ホイットニー ~オールウェイズ・ラヴ・ユー~の紹介:2018年イギリス映画。1980年代から90年代の最盛期、アメリカの人気歌手であったホイットニー・ヒューストン。多くの曲をヒットさせ主演映画も大ヒットします。日本を始め世界中で公演を行い、世界を代表する歌手でもありました。幸せな結婚をした彼女も夫の暴力に悩み、麻薬と酒に溺れ健康を害し人気低落、2012年に悲劇的な最後を遂げます。『ホイットニー ~オールウェイズ・ラヴ・ユー~』は大スターの栄光と悲劇を親族、関係者の証言で振り返るドキュメンタリー映画。スターであることの栄光と影、酒や麻薬の恐ろしさ、家族愛などを考えさせられます。
監督:ケヴィン・マクドナルド 出演:ホイットニー・ヒューストン、ボビー・ブラウン(夫)、クリスチナ・ボビー・ブラウン(娘)、シシー・ヒューストン(母)、ケヴィン・コスナー(共演者)他
映画「ホイットニー オールウェイズ・ラヴ・ユー」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「ホイットニー オールウェイズ・ラヴ・ユー」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
ホイットニー ~オールウェイズラヴユー~の予告編 動画
映画「ホイットニー オールウェイズ・ラヴ・ユー」解説
この解説記事には映画「ホイットニー オールウェイズ・ラヴ・ユー」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
ホイットニー ~オールウェイズラヴユー~のネタバレあらすじ:起・ホイットニーの衝撃のデビュー、スターへの道
映画の冒頭ではホイットニー・ヒューストンの生前のインタビュー、神、両親について語ります。1963年ニュージャージー州生まれのホイットニー・ヒューストン。母シシーは歌手でしたが豊かな家庭ではありませんでした。熱心なキリスト教徒の家庭ゆえに教会に通うヒューストン家。ホイットニーは教会を愛し歌を覚えます。母はエルビス・プレスリーの後ろで歌うなどのキャリアはありましたが、ソロとしては歌は売れませんでした。母はホイットニーに夢を託し歌を教えます。私立高校に通うホイットニーは、母が夜のクラブで歌うのについていきますが、その歌声で人々を魅了します。13歳くらいから歌手になりたいと考えていたホイットニーは、まずはモデルとして成功します。そしてレコードデビューし、次から次へとヒットを飛ばし人気歌手の仲間入りをします。私生活でも恋愛を繰り返し、マスコミに騒がれます。
ホイットニー ~オールウェイズラヴユー~のネタバレあらすじ:承・麻薬との出会いと結婚
ホイットニーにとって高校時代の級友ロビンは友達以上の関係、同性愛関係だったとも噂されます。マスコミは父が金を払いロビンと別れろとホイットニーに言ったと報道します。ホイットニーの成功は彼女の家族の運命を変えます。父は平凡な庶民から大金を手にするような立場になります。兄のゲリーは元プロバスケ選手ですが、引退後はホイットニーのショーで歌います。多くの取り巻きができ、日本や世界中で公演を行います。大スターのホイットニー、プレッシャーからか麻薬に手をそめます。そんなホイットニーも母の前では赤ちゃんのように振る舞います。人気者ゆえに批判にもさらされ、ブーイングも受けます。恋の多い彼女も6歳下の歌手のボビー・ブラウンとは良い関係になり、1992年に結婚します。新婚旅行のイタリアではすでに妊娠していました。
ホイットニー ~オールウェイズラヴユー~のネタバレあらすじ:転・人気の絶頂、しかし家庭内暴力と麻薬への依存
生まれた子供、クリスティーナと歌うホイットニーは、幸せそうです。1991年のイラクとの戦争、ホイットニーはアメリカ最大のスポーツイベント・スーパーボールでアメリカ国家を絶唱し、愛国心を高めます。歌だけでなく映画「ボディガード」では当時人気絶頂のケヴィン・コスナーと共演します。主題歌「オールウェイズ・ラブユー」も大ヒットし、イラクのフセイン大統領ですら曲を自らの政治運動に使います。また、ケヴィン・コスナーとキスするシーンは話題になりました。アメリカでその人気は絶頂を迎え、南アフリカでも公演し国際的な人気を高めます。その一方で夫のボビーとの関係はよくありません。ボビーは家庭内暴力で逮捕され問題となります。夫の暴力に悩むホイットニー、そのストレスからかホイットニーは麻薬に依存するようになります。
ホイットニー ~オールウェイズラヴユー~の結末:悲劇の死
2000年代に入ると、ホイットニーは麻薬への依存から健康を害し、その歌唱力にも衰えが見え、人気も低下します。ホイットニーはメディアに麻薬中毒と描かれ、コメディアンやアニメで笑いものにされます。関係者は虐待されたホイットニーの少女時代を語ります。娘も母の後を追うように未成年にもかかわらず酒や麻薬に溺れます。リハビリ施設に行こうにも金に苦しくなります。音楽活動を再開しますが、その歌唱力は消え、モデル時代の美しさもなくファンとメディアから酷評されます。
2012年、ロサンゼルスのホテル、ホイットニー・ヒューストンの遺体が発見されます。麻薬への依存が彼女の健康を害し、その死を早めたと言われ、メディアはその死を大きく報道します。故郷のニュージャージーに帰る彼女の遺体を多くの人が出迎えます。映画の最後の字幕、娘クリスティーナも母ホイットニーのように麻薬依存で亡くなったこと、ホイットニーの歌手としての業績が流れます。
以上『ホイットニー ~オールウェイズラヴユー~』のあらすじと結末でした。
【文句なしのゴキゲンなエンタテイメント大作!】 〈声のブッポウソウ 姿のブッポウソウ〉 ホイットニー・ヒューストンの歌声を初めて聴いたなら、「万感の思いこみ上げて」「 胸は高鳴り」 「目頭が熱くなり」 やがては 感涙に咽ぶであろう。 そしてもしこれが本番のステージであったなら、「万来の拍手」と共に 一同総立ちの「スタンディングオベーション」が起こるであろう。 実際に彼女が「ソロシンガー」として公の舞台に立ったのは、母親の「代役で歌ったナイトクラブ」が最初だった。 そしてそのシーン(この映画で)を見ていた私も、ナイトクラブでの「歌唱」を聴いて「涙が止まらなく」なってしまった。 ホイットニーを含めた「超一流の女性ヴォーカリスト」の歌唱には、「波乱万丈」 起伏に富んだ人生の道程(プロセス)が示される。 その「遥かなる道のり」を見渡して、自らの「人生を達観/発見」した時に 、共感と友情と「リスペクトの精神」が芽生えるのである。 だからこそ、「ホイットニーヒューストン」や「ディオンヌ・ワーウィック」の歌声に感動するのだ。 ちなみにディオンヌはホイットニーの従姉(いとこ)にあたるそうだ。 「R&B」や「ゴスペル」(アカペラ)で鍛えた「本物の歌手は」ジャンルを超えて「万人に感動」を与えることができる。 そしてこの「映画でも描かれ」ていたように、 ホイットニーは「生涯 雑音」に悩まされ続けた。 私生活の「ゴシップ」やちょっとした「スキャンダル」など、様々な「誹謗中傷」があった中で、彼女を「最も傷つけた」のはホイットニーは「黒人ではなく」て、「白人の代表者」ではないのか? といったものだった。 人種やジャンルの「壁を打ち破った」アーティストとして、全米で、そして「世界で大旋風」を巻き起こしたホイットニー。 しかしその反面、「ホイットニーは黒人のくせに、ちっとも黒人らしくないではないか!」と「批判の矢面」に立たされることが多かった。 かく言う私もホイットニーの「並外れた実力」を認める一方で、彼女の「CDなどは1枚」たりとも「購入しなかった」のである。 「ゴスペル・ R&B ・ドゥーワップ ・ソウル ・ブルース」など、私は 「黒人音楽と黒人文化」の熱烈なギークで「病的なマニア」でもある。 つまり マニアだからこそ、ホイットニー・ヒューストンは若干 個性に乏しく「洗練され過ぎて」少し物足りなかったのである。 もっとソウルフルでファンキーなテイストや、熱っぽく粘っこい「土や汗や酒の匂い」を求めていたのだ。 つまり彼女にも適度な「臭みが必要」だったのである。 しかし今回この映画「ホイットニーオールウェイズ・ラブ・ユー」を視聴して、改めてホイットニー・ヒューストンの「偉大さを再発見/再認識」するに至ったのである。 ホイットニーのヴォーカルは黒人音楽の「マニア向け」ではないが、その分、「ファンやジャンルの垣根」を超えた ユニヴァーサルな「普遍性」を有しているではないか。 つまり彼女こそは、「黒人音楽」と「ポップミュージック」の「両方の歴史」に新たな「スタンダード」(価値基準)を「確立」させた唯一無二の「音楽界の巨人」だったのである。 この作品は事実に基づいた極めて巧妙な「セミドキュメンタリー」として、丁寧に作り込まれ「緻密に撮られ」ている。 だからこそ、「抜群の臨場感」と説得力のある「ゴージャスな作品」に仕上がっているのだ。 それで肝心のホイットニー役を演じた「ナオミ・アッキー」なのだが、はっきり言って私は彼女に「ゾッコン惚れ込んで」しまった。 この映画で主役をつとめた「ナオミ・アッキー」は、どこから見ても「 文句のつけようがなく」「全ての面で最高」なのであった。 ホイットニー本人は複雑かも知れないが、ナオミ・アッキーは この映画で 「ホイットニーを超えていた」と思う。 つまりこの映画の魅力は「そこにある」のだ。 ホイットニーにはない、黒人特有の「土や汗や酒の匂い」が「ナオミにはあった!」っと 言うことに尽きる。 だから私はホイットニーではなく、ホイットニー役を演じた「ナオミ・アッキーに惚れた」のである。 この作品は「あらゆる角度から」色んな意味で「素晴らしいエンタテインメント」であるが、その中でも「スーパーボールでの国歌斉唱」の場面と、映画のラストのライブコンサートの「ヒットメドレー」が秀逸で まさに「鳥肌もの」なのであった。 そしてナオミ・アッキーの「完璧なくちパク」(Lip-Synching)と彼女のシャープなパフォーマンスは、この作品に「新鮮な風」と「永遠の生命」を吹き込んだ。 そしてもちろん、本家本元「ホイットニー・ヒューストン」の熱唱は「永遠不滅」なのであった。 つまりは、「声のブッポウソウ」(ホイットニー)と、「姿のブッポウソウ」(ナオミ)が、見事に「シンクロナイズ」して この映画を成功へと導いたのだ。