大列車作戦の紹介:1964年アメリカ映画。フランスのジュ・ド・ポーム国立美術館の元館長ローズ・ヴァランのノンフィクション「美術戦線」を原作に映画化された戦争ドラマです。第二次世界大戦末期、ナチスドイツに占領されていたフランス・パリを舞台に、軍事費捻出のため美術品を国外に持ち出そうとするナチス軍人と、それを阻止しようとする鉄道員たちの攻防を描いています。
監督:ジョン・フランケンハイマー 出演者:バート・ランカスター(ポール・ラビッシュ)、ポール・スコフィールド(フランツ・フォン・ヴァルトハイム大佐)、ジャンヌ・モロー(クリスティーヌ)、シュザンヌ・フロン(ヴィラール女史)、ミシェル・シモン(ブール機関士)ほか
映画「大列車作戦」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「大列車作戦」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「大列車作戦」解説
この解説記事には映画「大列車作戦」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
大列車作戦のネタバレあらすじ:起
第二次世界大戦末期の1944年8月、ノルマンディー上陸を成し遂げた連合軍はナチスドイツが支配するフランス・パリに迫り、いよいよナチスドイツの敗戦は濃厚になっていました。そんな折、パリではナチスドイツ軍のフランツ・フォン・ヴァルトハイム大佐(ポール・スコフィールド)は軍事費を捻出するため、独断でゴーギャン、ルノワール、ゴッホ、マネ、ピカソ、ドガ、ミロ、セザンヌ、マチスといった超大物芸術家の美術品の略奪を開始、列車でドイツ本国へと運び出そうとしていました。美術館長のヴィラール女史(シュザンヌ・フロン)はこれを阻止するためにフランス国有鉄道に協力を依頼します。
大列車作戦のネタバレあらすじ:承
国鉄の操車係長にして反ナチスのレジスタンス活動に身を投じている熱血漢のラビッシュ(バート・ランカスター)は絵画に命を賭けることはできないと要請を断ります。輸送列車は数々の美術品を積んで予定通りに出発することになりますが、機関車の老運転手ブール(ミシェル・シモン)は密かに機関車のエンジンに細工して事故を偽装します。しかし、ブールの目論みはすぐに鉄道管理将校ヘーレン少佐(ヴォルフガング・プライス) に見破られ、ラビッシュの命乞いも虚しくブールは銃殺刑に処されます。
大列車作戦のネタバレあらすじ:転
鉄道員たちのサボタージュに激怒したヴァルトハイム大佐は、今度はラビッシュに列車の運転を命じます。ブールの死に怒りを燃やしたラビッシュは遂に列車運行の妨害を決意、レジスタンス仲間の協力を得て通過駅の駅名標示板を一斉に書き換えるという大胆な作戦を展開、列車は一晩中パリ周辺を回り、夜が明けると再び元の出発駅に戻っていました。その後もラビッシュは機関車を爆破したり脱線させたりと妨害工作を展開していきます。
大列車作戦の結末
業を煮やしたヴァルトハイム大佐は部隊を総動員、一般市民たちを人質にとって列車を出発させます。次々と仲間たちを殺されていたラビッシュは単独で阻止に動き、パリ郊外へ先回りして線路を爆破、列車を脱線させます。ちょうどその頃、もはや連合軍によるパリ解放は次々とパリを脱出していました。列車の警備兵たちは人質を殺害し、大佐を見捨てて逃走していきました。ヴァルトハイム大佐はラビッシュに美術品の崇高さを説き、ラビッシュらの行為を批判しますが、美術品よりも人命の方が大事だと考えるラビッシュは多くの犠牲を出したヴァルトハイム大佐を射殺、美術品らを置き去りにして立ち去ります。その日、パリは連合軍によって解放されました。
この映画「大列車作戦」は、アクション映画の名匠ジョン・フランケンハイマー監督が、美術品を巡るドイツ軍将校とレジスタンスの闘士の虚々実々の駆け引きを、スリリングに描いた、反戦映画の力作だと思います。
この映画「大列車作戦」は、第二次世界大戦末期、ナチス占領下のフランスにおいて、フランスが世界に誇るピカソやセザンヌ等の、ルーブル美術館所蔵の数々の名画を列車に積んで、ドイツへ持ち去ろうとする、ドイツ軍将校フォン・バルトハイム(ポール・スコフィールド)と、それを阻止しようとするフランス国有鉄道の整備士でレジスタンスの闘士ラビッシュ(バート・ランカスター)との、虚々実々の駆け引きを描いた実話の映画化作品ですね。
線路のポイントを切り換えて進行方向を変えたり、駅名を変更してドイツ側の目をごまかしたりして、列車を延々と時間をかけて引き回す等の阻止作戦が、非常に大がかりなもので、我々観る者は、この作戦がいつバレるかとハラハラ、ドキドキしながらのサスペンスがたっぷりと、走る列車の迫力と緊迫感の相乗効果によって、我々観る者の心をつかんで離しません。
とにかく、アクション映画の名匠ジョン・フランケンハイマー監督による演出技法が、シンプルな力強さに満ち溢れていますが、レジスタンスの抵抗運動を蒸気機関車のイメージと象徴的に重ね合わせた映像が、極めて効果的な役割を果たしていると思います。
かつてこの映画を初めて観た時は、活劇要素の強いアクション映画かなと思って観初めましたが、ミシェル・シモン演じる機関士がサボタージュの現場を押さえられて、即座にドイツ軍から銃殺される場面を初めとして、次々とレジスタンスの仲間や人質が殺されていくのですが、勇猛果敢な主人公のラビッシュは、やがて、これらの美術品を守り抜くという事のために、罪もない多くの人々がこんなに犠牲になっていいものだろうか?—-という、精神的な苦悩やジレンマに苛まれていきます。
この映画の中での印象的なエピソードとして、主人公のラビッシュが、ある駅の駅長室にいたドイツ兵を一人絞め殺します。
すると、そこに偶然、居合わせたフランス人の駅長が、さっと自分で自分にさるぐつわをかませて、そこにあった縄を取り出して、ラビッシュに縛ってもらいます。
このコミカルで喜劇的な人物が、その後、ドイツ軍に捕らえられて、あっという間に銃殺されてしまうという、短いけれども凄惨で残酷なショットがありますが、このようなコメディリリーフ的な喜劇的な人物が、これまでの映画では悲惨な目に会う事などあり得ないという、娯楽映画の定石を完全に覆してしまう描写があり、美術品のために、これだけの生命を犠牲にする事の意味は?—-という、この映画の中で繰り返し語られる言葉が、この場面を観て、何か心にひっかかるものを感じてしまいます。
そして、この映画のラストシーンで、ドイツ軍将校のフォン・バルトハイムが、芸術の価値について、レジスタンスの闘士ラビッシュに、「お前には、お前が守ろうとした物の価値はわからないだろう。
今までお前がして来た事は、何のためであったのか、自分にもわかるまい。
美術品が持つ価値は、それを理解する者にしかわからないのだ。
だから、それがわからないお前はただのクズだ」といった内容のセリフを、目の前に累々と横たわる死体を前にして、平然と冷酷に言ってのけますが、この強烈なシーンを描く事で、ユダヤ系のジョン・フランケンハイマー監督が、ナチス及び現代にも生き残っている、ナチス的思想の怖さ、傲慢さ、愚かさ等を強烈に批判しているメッセージなのだと思います。
この映画は、内容的にも白黒の映像で撮る事で、映画の持つ厳しさや緊迫感が良く描かれていたと思いますが、この映画も含めて、ジョン・フランケンハイマー監督の初期の白黒の作品として、「明日なき十代」「終身犯」「影なき狙撃者」「5月の7日間」等があり、あらためて、白黒映画の持つ力強さ、素晴らしさを感じてしまいます。
出演俳優としては、主人公のバート・ランカスターは、この映画の前に「エルマー・ガントリー 魅せられた男」でアカデミー主演男優賞を受賞し、その後、イタリアの芸術派の巨匠ルキノ・ヴィスコンティ監督の「山猫」に出演と、まさに彼の俳優としての円熟期を迎えていた時期に出演していたわけで、きびきびとしたアクションとその中で苦悩する人間のジレンマを見事に演じていたと思います。
また、相手役のドイツ軍将校フォン・バルトハイムを演じた、イギリスの舞台出身の名優ポール・スコフィールドは、後にフレッド・ジンネマン監督の「わが命つきるとも」でトーマス・モアを実に奥深い人間像として演じて、アカデミー主演男優賞を受賞する等して、この映画でも尊大な人間が持つ、複雑で矛盾に満ちた人間像を、見事に演じていたと思います。
そして、フランスの名女優ジャンヌ・モローも、美術館館長のピラールを言葉ではなく、その目力で表現する内面的な演技の凄さで、その存在感を示していたと思います。