トランボ ハリウッドに最も嫌われた男の紹介:2015年アメリカ映画。名作「ローマの休日」を書いた脚本家の半生を描いた伝記映画です。しかし、トランボはハリウッドから長い間、追放されていました。何故でしょう?それは、時代のせいでした。彼は他の数千人の人々同様、「赤狩り」の犠牲者だったのです。アメリカは自由の国と言われますが、それは勝ち取って掴み取った物。建国時の独立戦争の時から、銃で戦っていたため、未だに銃を手放せず、銃犯罪が絶えません。アメリカは建国から240年、未だに間違い続けることも多いですが、それでも正しい選択をした人もいて、その苦悩と葛藤の日々から得た結論は感動します。
監督:ジェイ・ローチ 出演:ブライアン・クランストン(ダルトン・トランボ)、アドウェール・アキノエ=アグバエ(ヴァージル・ブルックス)、ルイス・C・K(アーレン・ハード)、デヴィッド・ジェームズ・エリオット(ジョン・ウェイン)、エル・ファニング(ニコラ・トランボ)、ほか
映画「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
トランボ ハリウッドに最も嫌われた男の予告編 動画
映画「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」解説
この解説記事には映画「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
トランボ ハリウッドに最も嫌われた男のネタバレあらすじ:嵐の前
暗転のまま、字幕が流れます。1943年のトランボは「ジョーは戦場に行った」や「夫は還らず」などの戦時体制協力映画に参加していました。そして、アメリカでは1939年にアメリカ共産党はソ連を支持し、1943年には共産党員支持者が増え、トランボもその1人でした。暗転が開けると、バスタブで胸毛ボウボウの眼鏡の男が、浴槽に板を置いて、その上にタイプライターを置いて打っていました。劇中で、映画のタイトルは明かされませんが、恐らく「ギャングスター」の脚本を打っていたのでしょう。翌日、スタジオで、撮影が行なわれていました。ギャングのボスが裏切った子分に銃を向けているシーンなのですが、小道具の銃が安物だったせいか、シリンダーがはずれて弾が落ちてしまいました。カットがかかり、ボスを演じるエドワード・G・ロビンソンはトランボに質問します。「この男は何のために戦っているんだ?」するとトランボは答えます。「そりゃ、世界中の平和と正義のためさ。」 エ「ここはアメリカだぞ?もっと他にないのか?」 ト「金を得て女を抱くためさ。」 エ「そりゃいい、分かりやすい。」この時代の台本は現場で、修正されることが常で、原案になることもしばしばだったようです。
トランボ ハリウッドに最も嫌われた男のネタバレあらすじ:共産主義とは?
MGM(メトロ・ゴールドウイン・メイヤー)首脳のルイス・B・メイヤーはトランボを待っていました。契約更新をしなければいけないからです。トランボの脚本家としての腕は確かなので今後も契約したいのですが、彼は共産主義者でストライキの扇動者というのが頭痛の種でした。一方、トランボは家族と共に、ハリウッドニュースを映画館で見ていました。帽子の女コラムニストのヘッダ・ホッパ-が最近の労組活動を語ります。トランボの姿も映っていました。映画が終わると、観客の一人に「アンタ、映画に出てた人?」 ト「いかにも」「この裏切り者め」 コーラをかけられました。家に帰ると、娘:東女のニコラが庭で馬に乗りたがっていました。なので、馬に乗せ、手綱を引っ張っていると質問されます。ニ「パパは共産主義者なの?」 ト「そうだよ。」 ニ「悪い人なの?」 ト「コーラをかけられても怒らない程度の良識はわきまえているよ。」 ニ「ママもそうなの?」 ト「違うよ」ニ「私は?」 「うちのおチビさんは、どっちかな? テストしてみよう。」ト「学校で、お弁当を忘れた子がいたら、どうする?」 ニ「分けてあげるよ」ト「働けと言わないのかい?」 ニ「言わない」 ト「お金を貸して利子をつけないのかい?」ニ「やらない」 ト「じゃあ、小さな共産主義者(コミュニスト)だな」などと会話をするのです。次の日、トランボはルイス・B・メイヤーと契約を更新しました。その際「共産主義活動を控えてくれ」という意味を込めて、「ヘッダーのニュースで、君の姿を見たくない物だ」と言ったのですが、サインを書き終えたトランボが言ったのは「大丈夫。新聞もニュースを見なければ、私は見れません。」(電話会社や電気会社に「料金が高い」とクレームをいれたトランボですので、屁理屈は日常茶飯事だったようです。)
トランボ ハリウッドに最も嫌われた男のネタバレあらすじ:召喚状
トランボ達、共産主義活動をハリウッドで続ける10人はハリウッド10(テン)と呼ばれていました。民主党では、共産主義者たちを排斥しようとする集会がHUAC(下院非米活動委員会)主催で、行なわれていました。その議会上で、演説するのは、あの西部劇で有名なジョン・ウェインです。彼は1944年に結成された「アメリカの理想を守るための映画同盟」(MPA)に所属していました。エドワード・G・ロビンソンが「説得されそうだ」と言っていますが、彼も共産主義者です。ハリウッド10は、入り口で、改定議会1条のパンフレット(言論と表現と結社の自由を訴えることが目的)を配っていましたが、誰も受け取りません。それどころか、いったん受け取ってわざわざ破く輩まで。そのうち、先ほど勇ましい演説をしていたジョン・ウェインが話しかけてきたのでトランボは逆に聞き返します。「私は、戦争中、沖縄に従軍していたが、あなたは、どこで戦われていたのかな?」(ジョン・ウェインは従軍していませんでした。)わざわざ眼鏡をはずして、「お気に障ったなら、殴るかね?」と煽ります。その場は何とかなりましたが、トランボを無視したヘッダーが、それを見ていました。翌日、ヘッダーはハリウッドの最高権力者ルイス・B・メイヤーを訪ねます。要件は、トランボを解雇することでした。メイヤーは「3年契約を結んだばかりだ」と言って断ろうとしますが、「エリエゼル・メイル」の名前を出されて、凍りつきます。それはメイヤーのユダヤ名でした。さらに、ヘッダーは、この事務室で犯されかかったことも出し脅かします。結局メイヤーは、それを受けざるを得ませんでした。この帽子の女ヘッダ・ホッパーは、トーキーや無声映画では端役の女優でしたが、ゴジップのコラムニストとして3500万人の読者を持った女帝でした。年間で150の帽子を身につけたということで2~3日に1回は替えていたようです。なので、出てくるたびに衣装が違います。トランボは、ハリウッド10のメンバーを招待し、BBQパーティーをしていました。娘ニコラが「ママって凄いのよ。はい、やって」とグラスを3つ渡します。そして、妻クレオが「しょうがないわね」と言って、見事なジャグリングをはじめます。トランボとクレオの出会いは、クレオがドライブイン・レストランで水の入ったグラスを器用に扱う特技をみたトランボが一目ぼれからだったそうです。その場で高額のチップを渡すも断られ、それでもトランボの熱意に負け、結婚したそうです。しかし、その幸せな時間も終わりを告げようとしました。黒い車から、黒ずくめの帽子とコートの男が降りてきてトランボに召喚状を渡したのです。議会からワシントンD.C.での公聴会に召喚されたのです。男は「楽しいパーティーを」といって去りますが、パーティーはお開きになりました。その後、アーレンとトランボは話し合います。アーレンは「金がないから、裁判は無理」と断るのですが、トランボが裁判費用を出すと言います。でも、トランボはアーレンの嫌う金持ちでした。「アンタは金持ちだ。だが、金が無くなれば、裏切るかもしれん」と失礼なことを言うアーレンを、トランボは軽くいなし、「君は思想。私は金を出す。これでWINWINだ」と言うのです。実は、ハリウッド10にアーレン・ハードという人物はいません。この映画のために創作された人物で、サミュエル・オーニッツ、アルヴァ・ベッシー、アルバート・マルツ、レスター・コール、ジョン・ハワード・ローソンの5人の脚本家を複合させた人物だそうです。(トランボの伝記映画なので、統一人格にして、分かりやすくしたようです。)他の5人は、ハーバート・ビーバーマン(映画監督・脚本家)、エドワード・ドミトリク(映画監督)、リング・ラードナー・ジュニア(ジャーナリスト・脚本家)、エイドリアン・スコット(脚本家・プロデューサー)そしてダルトン・トランボ(脚本家・映画監督)でした。他にもハリウッド・ブラックリストにチャップリンも載り、1952年に、国外追放命令を受け、再入国許可証を返還しアメリカを去っています。(しかし20年後の1972年にアカデミー賞名誉賞の受賞のために渡米します。)赤狩りにはロナルド=レーガンも積極的に参加し、その活躍が、のちに彼を大統領にします。
トランボ ハリウッドに最も嫌われた男のネタバレあらすじ:屈辱の日々
この頃、トランボは、ある脚本を書いていました。例のごとく、バスタブの中で「儀礼典範はどうだっけ?」とかブツブツ言いながら、タイプライターをカタカタ打っています。そして、公聴会でトランボはやらかしてしまいます。当時のアメリカの法律では共産党員であることで嫌われることはあっても、それを禁止する法律はありませんでした。裁判官の「あなたは共産主義者ですか、それとも、かつてそうでしたか?」という質問に対し、「はい」か「いいえ」かで答えるべき時に口答えしたのです。「「はい」か「いいえ」で答えるのは、バカか奴隷だけだ。」 結局、法廷侮辱罪で1950年6月に2年の実刑を喰らうことになりました。(共産党員であることは罪にできなかったからでしょう。)脚本は出来上がりました。それをイアン・マクラレン・ハンターに託します。でも、イアンはタイトルが気に入らないようです。トランボが書いたタイトルは「王女と道化師」でした。娘のニコラも気に入らないようです。ト「だったら、どうするんだ?」 イアンは、表紙にタイトルを書きはじめます。イ「できた。どうだ?」それは『ローマの休日』でした。ニコラも「これがいい」と納得します。脚本はパナマウントに売られました。トランボは5:5でいいと言いますが、イアンは1割でいいと引きません。仕方なく、トランボは7:3で折半することにします。当面の家族の生活資金になりました。イアン・マクラレン・ハンターは、この映画の脚本ジョン・マクナマラの師匠でもあります。アーレンは、肺を悪くしていました。肺がんです。裁判にも負け、ハリウッド10は全員刑務所行きですが、アーレンだけは入院で免除されたようです。この入院費用もトランボが出しました。ハリウッド10の会合のために部屋を提供していたエドワード・G・ロビンソンも名画コレクションのうちから、ゴッホを打っていました。ハリウッド10の裁判費用のためです。保釈金のためにモネも売ろうか?というエドワードの申し出を断ります。飛行場で、トランボは家族や無罪を訴える人々に見送られ、連行されます。刑務所について、所持品を一切奪われます。勿論眼鏡もです。そして、凶器や脱獄道具を持ち込んでいないか確かめるために、「たま(陰嚢)の裏を見せろ。」とか「肛門を見せろ」とか、受刑者恒例の辱めを受け、撮影されます。トランボの服役中の仕事は倉庫の荷物運びでした。それを確認するのは黒人でした。所定の位置にサインもしてくれません。そこで、トランボは、「荷物整理の書類作成を手伝おう」とタイピングを申し出ます。意外に、黒人も学はあるようです。共産主義者は嫌いなようですが、殺人で20年の服役であるため、模範囚として減刑されるよう、トランボも手伝うことになります。唯一の慰めは家族に手紙を書くことだけでした。囚人番号7575より。ラジオで、かつての仲間、エドワード・G・ロビンソンが、公聴会に召喚され、ハリウッド10の10人を密告していました。倉庫の同僚の黒人も「こういうチクリ野郎は、ムショじゃ死体になる」とか言っています。その頃、刑務所内で、トランボは、元・民主党議員と出会います。彼の親戚が脱税を働いたからです。そのハゲでデブの元議員に、「まさか、こんな再会をするとはな。」と言われますが、トランボは「罪を犯したのは君だけだ。」と返します。実はHUAC(下院非米活動委員会)はハリウッド10が誰かとか、とっくに分かっています。心を折るために、わざわざ、さらし者にしているのです。ヘッダは、エドワードの復帰を認める気はありませんでしたが、ジョン・ウェインは、俳優仲間であるので、ハリウッドへの復帰を認めるのでした。刑務所の慰安で、ジョン・ウェインが勇ましく演説し、沖縄で日本兵を殴る映画が上映されます。実際は、艦砲射撃や火炎放射器で民間人を焼きつくし、多数の自決者を生み出し、ジョン・ウェインは従軍すらしていないので、実際に沖縄戦を従軍記者として経験したトランボは、苦笑するしかありません。同僚の黒人に言われます。「あんた、ジョン・ウェインと知り合いなんだろ? どんなヤツだい?」 トランボは力なく「君と気が合うだろうよ」というだけでした。
トランボ ハリウッドに最も嫌われた男のネタバレあらすじ:偽りの日々
1951年4月、トランボは出所しました。入獄時に、彼が預けていた金のシガレットケースやライターなどの貴重品は封筒に梱包され、投げ渡されました。でも、妻クレオが入口で車で迎えに来ていて、抱きついた時、やっと彼の刑期は終えたのです。家に帰ると、10か月ぶりに会う子供たちは大きくなっていました。長男のクリスと次女ミッツィに抱き着かれると「巨人に襲われる」と冗談を言い、そして、長女のニコラは口紅を塗っていました。しかし、裁判費用と、保釈金等で家は売り家になっており、まもなく、メキシコに引っ越しします。新居で長女のニコラと妻クレオが引っ越しした家のプールに飛び込もうとした時、悲鳴を上げます。プールにゴミがぶちまけられ、壁に赤いペンキで「GET OUT!(出ていけ)」と書かれていました。隣人の仕業でした。「ギャングスター」で脚本を提供したフランク・キングの元でトランボは脚本を書くことになります。キングは金と女が大好きで、トランボが共産主義であろうと気にならないようです。その代わり、B級映画なので、脚本代は安いです。最初の仕事は1200ドルでした。(現在の値段でも1ドル100円計算で12万円。でも、ニクソンショックまで1ドル350円なので、42万円です。)3日で、脚本を仕上げ、キングに気に入られて、他の脚本の手直しも引き受けることになります。家に5本電話を引き、5人の偽名で台本書きを始めます。子どもたちは電話番や脚本の配達、あて名書きや清書のためにタイピングまで仕込まれます。子どもたちと1つ約束をしました。「電話に出る時はトランボと言わないこと」ニコラも忙しくなっているので、スケジュールを書いてと言いますが、クレオに何とかするからと、なだめられます。1954年3月、「ローマの休日」でアカデミー賞の原案賞をイアン・マクラレン・ハンターが受賞しました。トランボがもらうことはできませんでしたが、家族で、ささやかなお祝いをしました。後日、イアンはオスカー像を持ってきますが、両者とも、「君の物だ。」「でも君の名前が書いてある」と譲りません。結局、イアンが持って帰りました。5人分の脚本を書くことトランボ1人では破綻してきたので、ハリウッド10として干されている5人の脚本家に仕事を振ります。キングの条件は、書き直しはトランボがすることでした。アーレンは言います。「業界の脚本を全部書く気か?」 ト「アーレン、なんて悪いことを」でも、アーレンの脚本はダメでした。「エイリアンと農婦」の脚本で、エイリアンに共産主義を語らせたのです。流石のキングも没を出します。こんなものを映画にしては、キングまでブラックリスト入りです。キングが求めているのは、エイリアンと農婦が納屋でSEXするシーンだけです。B級映画に思想はいらないのです。当然、没になり、トランボが書き直すことになります。アーレンは噛みつきます。仕方なく、アーレンの意見を聞くことにしました。ト「農婦がエイリアンが故郷に残してきた恋人に似ていたんだ」 ア「昆虫みたいな顔の女ってどんなだよ?」ト「つまり、内面、心が似てたんだよ」 ア「作家として書きたいものを書かずして、どうする? 金のために、つまらん物を書くだけか? トランボ、お前は書きたいものはないのか?」トランボには、忘れられない光景がありました。娘ニコラと一緒に闘牛を見に言った時、黒牛が倒された時、観衆の歓声とは反対に泣いていました。トランボ父娘だけでなく、前に座っていた少年も泣いていました。何故でしょう? そのことが、ずっと頭から離れないのでした。アーレンは言います。「だったら書け。書けば、少年の気持ちが分かる」 言われるままに、トランボは書きます。そして、何日か後に、トランボはキングに脚本を渡します。「申し訳ないが傑作だ」その脚本は「黒い牡牛」という映画になり、ロバート・リッチ名義で1957年3月アカデミー賞を受賞します。でも、今度は代理人がいません。そこで、映画脚本協会の代表が受け取りました。この頃から、マスコミがトランボが書いたのではないか?と気づき始めます。でも、インタビューで、トランボは、「いい脚本は全部私が書き、悪い脚本は敵が書いた。私が書いたと書くことで『黒い牡牛』の売り上げが上がるなら書いてください」
トランボ ハリウッドに最も嫌われた男のネタバレあらすじ:家族の対話
子どもたちも大きくなっていました。ニコラの16歳の誕生日も、トランボは浴室から出てきません。たまりかねたニコラは、浴室のドアをノックしますが、「くだらんことで呼び出すな」と逆にしかりつける始末です。母クレオはニコラにパンチングボールとグローブを渡します。「これをパパと思えってこと?」ク「私はそうは思ってないけど、あなたは好きにしていいわよ」ニコラは黒人に参政権を与える公民権運動にのめり込んでいきました。だから、脚本の配達も忙しくていきないと断ります。なら…と長男クリスにもっていかせようとすると、撮影現場は60km先です。これからデートのクリスには酷です。車に乗れても往復2時間です。結局、クリスが持っていくことになりました。その様子を見ていた、クレオは、その夜、トランボに言います。その時、深夜テレビでかかっていた映画は「ギャングスター」でした。ギャングのボスは、銃を突きつけた手をクルッと返して、裏切った子分を許すシーンが流れていました。クレオには前の夫がいました。でも、子供も生まずに別れています。その理由は、前の夫が暴的で、きっと生まれた子供にも暴力をふるうと思ったからでした。ト「何が言いたい?」 ク「困ってるなら話して。じゃないと、あなたは全てを失うわよ」 ト「何を?」ク「家族よ。あなたは、前の夫同様、暴力的になっている。」トランボは、ニコラのいるバーに向かいました。ニコラは「喧嘩したくないけど、帰らない」と言います。トランボは頭を下げました。「お前の母親は滅多に話さない。それだけに、たまに口を開くといい話をする。私は確かに悩んでいた。お前たちに酷いことをしているのではないか?と。それを誤魔化すために、怒鳴り散らしていた。私は困っている。だから助けてくれ。お前の暇な時でいいから」ニコラは言います。「パパ、私は、パパを目標にしたからこそ、こんなことをしてるのよ。」ト「なら、お前は目標に追いついた。」 壊れかけた家族も何とか危機を乗り越えました。しかし、別の悲しみが待っていました。アーレンが脚本を書かなくて、時間が経ちました。トランボは思い立って、家を訪問します。出てきたのは、アーレンの息子のジョルジュでした。「あー、君のお父さんが私に対して言っている文句は全て本当だ。で、お父さんいるかね?」 ジョルジュは困って言いました。「てっきり、ご存じで訪ねてこられたと思っていました」トランボは、アーレンの葬式に立ち会うことになりました。ジョルジュは「父が残していたのものです」とアーレンの借金手帳を渡します。「すいません。お金も返せればよかったのですが」トランボは、借金は返さなくていい…といって後にします。その足で、エドワード・G・ロビンソンの元に向かいます。アーレンの借金を返すためでした。「裏切り者と、ののしりにきたのか? だが、君はどうだ。君の主張が、他の10人を不幸にしたのじゃないのか?」エドワードは俳優です。トランボと違って偽名で商売するわけにはいかず、ブロードウェイで仕事をしてたそうです。自分のプライドを守る為、心にもないことを2人は言い合い、傷つけあって別れました。
トランボ ハリウッドに最も嫌われた男のネタバレあらすじ:脚本依頼
カーク・ダクラスもまた、共産主義者として、迫害された俳優でした。しかしトランボに「脚本を書いてくれ」と依頼するのです。それは、「ローマの休日」や「黒い牡牛」を本当に書いたのがトランボだという噂を信じたからでした。スタンリー・キューブリックが監督なので、彼が納得する脚本を書ける人物がいないため、トランボに頼みに来たのです。何とか、クリスマス休暇までに書き終えたのでしたが、次の依頼が舞い込んできました。それは監督のオットー・プレミンジャーでした。彼は、カーク・ダクラスの依頼した「スパルタクス」の脚本を見て、飛んできたのです。一冊の本を渡します。それは「エクソダス~栄光への脱出」です。プ「本としては、まとまりがないのだが」 ト「つまり、内容的には素晴らしいと、1月2日から、カークの脚本の手直しがあるから」 プ「じゃー、それまでは時間があるわけだ」トランボのクリスマスはなくなりました。子どもたちとのプレゼント交換の後、早速、作業にかからせます。プレミンジャー監督の監視下の元なので、浴室にこもることも出来ません。1ぺ-ジ、プリントアウトするごとに監督のチェックが入ります。さらに、注文を付けようとするプレミンジャー監督に、「全ページ、素晴らしいシーンだと飽きるぞ」と言うと「君は、全ページ素晴らしい作品を書いてくれ。演出の方で緩急はつける。」と、プレミンジャー監督も引きません。さらに、脚本の出来が悪いと、「トランボ脚本」とクレジットに出すぞと脅すのです。ヘッダが動いていました。フランク・キングの元に、HUAC(下院非米活動委員会)の代表が、トランボを解雇しろと脅かしに来ますが、逆にバットで頭を割ると事務所のガラスを割りまくって、脅かします。カーク・ダクラスの元にもヘッダが来て、「素行が悪くなった」と言うと「君が知らなかっただけだ」と嘘ぶきます。その足で、カークはトランボの元にやってきました。束の間、プレミンジャー監督から解放されます。カークは、トランボにヘッダが動いてることの忠告と協力を申し出ます。それを聞いていたニコラは隣の男も、カークやプレミンジャー監督が来てることを知っているのに、HUACやFBIに伝わっていないということは。「彼らにできることは、もうないのよ。『黒い牡牛』も『ローマの休日』のオスカーもパパの物よ」その晩、トランボは、ロバート・リッチとしてインタビューを受けました。つまり、自分がロバート・リッチと公表したのです。ヘッダは、他にはないか? と、バーで近寄ってきますが、無視します。次の朝、トランボの記事が、全米を震撼させました。カーク・ダグラスの『スパルタカス』の映画撮影は終了しました。試写会で、トランボ脚本を取り下げろという脅迫がありますが、「だったら、僕の出演シーンを全部取りなおせ」と逆に脅かします。プレミンジャー監督も「栄光への脱出」の脚本はトランボと、公表しました。トランボは「ダメ(な脚本)だったか」と落胆しますが、映画の興行成績は好調でした。「スパルタカス」の上映に当たって、賛成派と反対派がデモ隊を展開させる光景もあったそうです。しかし、ケネディ大統領が見たことにより、赤狩りの動きは変わり始めます。ヘッダの顔にも疲れが見えています。(映画「スパルタカス」の公開は1960年12月)からであり、ケネディ大統領の任期は1961年1月20日からなので、タイミングもよかったのでしょう。)
トランボ ハリウッドに最も嫌われた男の結末:汚名返上
アカデミー賞候補に「スパルタカス」が選ばれ、舞台袖で、待っていましたが、司会が「ダルトン・トランボではありません。」と言ったら、観客から一笑いが起き、帰ろうとしますが、何故かトランボの名前が呼ばれます。(実際は、9年後の1970年SWG(スクリーン・ライターズ・ギルド:映画脚本家協会)功労賞の受賞した時のスピーチと思われます。)「私が、ここに立つ前に、家をなくした人も、家族をなくした人も、命をなくした人もいました。でも、今日はそれを糾弾したいわけじゃないのです。英雄も敗者もいません。いたのは被害者だけ。共に、その痛みを分かち合いましょう。」エドワードも参列していました。白髪だらけの顔に、涙を受かべてます。1975年まで、HUAC(下院非米活動委員会)は活動し、教師や軍人、公務員など、数千人が赤狩りの犠牲になりました。
エンドロールでは、ダルトン・トランボ本人の映像が流れます。この映画でトランボを演じたブライアン・クランストンより、柔和で優しそうな印象の人物です。若干、恰幅もいいです。それは改めて「黒い牡牛」のアカデミー脚本賞を受賞した時のもので、「この受賞を誰に伝えたいですか」の質問に対し、「娘です」と答えています。「彼女は戦士でした。父親の職業を質問されても、公表できませんでした。13年間、秘密を守ったのです。だから、このオスカーは彼女のものです。彼女が秘密を守ったからこそ、貰えたものです」と締めくくっています。
トランボは、1973年の「パピヨン」の脚本を最後に1976年に亡くなっていますが、1977年に「ローマの休日」がリメイクされ、1993年に、クレオ未亡人がトランボの代わりにオスカーを受け取っています。「パピヨン」は刑務所に入れられた主人公が最後に「勝ったぞ」という映画だそうです。
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