火垂るの墓(ほたるのはか)の紹介:1988年公開アニメ映画。高畑勲監督によるスタジオジブリアニメ。「昭和20年9月21日夜、僕は死んだ」 で物語は始まる。両親、住家、すべての財産も戦争に奪われてしまった少年と妹の物語。日本人すべてが生きていくことに精一杯だった時代。幼い兄妹の面倒を見てくれる大人はなく行き場を失った2人は運命に押しつぶされる。飢えだけでなく死がすぐそばにあった。人間の命は蛍の光ほどに儚いものであるという現実を映し、戦争孤児となる少年の感情を描く。
監督/脚本:高畑勲 原作:野坂昭如「火垂るの墓」 声の出演:清太・辰巳努、節子・白石綾乃、清太の母・志乃原良子、親戚のおばさん・山口朱美ほか
映画「火垂るの墓」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「火垂るの墓」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
火垂るの墓の予告編 動画
映画「火垂るの墓」解説
この解説記事には映画「火垂るの墓」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
火垂るの墓(ほたるのはか)のネタバレあらすじ
終戦直後の阪急電車の駅構内、主人公の14歳の少年・清太の死から映画は始まる。その魂が走馬灯を見ているかのように自分と4歳の妹・節子の過去を振り返っていく物語。時は終戦直前、清太の父は海軍大尉で家にはいない。心臓を患う母と4歳の節子と暮らしていた。昭和20年6月、清太の住む神戸が空襲を受ける。清太は母を先に避難させ家を片付けてから節子をおんぶして逃げようとするが火の手に閉ざされてしまう。火の手を避けなんとか難を逃れた清太は母のいる避難所の学校へ向かう。
火垂るの墓(ほたるのはか)のネタバレあらすじ2
学校を転用した急作りの病院らしき部屋で母は上半身を包帯でグルグル巻きにされていた。清太はその現実から逃げてしまう。しばらくして再度その急作りの病院に行くも、母は死んでいた。母は大きな穴に放り込まれ焼かれる。だが、母一人のみを焼くのではない。他の犠牲者も同時に放り込んで焼く。清太は「母の骨」をどうやって拾ったのだろうか。。
火垂るの墓(ほたるのはか)のネタバレあらすじ3
清太と節子は家を焼け出されたため西ノ宮の親戚宅に身を寄せた。清太は焼けてしまった自家の敷地を掘り返し食糧を蓄えてあった甕(かめ)を掘り出し、リヤカーに積んで親戚宅へ持ち帰る。 ここのおばさんは俗に言う意地悪ばあさん。清太兄妹を招き入れつつも、次第に清太たちとの関係がギクシャクしてくる。おばさんは学校へも行かず防火活動にも参加しないで家でぶらぶらしている2人に対して不満をぶつけるようになった。ある日、おばさんが兄妹の母の着物を売ってお米に変えようと言い出した。清太らにとってそれは大事な形見である。
火垂るの墓(ほたるのはか)のネタバレあらすじ4
母の着物で手に入れたお米にも関わらず自分の子どもたちにばかり食べさせるおばさんの意地の悪さや、2人へ浴びせる厳しい言葉。次第に我慢できなくなっていく清太と節子。銀行には母の貯金が7千円残っており、そのお金で自炊用具一式をそろえ親戚とは別々に食事をとることに。しかしおばさんからの風当たりは日増しに強くなる一方。我慢の限界を迎えた清太たちはおばさん宅を出て横穴(防空壕)に住む決意をする。
火垂るの墓(ほたるのはか)のネタバレあらすじ5
リヤカーをひいておばさんの家を出て、池の横にある防空壕を自分と節子の住処とした。自由な生活を手に入れたかに見えたが、ここから清太は更に厳しい現実に直面していく。中学生、住処をきちんと整えるには余りにも幼い年齢だ。食糧はすぐに底をつき食べ物といえば周辺で取れるタニシやカエル。かと言って他の食料が手に入るわけでもない。 電気もなく唯一の明かりは蛍を集めて蚊帳の中で放したものだった。火垂る(蛍)、その飛び交うシーンは暗く湿った防空壕での生活を束の間であれ明るくさせてくれたのだろうか。 次の朝、死んだ火垂るの墓を作ろう、お母さんもお墓に入ってるからと節子が言う。節子には秘密にしていた母の死、おばさんが話してしまっていたのだ。。
火垂るの墓(ほたるのはか)のネタバレあらすじ6
食料に困るようになった清太は野菜を盗んだり空襲で無人となった家から火事場泥棒したりと必死に飢えをしのいでいた。汗疹や湿疹の症状とおなかの調子も悪い節子のためにも食料を調達するのに必死だった。しかしある日のこと、防空壕の近くで倒れている節子を見つける。すぐに医者に連れて行くも医者は栄養失調から来るもので滋養をつけるしかないという。残りの貯金の3千円を下ろして節子においしいものを食べさせようとする清太。その銀行で日本が戦争に負けたことを知り取り乱す清太。父も死んでしまったとショックを受ける。昭和20年夏、日本は終戦を迎える。
火垂るの墓(ほたるのはか)のネタバレあらすじ7
清太は銀行から下ろしたお金で買ったスイカを節子に食べさせようとするが、すでに口にする力も衰えていた。痩せ衰え横たわっている節子が小石を清太にくれるという、ご飯だと言って。おかゆを作るから待っててという節子、しかしそのまま節子が二度と目を覚ますことはなかった。
火垂るの墓の結末
丘の上で清太は節子の遺体をたった一人で荼毘に付す。燃え尽きるまで、遺骨だけになるまで清太はそこにいた。ドロップの缶に節子の骨をいれ、そして清太はそのまま防空壕に戻ることはなかった。蛍舞う野の丘で清太と節子の魂がビルの群れを眺めるシーンで映画は終わる。
移り変わっていく時代にこの事柄を忘れてはいけないんだよ、と警告してるように。そのビル群はまるで大きな津波のようにその二人のいる丘に覆いかぶさって描かれていた。物語はこうしてオープニングシーンへと続く。駅の片隅で清太もまた孤児として死を待つだけだった。清太の傍らには火葬した節子の遺骨が入ったサクマドロップの缶が置かれていた。昭和20年9月21日、清太は旅立った。
以上、火垂るの墓のあらすじと結末でした。
火垂るの墓(ほたるのはか)について
火垂るの墓で私が戦争を意識したのはおばさんの小言の中からである。「お国のために働いている人の弁当と一日中ぶらぶらしているあんたらとなんで同じ(米のご飯を食べられる)や思うの」「この非常時に」 。本当はおばさんはいい人だった。しかし「非常時」にきりきり舞いさせられ、のんびりしている二人に反感を覚える。
飢えは自然からくる、生き物共通の苦しみである。しかし憎しみは人間だからこそ受ける苦しみである。 火垂るの墓の中で、人間としての苦しみを描いているところは少ない。そこには節子がいるからだ。全編を通じて流れているのは兄弟愛であり、それを阻むのはただ飢えのみ。 日本は一体なにと戦っていたのだろう。敵意と戦っていたのだろうか、飢えと闘っていたのだろうか。これは大いに分かれるところであろう。
もう一つ、この映画を支配しているのは「時間」のモチーフである。火垂るの墓は冒頭、「昭和20年9月21日夜、僕は死んだ」で始まる。割と早い段階で、火垂るの墓の流れは見える。先に節子が死に、次いで清太が死ぬのだ。わかりきっている。しかしそこへといたる流れは遅い。決して劇的には展開しない。両親の死が突然知らされるのに比べれば遅すぎる。戦争は、突然の死を迎えることがある点で悲惨である。そこには物語がない。人間は物語によって生きる存在だからだ。物語は時間をかけて編み上げられていく。生きるとは、物語を編み上げることだ。戦争はその作業を中断させる。
火垂るの墓はいくつかの国で上映されていないと聞く。これは戦勝国アメリカが正視に耐えない反戦映画なのだろうか。ここでは戦争の愚かさが画かれているのだろうか。モチーフは、憎しむことによって人間の営みに参加するのではなく、愛することによって人間の営みに参加する兄妹の話なのではないか。 残念ながらこう言わなければならない。火垂るの墓が反戦映画として利用されるなら、日本は再び戦争を起こす。もしそこまでわかって上映禁止にしている国があるなら、それは賢いが、そんなことはあり得ないだろう。日本側から見た反戦映画はどうやって成り立つのだろうか。問いは大きい。しかし喜んでこう言うことも出来る。火垂るの墓はたまたま戦争の期間に生を受けた兄妹の愛し合うドキュメントなのだ、と。
「火垂るの墓」感想・レビュー
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節子と清太の悲しい物語です。
節子の為にと清太は色んな事を我慢していきます。あんなにも幼い二人がよく耐えて生き延びたなと思います。
戦争によって失われたものは大きく痛々しいものです。
争いのない現代だからこそ昔の事柄を知って学習する必要があると思います。
とても残酷で悲しいお話ですが懸命に生きる姿に勇気をもらいます。
これからもずっと平和であってほしいです。 -
この話は何回見ても心が痛み、私たちは「戦争」について考えさせられます。
目にした事の無かった戦争をこの映画は鮮明に教えてくれます。
戦争は何度起こしても、増えるのは「戦いの末犠牲になってしまった罪のない人」と「その家族の悲しみ」だけなのだと感じます。
この事実は、戦争を知る人も、戦争の怖さを知らない人も忘れてはならないことです。
今では平和だ、安全だと言われている日本も
いつ再びこの悲劇が始まるかはわかりません。
今でも世界中で悲惨な戦争が起きています。
この話から戦争を学んで、今ここに私たちが生きていられることの大切さを心にとどめておくことを忘れずに生きていこう、と伝えてくれる映画です。 -
節子さんを自分の妹だったら、、。と、映画を見ていたので涙が止まりませんでした。しかも実話っていうのがさらに、悲しい気持ちにさせてくれました。良い意味で。この映画を見るだけで、戦争がどれだけ悲しい出来事だったかを知ることが出来ると思いました。オススメできる映画だと思います。
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節子と清太が生き延びる事が出来たのはとても凄いと思います。私はこのアニメによって戦争の醜さがよく分かります。何回でも飽きずに見ることが出来るので凄いです。清太の優しさと節子の可愛さがあっての物語です。
ぜひ見てみてください。 -
戦争の現実を伝えている映画だと思います。
何回見ても心が痛みます。 -
昔はあの親戚のおばさんが大嫌いだった。意地悪で嫌味ばかり。ただ大人になってわかったのは戦争がそうさせたんだということ。記事にもあるようにこの非常時に何もしない清太に苛立ちを覚えるのはわからないでもない。もしかしたら戦争への不満をぶつけてたのかも。だが清太たちは母が死んだばかりで家も失ったばかり。まだ中学生の清太がすぐ受け入れるには酷だし、現実逃避したくなるだろう。
長くなりましたが、火垂るの墓で悪人はでてこない。見えてくるのはただただ戦争は悲惨で悲しみを生み、人を変えてしまい、負の遺産しかないということだろう。
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戦争は本当に良いことはないとこの映画を見て改めて思います。清太は母を失っても節子のために頑張っているのに涙が出ます。
今、ロシアとウクライナが戦っています。一刻も早く戦争が終わってほしい。
平和が続きますように。 -
今はロシアと戦争しているけど、ウクライナの子どもたちもロシアの子どもたちも気になる…
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2022年8月15日のテレビ欄 戦争関連の文字が載っていたのは、NHKの追悼式とNHKスペシャル だけだと思う。 民放は そこまでにして視聴率を取りたいのか? ウクライナ戦争、世界各地で起きている紛争の今、平和を訴えることが大事なのではないか?
甲子園で球児も黙とうをしている。霞が関のある千代田区では黙とうのサイレンもならなかった。 この国は狂っている。 -
ただただ悲しい物語です
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結局最後は家族全員亡くなってしまって、実際に起こったことを描いてる映画だけなのに悲しくて涙がでます。改めて人の命の大切さがわかります。
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節子と清太の悲しい物語ですよね
兄弟愛が素晴らしいなとは思います。 -
他人事のように見ていますが、昔はこうなっていたと思うと悲しくて、怖すぎます・・・
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私も、随分年齢を重ねた。
もはや、この作品を正視できなくなってしまった。
あまりにも悲しすぎて、悲惨すぎて、まともに見られない。
せつ子の声優がまたうますぎる。
とてもとても、こんなことがあってはならないのに、未だに世界のどこかで、悲惨なことが起こっているのだろう。
地震、豪雨、コロナも様々な悲劇を生み出している。
少しでも、世界から悲惨がなくなることを祈るばかりである。
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清太が14歳で育児をあきらめんかった根性強さに感動した。
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最初はおばさんが全面的に意地悪に思うが、何度も見ると清太もプライドが高く可愛げが無い。海軍将校というエリートを父に持ち、元々はおばさんの家よりも裕福だった清太は、働かないしおばさんの風当たりが強くなると当てつけのように自炊を始め、出て行ってしまう。
住所が無いので配給が受けられず、近所の人から「おばさんに謝って家に置かせてもらえ」と助言されても、意地でも戻らなかった。
洞穴で飢えてカエルを食べる事よりもおばさんに謝る事の方が屈辱だというプライド。それが節子を死に追いやってしまった。ただ、中学生の清太に大人の社会性を求めるのは酷である。性格は裕福な家庭で形成された部分もあるし、何よりもまだ社会も知らない発展途上の子供だ。
おばさんは、大人げが無い。中学生の清太と同じ目線で張り合ってしまっている。大人なら、子供の欠点を諭して導くものだ。その点で、おばさんは幼稚だ。
戦争によって父や母や家まで失いながらも、妹のために頑張って生きていこうとする清太はとても強い子だと思いました。節子も兄想いの良い子です。それなのに戦争によって2人は苦しめられます。サクマドロップを見るたびに思い出しては胸の奥がギュッ締め付けられる気がします。