クロエの紹介:2009年アメリカ,カナダ,フランス映画。夫の不倫を疑う妻が、その確証を得るために娼婦クロエに夫を誘惑するよう依頼したことで家庭崩壊へと追い詰つめられていく。フランス映画「恍惚」をリメイクした官能サスペンス。
監督:アトム・エゴヤン 出演:ジュリアン・ムーア(キャサリン・スチュアート)、リーアム・ニーソン(デビッド・スチュアート)、アマンダ・セイフライド(クロエ)、マックス・シエリオット(マイケル・スチュアート)、ほか
映画「クロエ」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「クロエ」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
クロエの予告編 動画
映画「クロエ」解説
この解説記事には映画「クロエ」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
クロエのネタバレあらすじ:夫への疑惑
産婦人科医のキャサリンは、大学教授の夫デヴィッドと息子マイケルの家族3人で不自由ない生活を送っていた。しかし歳を重ねるにつれ夫との交渉がなくなったことで浮気を疑うようになり、息子からも疎ましがられるようになっていたキャサリンは孤独感を募らせる。ある日デヴィッドの携帯電話を見たキャサリンは、そこに夫と女子学生のツーショット写真を発見し、疑惑がますます深まっていく。そこでキャサリンは、デヴィッドの反応を知るために、偶然出あった若い高級娼婦クロエに夫を誘惑し、その結果を報告してほしいと依頼する。
クロエのネタバレあらすじ:仕掛けた罠
依頼を受けたクロエは、デヴィッドに接触したが何もなかったとキャサリンに報告、デヴィッドにも変わった様子はなく安心したキャサリンはクロエに報酬を渡し、依頼を終了しようとするが、クロエはその後デヴィッドに会って関係を持ったとキャサリンに告げる。ショックを受けるキャサリンに追い討ちをかけるように、クロエはデヴィッドとの密会のあとだというホテルにキャサリンを呼び出して、情事の様子を詳細に語ってみせる。打ちひしがれるキャサリンは誘われるがままにクロエに身を任せ、2人は関係を持ってしまう。クロエとの関係を後悔するキャサリンは彼女との接触を絶とうとするが、クロエはキャサリンとの情事の写真を送りつけ、自分は本気だと執拗に迫る。あくまでビジネスだったと言い放つキャサリンに納得できないクロエは、クリニックで見かけたマイケルに近づく。
クロエのネタバレあらすじ:愛のかたち
キャサリンはクロエがマイケルに接触していることを知り、事態を収拾するためデヴィッドに浮気の事実を問い詰めるがデヴィッドは否定する。そこへ呼び出されたクロエがやってくるが、デヴィッドの姿を見るなり逃げ出してしまう。クロエを知らない様子のデヴィッドに、彼女の話は全てウソだったと気づいたキャサリンは、自分の愚かしい計画と、素直な気持ちをデヴィッドに打ち明け、2人は互いに愛し合っていることを再確認する。
クロエの結末
キャサリンへの想いが断ち切れないクロエは、キャサリンの自宅へ行ってマイケルを誘惑し夫婦のベッドでマイケルと関係を持つ。帰宅したキャサリンは驚き、マイケルに近づかないようクロエに説得を試みるが聞き入れず、クロエは髪留めをキャサリンの喉もとに当てキスを要求する。その様子を見ていたマイケルの視線に気づいたキャサリンはとっさに跳ね除けると、はずみでクロエはガラス窓を破り転落して命を落とす。その後、何ごともなかったかのようにキャサリンらは家族で過ごし、家ではパーティーが開かれる。着飾ったキャサリンの髪にはクロエの髪留めが飾られていた。
ジュリアン・ムーアとアマンダ・セイフライドの「知性」と「野生」の饗宴が何とも豪華で味わい深い。クラシック音楽で言えば「慎み深いアルトと天衣無縫のソプラノの二重唱」と言ったところだろうか。この二人にかかれば渋い夫も可愛い息子も影が薄くなる。私はこの映画の全編に漂うリッチでアダルトな雰囲気に酔いしれた。映像の色調・色合いなどがとても美しい。ひと昔前のハリウッド映画を彷彿とさせるノスタルジックでゴージャスな作品に仕上がっている。この作品をひとことで言えば「大人に贈る残酷な童話」或いは「眠れぬ夜の怪奇譚」といった所だろうか。ことほどさように適度にサディスティックでスリリングな展開が大変に心地よいのである。まるでジャン・ド・ベルグの「イマージュ」やジュルジュ・バタイユの「マダムエドワルダ」のように。深読みするのは私の悪い癖なのだが、敢えて、「実を言うとクロエは実在しなかった」「クロエは本当は天使だった」など。今まで見て来た中でもジュリアン・ムーアの美しさは群を抜いている。これは我が最愛のジュリアン・ムーアさまの一世一代の檜舞台なのである。ジュリアンムーアの演技が抜群・美貌も最高・セクシーで知的で、これではもう非の打ち所がありませぬ。そしてアマンダ・セイフライドの瞳の美しさは人間離れをしていた。スクリーンを眺めているとアマンダの大粒の瞳(宝石)に吸い込まれそうになる。砂漠で遭難した冒険家が突如として洪水に飲み込まれるように。アマンダは魔性の女と言うよりは小悪魔と言うべきであろう。【紳士の教訓】その1「魔性の女は意外と御しやすいが小悪魔は絶対に制御不能なのである」その2「小悪魔だけには深入りすな」など。ジュリアン・ムーアとアマンダ・セイフライドのベッドシーンの美しさは別格で映画史に刻まれる「大事件」(エポック)である。この映画の堅実なカメラワーク、とりわけ診察室の窓から見下ろすコンパクトな風景がことのほか気に入った。箱庭を見るような充実した「絵」だ。生涯独身の男としては、「フリーセックス」ありきで割り切れば悲劇は未然に防げるのではないか。または、理不尽な事故や悲劇を回避するには「フリーセックス」の契約を交わすべきではないか。などと余計なお節介(アドバイス)がしたくなる。映画もセックスも音楽にしても、多種多彩なほうが人生を彩り豊かにするのではないだろうか。であれば、実人生においても自由気ままに生きる方が楽なはずだ。映画と言う虚構の世界では悲劇や喜劇も許されるが、実人生は常に「一期一会」の真剣勝負が全てなので出来うれば悲劇は回避したいものである。