天才作家の妻 40年目の真実の紹介:2019年スウェーデン,アメリカ,イギリス映画。世界中の作家の憧れのノーベル文学賞、アメリカ人作家が受賞します。大喜びの作家に対し、なぜか妻は複雑な表情です。ストックホルムでの授賞式、作品に不審を感じたジャーナリストが作品の執筆過程の秘密を暴き夫婦仲に危機が訪れます。世界中が注目する中で夫婦の結末はどうなるのでしょうか?『天才作家の妻 40年目の真実』はグレン・クローズが献身的な妻を熱演、夫婦仲、女性差別などについて考えさせられる映画です。
監督:ビョルン・ルンゲ 出演:グレン・クローズ(ジョーン・キャッスルマン)、ジョナサン・プライス(ジョゼフ・キャッスルマン)、クリスチャン・スレイター(ナサニエル・ボーン)、マックス・アイアンズ(デビッド・キャッスルマン)、ハリー・ロイド(若い頃のジョゼフ・キャッスルマン)、アニー・スターク(若い頃のジョーン・キャッスルマン)、アリックス・ウィルトン・リーガン(スザンナ・キャッスルマン)、
映画「天才作家の妻 40年目の真実」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「天才作家の妻 40年目の真実」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
天才作家の妻 40年目の真実の予告編 動画
映画「天才作家の妻 40年目の真実」解説
この解説記事には映画「天才作家の妻 40年目の真実」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
天才作家の妻 40年目の真実のネタバレあらすじ:起・ノーベル賞に大喜びの夫と複雑な表情の妻
1992年、作家ジョゼフ・”ジョー”・キャッスルマン(ジョナサン・プライス)は早朝、スウェーデンのノーベル賞委員会より文学賞受賞の知らせを受けます。妻のジョーン(グレン・クローズ)はちょっと複雑な表情ですが、ベッドの上で二人で踊り受賞を祝います。ジョゼフの受賞を祝うパーティー、息子のデビッド(マックス・アイアンズ)も作家志望、ジョゼフは娘スザンナの出産後に孫ができるということで大喜びです。家族で写真を撮り、ジョゼフは幸せを楽しみます。
ジョゼフはジョーン、デビッドとスウェーデンのストックホルムの授賞式に向かいます。機内でジャーナリストのナサニエル(クリスチャン・スレーター)がしつこくつきまとうため、ジョゼフはナサニエルを追い出しますが、ジョーンは夫を失礼な態度と怒ります。ホテルにチェックインするジョゼフ一家はノーベル賞関係者に迎えられますが、ナサニエルもいます。ナサニエルはジョゼフの伝記を書く予定といいます。
(ジョーンの回想シーン)1958年、女学生のジョーン(アニー・スターク)は小説家志望です。彼女は独身、既婚で大学教授であったジョゼフ(ハリー・ロイド)から小説を褒められるますが、ジョゼフの赤ちゃんの子守を頼まれます。大雨の中ジョーンはジョゼフの家に行き子守をします。
天才作家の妻 40年目の真実のネタバレあらすじ:承・ジョゼフの作品の謎
ジョーンとジョゼフの寝起きを合唱団が訪れます。ジョゼフは喜びますがジョーンはベッドから逃げ出します。他の受賞者との顔合わせのパーティ、お互いの家族を紹介しますが、ジョゼフの「妻は小説を書けないよ」という言葉にジョーンは複雑な表情をみせます。ジョゼフはデビッドと車の中でパーティでの態度で口論を始め、ジョーンはジョゼフに「受賞のスピーチでは私への感謝を述べないで」と言います。
翌朝、ジョゼフはジョーンを授賞式リハーサルに誘いますが、ジョーンは孤独を楽しみたいと言います。レストランへ行くジョーンはナサニエルと会って打ち解けて、過去のこと、ジョゼフの元妻の近況や、昔ジョーンが作家を目指していたこと、などを話します。ナサニエルは作品の執筆過程に疑念を抱いているようで、ジョゼフの作品はジョーンとの結婚後に良くなったなどと言います。ジョゼフはリハーサルで気分が悪くなり部屋で休んでいると、写真家の女性が部屋を訪れます。女性に好意を持つジョゼフですが、血圧の測定器が鳴ると女性は部屋から出ていきます。
(ジョーンの回想シーン)ジョゼフはジョーンに愛情を持ち激しくキスします。ジョーンは他の女性作家と仕事について話しますが、女性が作家として成功することの難しさを聞きます。
天才作家の妻 40年目の真実のネタバレあらすじ:転・ゴーストライター疑惑と家族の決裂
ホテルの部屋でジョゼフはジョーンを心配していましたが、夫婦喧嘩が始まります。ジョーンはジョゼフの写真家の女性との関係を疑います。しかし、突然の娘からの電話、孫ができたことを知ると、二人は抱き合います。関係を修復した家族ですが、デビッドが一人でいるとナサニエルが近づき、デビッドに話しかけます。ホテルの部屋で夫婦がデビッドを心配していると、彼が帰ってきます。デビッドは怒りの表情でナサニエルが「ジョーンはジョゼフのコーストライター」と言い、それはジョーンも認めたと言います。ジョーンはナサニエルなど信用するなと言います。しかし、デビッドは泣き出します。
(ジョーンの回想シーン)1960年、ジョーンはジョゼフと暮らし始めましたが、出版社でお茶くみをしています。家に帰るとジョーンはジョゼフの小説の批判を始めてしまい、ジョゼフを怒らせます。ジョーンは泣きながら関係修復を求め、ジョゼフの小説を直すと言いジョゼフも同意します。ジョーンは出版社がジョゼフの出版を認めたと大喜びで伝えると、二人はベッドの上で踊ります。1968年、結婚して子供もできた二人、ジョーンは小説を書いていますが、子供のデビッドが来ると現場を見せないようにジョゼフが追い出します。
天才作家の妻 40年目の真実の結末:夫婦の運命と妻の決断
ノーベル賞授賞式、嬉しそうな表情ではないジョーンは晩餐会でスウェーデン国王と食事、仕事を聞かれ「キングメーカー(王を作った人)」と言います。ジョゼフの受賞スピーチ、「この賞は彼女に行くべき」と妻を称え、賞を分かち合いたいと言いますが、彼女が書いたことは言いません。会場は大きな拍手、しかし、ジョーンは会場を去ります。ジョゼフは追いかけますが、車中で口論を始めます。ホテルの部屋ではジョゼフは「自分がジョーンが執筆に専念できるようにした」と言いますが、ジョーンは過去の自分が書いた本を投げ捨て、ジョゼフの浮気を批判し離婚を持ち出します。突然、ジョゼフが心臓発作を起こし倒れます、ジョゼフは愛していると言うジョーンに「おまえは人の良い嘘つきだね」と言いながら意識を失い死亡します。帰りの飛行機、ジョーンとデビッドにナサニエルが話しかけます。ジョーンはナサニエルに、「ジョゼフの伝記を書くのは良いが、評判を傷つける内容は告訴する」と言います。ジョーンはデビッドに「アメリカに帰ったらすべてを話す」と言います。
以上『天才作家の妻;40年目の真実』のあらすじと結末でした。
【家族の温度差を描く秀逸な人間ドラマ】 この作品は「アイロニーとウィット」に富み、「ユーモアとペーソス」を混ぜ合わせた「ミックスジャム」の様な、極めて巧妙で、すこぶる「秀逸な人間ドラマ」に仕上がっている。更に突き詰めて言えばこの映画は一種の「残酷物語」ではないかとも思う。 映画の前半はほのぼのとした「ホームドラマ」の様相を呈しているが、ノーベル賞の授賞式が近づくにつれて、ごくありふれた老夫婦の関係は一変する。「一天にわかに搔き曇り」「風雲急を告げる」のである。そして妻にとっても夫にとっても大変辛いクライマックスが訪れる。前半のジョゼフを中心にした「ホームドラマ」が、映画の後半ではジョーンが中心となったシリアスな「人間ドラマ」に様変わりするのである。 【そして妻は観音菩薩になった】 優しくて献身的な妻はその代償として、自分を殺すことで「偽りの人生」を歩まざるをえなかった。彼女の人生は「皮肉と残酷」が入り混じった「ミックスジャム」の甘くてほろ苦い味がする。 また作家の妻を演じたグレン・クローズの顔(人相)を見ていて幾つか気が付いたことがある。その垢ぬけた清々しい笑顔と「仏像」のような「慈愛」に満ちた穏やかな眼差し。なるほど「美しく老いるということ」は、こういうことだったのか。そしてグレン・クローズの顔が、まるで「北欧の森の番人」である、「メンフクロウ」(白塗り)のようにも見えた。フクロウは古来より「知性の象徴」とされている。クローズ演ずる妻のジョーンも、賢いフクロウのように全てを見通し「達観している」のである。この「作家の妻」が到達した境地のことを、私は神聖なる「観音菩薩の領域」であるとみている。つまり彼女は「俗物で愚人」の夫ジョゼフの下(もと)でひたすら修業を積んでいたという訳である。この妻にとってはダメ夫を「あやす」行為も、ゴーストライターとして代筆する行為も、どちらも大切な「人生の修業」だったのである。だからこそジョーンは小説を書けば書くほどに「覚醒」してゆき、修業を積めば積むほどに人間的な成長を遂げてより一層成熟していったのである。 【哀れな道化師】 一方で「天才作家」を自称する夫のジョゼフの方は、クリエーターとしての才能も無ければ、人間としても著しく「未熟なエゴイスト」である。一見すると人当たりが良くて万人受けする「八方美人」だが、実際には他者に対する配慮が足りない「凡夫」であり「小人物」なのである。彼は「成長期」にジョーンという「天才作家」と一緒になって、彼女に全面的に頼ることで完全に「思考停止」に陥った。つまり、小説も人生も全てを妻に丸投げすることによって、人間としての成長がそこで止まってしまったのである。これは「ネオテニー」(幼形成熟)の逆で、外見は「老紳士」だが内面は「幼児」と変わらない「エゴイスト」なのである。つまり彼はタキシードに身を包んだグロテスクな「道化師」だったのである。だからスウェーデンでのノーベル賞受賞式に臨む、この老いた道化師の悲しき末路は滑稽でもあり哀れでもある。 【妻と夫の致命的な温度差】 クライマックスの授賞式のスピーチではジョゼフは妻のことを絶賛し思いっ切り持ち上げる。恐らくこれはノーベル賞史上でも異例であり、会場のオーディエンスは驚きと感動の渦に包まれる。とろが、ジョーンはこの夫の「姑息であざとい演技」(臭い猿芝居)には耐えられない。ジョーンは夫が必死になって自分に媚びるその行為と、徹底的に「腐り切った精神」が許せないのである。そして悪戯をした幼児が母親に許しを乞うようなその「稚拙さ」が鼻持ちならないのだ。夫は未成熟な小人物であるから、なぜ妻が激怒し愛想を尽かすのかが理解できない。つまりこれが夫婦間のギャップであり、妻と夫の「致命的な温度差」なのである。 【父子の確執と葛藤】 息子のデビッドは一貫して父親に不信感を抱いており、父のノーベル賞授賞で、より一層距離を置くようになる。子供の頃から父親が未成熟なのを見て来たので、ジョゼフが「天才作家」であることが未だに信じられないのだ。一方でジョゼフは、息子の前では偉大な作家を演じながら常に尊大な態度で接しようとする。更にジョゼフはデビッドを一人前の男としては認めずいつまでも子供扱いする。そしてジョゼフは自分の偉大さをアピールする為に常に「マウント」をとるのである。そのようにして息子の才能と人格を「全面否定」してきた。残念ながらこのことは、巷の父親と息子の間ではよくあることだ。 そこで私はこう考えてみた。もしも仮にノーベル賞の受賞後も夫婦仲が良好で、ジョゼフの「偽装工作」が存続すれば、確実にデビッドはジョゼフに潰されていたのではないかと。もしそうであればデビッドは独善的で身勝手な父の圧政によって、自分の人生を棒に振り台無しにしたに違いない。 【虚飾に塗れた偽物の人生】 「ゴーストライティング」は高度に練られた「職人技」であり、これは一種の「名人芸」なのではないかとも思う。クラシック音楽界を騒然とさせた「佐村河内事件」は記憶に新しいところである。この事件がキッカケで、「ゴーストライター」の存在が広く知られるようになった。その逆もあるようで、著名な作家や大作曲家を騙った(なりすました)偽物も数多く出回っている。その辺りは音楽史(特に古楽とJ・Sバッハ)に精通した、私の大学時代の友人が2022年に出版した「偽作大全」に網羅されている。 「天才作家の妻 40年目の真実」は、虚飾に塗れた偽物の人生を歩み続けた男の、「可笑しくも哀しい」トラジコメディ(悲喜劇)である。そして私の持論は「映画とは凝縮された現実のことであり、それを更に先鋭化させたものがトラジコメディであり戯画なのである」 果たして私にはこの男(ジョゼフ)のことを、「愚かな人間もいたものだ」と笑い飛ばす資格があるだろうか。自分の人生を振り返り、「自戒の念を込めて」自問自答をしている。「他山の石以て玉を攻むべし」と言うことだ。