雪夫人絵図(ゆきふじんえず)の紹介:1950年日本映画。舟橋聖一の代表作のひとつを巨匠溝口健二が映画化。脚色に当ったのは戦前から溝口とコンビを組んでいた依田義賢と舟橋の実弟である舟橋和郎。溝口監督の特徴である長回しの技法が効果を上げている。1968年にはやはり溝口作品の脚本家として知られる成沢昌茂によってリメイクされた。
監督:溝口健二 出演:木暮実千代(信濃雪)、久我美子(安部濱子)、上原謙(菊中方哉)、柳永二郎(信濃直之)、加藤春哉(誠太郎)、浦辺粂子(さん)、山村聡(立岡)、ほか
映画「雪夫人絵図」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「雪夫人絵図」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「雪夫人絵図」解説
この解説記事には映画「雪夫人絵図」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
雪夫人絵図のネタバレあらすじ:起
熱海の海を見下ろす信濃家の別荘へ、女中として雇われることになった若い女性、安部濱子がやってきます。幼い頃から憧れていた信濃家の若夫人である雪に仕えるのだと思うと、彼女の心は弾んでいました。
ところが折悪しく大殿様と呼ばれる雪の父が急逝したため、彼女は休む暇もなく東京の屋敷に出かけることになります。その道連れとなるのが、菊中方哉という男でした。彼は今は琴の師匠として生計を立てていますが、元々信濃家の書生で、雪の幼馴染です。
雪夫人絵図のネタバレあらすじ:承
東京の屋敷に着くと、婿養子である直之が財産の処理などについて文句をつけていました。彼はひたすら道楽に耽っていて、京都のキャバレー嬢を愛人にするなどやりたい放題です。妻である雪はまるで闇の女のように扱われているのですが、いくら虐待されても夫の肉体に惹かれていて別れることができません。
葬式後、雪が信濃家の遺産を整理すると、もう熱海の別荘しか財産は残っていないことが判明します。雪は菊中にアドバイスされるまま、別荘を旅館に変えて客商売を行なうことを決意。直之はそんな内情を尻目に芸者遊びを続け、たまに帰ってきても女を連れ込んで雪を悩ませます。
雪夫人絵図のネタバレあらすじ:転
我慢できなくなった雪は菊中に促され、別れを決心して京都でお茶屋遊びをしている直之の元を訪ねるのですが、どうしても別れを切り出すことができず、薬を飲んで自殺を図ります。幸い、それは未遂に終わるものの、菊中はそんな彼女に愛想を尽かしてしまいます。
間もなく直之は遊蕩が祟って借金が嵩み、旅館を愛人に経営させて金の工面をしようとします。雪はそれには抵抗するものの、やはり直之の肉体には勝てず、言いなりになるほかありません。その様子を見た書生の誠太郎は我慢できなくなって直之を殺そうとします。
雪夫人絵図の結末
てっきり誠太郎が愛人だと勘違いした直之は、「お腹の子の父親はあいつか」と雪を責めるのですが、これには彼女が動転します。実は雪自身は妊娠を知らず、自殺未遂の時に診察した医者から、直之だけがその事実を知らされていたのです。
やがて取り巻きの一人である立岡の裏切りで、直之は熱海の旅館の権利を奪われ、愛人も取られてしまいます。自分に残されたのが雪しかいないと知った直之は彼女の部屋にいきますが、そこには誰もいません。
雪は直之から誠太郎との関係だけでなく、菊中との仲まで疑われたのを苦にして、芦ノ湖へ身を投げてしまったのです。
以上、映画「雪夫人絵図」のあらすじと結末でした。
溝口健二が遺した作品の中でも異彩を放つ珍品という評価が妥当なのではないだろうか。全編を通して「耽美的」で一種独特の「異国情緒」が漂うメロドラマに仕上がっている。私が敢えて「異国情緒」と言うにはそれなりの理由がある。20世紀の初頭に欧米で起きたジャポニズム(日本趣味)の逆輸入こそが、私がここで言う「異国情緒」の正体なのだ。この「雪夫人絵図」と言う映画に、逆輸入されたジャポニズムの「異国情緒」を見たのである。分かり易く言えば「西洋人から見た日本的な風景」ということになる。熱海の海を眼下に一望する大邸宅(別荘)と和風の庭園と高級な外車。これらの取り合わせこそが正に和魂洋才であり和洋折衷の文化なのである。溝口健二が意識的にこれらを取り上げた訳ではなく、船橋聖一の小説を映画化する段階で必然的に「和洋折衷の異国情緒」が醸成されたとみている。映画の最初の方に女中の久我美子が入浴するシーンがある。それは異国情緒の極み、宮殿の浴室のような格式美とリリシズムに溢れたシーンが印象的だった。更に映画の全編に流れる早坂文雄の手に成る音楽もまた典型的な「異国情緒」である。早坂のピアノ協奏曲(1948年発表)の第1楽章はどことなくブルックナーの香りが漂っているが、この映画の音楽もブルックナーやマーラーの情緒的な要素を更に洗練させたような極上のムード音楽に仕上がっている。さて「信濃雪」と言うタイトルロールを演じた、小暮美千代の赤裸々というか「あられもない」艶姿には圧倒されるばかり。狡猾で身勝手な不実の夫に振り回されて、苦悩と愛欲の狭間で翻弄されてメロメロになる雪姫。木暮が着物を羽織って振り返る様は江戸初期の絵師:菱川師宣が描いた国宝「見返り美人図」そのものである。そして耽美の極致でとろけるような小暮美千代の振舞いと表情は「竹久夢二の美人画」そのものでもある。ただ、「耽美」もここまでくるとさすがに行き過ぎではないか過剰ではないかとも思った。余りの耽美描写にまるで溺死するかのような思いがしたからだ。時に語り部として「おひいさま」「雪奥様」の成り行きを淡々と語る久我美子。その久我美子が演じる女中或いは小間使いの濱子がこじんまりとした良い味を出していた。但しこの映画を総括すると若干中途半端な消化不良を覚えるのである。多分に時代背景による制約や限界があったものと思われる。また溝口としても巨匠としての矜持や品性(節度)が、大胆な性愛の描写に踏み切れなかった原因なのであろう。結論としてはこの作品「雪夫人絵図」は個性的で魅力に溢れた珍品にして「凡作」と言うことにしておこう。名作ではないが充分に観る価値のある貴重な作品だと思う。