルタンの海で海水浴中に心臓発作で死亡。その10年後、アイリーンは96歳でこの世を去る。”E.1027”は修復されたのち国家遺産に指定され、アイリーンの手掛けた椅子は2009年のオークションで当時の史上最高額1950万ユーロ(約28億円)で落札された。
以上、映画「ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ」のあらすじと結末でした。
肩書は近代建築の巨匠ル・コルビュジエといわれているが、私生活では、アイリーン・グレイの才能に嫉妬し、彼女との確執が生まれる。コルビュジエは、建築家という、いうならば「ハードウェア」を担当する立場であり、アイリーン・グレイはインテリアという「ソフトウェア」を担当する立場なのだから、お互い理解し合えば、共同作業でさらにすばらしい歴史的財産を創造できたのではなかったのかと思えた。