翼よ!あれが巴里の灯だの紹介:1957年アメリカ映画。アメリカの飛行家チャールズ・リンドバーグの自伝回想録『The Spirit of St. Louis』を映画化した伝記映画で、1927年5月20日から21日にかけての33時間半、愛機「スピリット・オブ・セントルイス号」で歴史的な無着陸での大西洋単独横断飛行を成し遂げるまでを描きます。
監督:ビリー・ワイルダー 出演者:ジェームズ・ステュアート(チャールズ・リンドバーグ)、バーレット・ロビンソン(ベンジャミン・フランク・マホニー)、アーサー・スペース(ドナルド・A・ホール)、パトリシア・スミス(鏡の少女)、マーレイ・ハミルトン(ハーラン・A・“バド”・ガーニー)、マーク・コネリー(ハスマン神父)、チャールズ・ワッツ(O・W・シュルツ)ほか
映画「翼よ!あれが巴里の灯だ」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「翼よ!あれが巴里の灯だ」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
翼よ!あれが巴里の灯だの予告編 動画
映画「翼よ!あれが巴里の灯だ」解説
この解説記事には映画「翼よ!あれが巴里の灯だ」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
翼よ!あれが巴里の灯だのネタバレあらすじ:起
1927年5月、アメリカ・ニューヨーク州ガーデンシティ。若き飛行士チャールズ・リンドバーグ(ジェームズ・スチュワート)は前人未踏の太西洋無着陸横断飛行に挑もうとしていました。
しかし、ホテルの部屋にこもったリンドバーグは中々寝付けず、協力者の「ライアン航空会社」社長ベンジャミン・フランク・マホーニー(バートレット・ロビンソン)から心配されてもどうしても眠れませんでした。リンドバーグはこれから旅を共にする単発機「スピリット・オブ・セントルイス号」のことを想いながら、これまでの辿ってきた苦難の道のりを振り返っていました―――。
―――1926年。当時無名だったリンドバーグは郵便飛行士として各地を駆け回っていましたが、悪天候に見舞われて愛機を失ってしまいました。やむなく列車で目的地に向かうことにしたリンドバーグは、車内で出会ったセールスマンのO・W・シュルツ(チャールズ・ワッツ)からある情報を入手しました。
それは、ニューヨークとパリの間の大西洋を無着陸での横断飛行に成功すれば賞金2万5千ドルの賞金がもらえる“オルティーグ賞”のことでした。
翼よ!あれが巴里の灯だのネタバレあらすじ:承
オルティーグ賞に挑戦する意思を固めたリンドバーグは、早速セントルイスの商工会議所や街の投資家らを募り、飛行機購入資金1万5千ドルを調達することに成功しました。リンドバーグは単発単葉機ベランカ機を購入するためニューヨークの「コロンビア航空会社」との交渉に臨みましたが、リンドバーグが無名であることを理由に購入を断られてしまいました。
1927年3月。失意のリンドバーグは購入資金を投資家たちに返上しようかとも考えましたが、後援者の後押しでカリフォルニア州サンディエゴの小さな航空会社「ライアン航空会社」を紹介されました。社長のマホーニーと設計技師のドナルド・A・ホール(アーサー・スペース)はリンドバーグの申し出を快く引き受け、当初完成まで90日かかるとされていた飛行機を何と63日で完成させました。時に1927年4月28日のことでした。
当時はアメリカ側やフランス側の飛行家たちが続々と太平洋無着陸飛行への参戦準備を進めており、リンドバーグとしては何としてもライバルに先を越されるわけにはいかなかったのです。折しもパリを飛び立ったフランス側の飛行家が乗機の墜落事故で命を落とし、投資家たちの間には不安がよぎりましたが、リンドバーグは決して諦めることはありませんでした。
翼よ!あれが巴里の灯だのネタバレあらすじ:転
1927年5月20日。遂にリンドバーグが太平洋無着陸飛行に飛び立つ日が訪れました。リンドバーグは軽量化のためにパラシュートなどの装備すらも搭載せず、天井に取り付けた磁気コンパスを見るための鏡探しにも苦慮しましたが、たまたま見物に来ていた少女(パトリシア・スミス)から丁度よい手鏡をもらい受けました。リンドバーグはお礼として少女を機内に座らせ、各部の説明をしてあげました。
出発地のニューヨーク・ルースベルト飛行場は悪天候に見舞われており、マホーニーは飛行延期を提案しましたが、ライバルに負けるわけにはいかないリンドバーグは出発を強行することにし、マホーニーはリンドバーグが軽量化のため持っていかないことにしていた、かつてリンドバーグが飛行教官だった頃の生徒だったハスマン神父(マーク・コネリー)からもらったお守りをこっそりと荷物の中に入れておきました。手にしました。
そして午前7時52分、リンドバーグは結局一睡もできないままルーズベルト飛行場から離陸、眠気と闘いながらも順調な飛行を続けました。飛行中、リンドバーグは自分がバイクから飛行機に乗り換えた日のこと、飛行仲間のハーラン・“バド”・ガーニー(マーレイ・ハミルトン)と曲技飛行団で旅回りをしていた時のことなどを思い出していました。
やがてセントルイス号はアメリカ大陸を離れて大西洋上に出ましたが、氷河上空に差し掛かった時に突然機体に氷が付着し始め、リンドバーグは機体の高度を下げて何とか氷を引き剥がすことに成功しました。やがて夜になり、コンパスの異常に気づいたリンドバーグは星を頼りに何とか飛行を続けましたが、遂に睡魔に負けて眠ってしまい、予定の飛行コースを外れてしまいました。セントルイス号は高度を下げ始め、リンドバーグは少女から譲り受けた鏡が顔を照らしてくれたおかげで命拾いをしました。
翼よ!あれが巴里の灯だの結末
1927年5月21日。離陸から28時間が経過、リンドバーグはようやくアイルランドのディングル湾に差し掛かりました。リンドバーグは最後の力を振り絞ってイギリスのプリマス上空を通過、そのままイギリス海峡を飛び越えました。食事を採ろうとしたリンドバーグは、マホーニーが密かにサンドイッチの袋に忍ばせていたハスマン神父のお守りに気づきました。
フランスのシェルブール上空に差し掛かったリンドバーグはいよいよ目的地のパリまであと1時間の距離に迫りましたが、操作を誤って危うくエンジンを停止しかけてしまいます。それでも危機を脱したリンドバーグは遂にパリ上空に辿り着き、凱旋門やエッフェル塔などを間近に見ながら到着地のル・ブルジェ飛行場を目指しました。
着陸の瞬間、決して信心深いとはいえないリンドバーグでしたが、ハスマン神父のお守りに祈りを込めました。そして離陸から33時間39分20秒、リンドバーグは遂に史上初の無着陸での大西洋横断飛行を成功させ、出迎えた20万人のパリっ子の大歓迎を受けました。そしてリンドバーグは国民的英雄としてニューヨークに凱旋帰国、熱狂する400万人の人々に迎えられました。
以上、映画「翼よ!あれが巴里の灯だ」のあらすじと結末でした。
壮大なスケールの映画でとても感動しました。敵は自分とか、自分との戦いだという事を、普段自分に言い訳ばかりしているので、より深く考えさせられる映画でした。計画が無謀でも、一つ一つ克服して、目標に向かって少しでもいいから前進させようと思いました。