赤線地帯の紹介:1956年日本映画。売春禁止法案が審議されている頃、吉原の「夢の里」では女たちがそれぞれの事情を抱えながら生きているのでした。売春禁止法案の行く末は、そして女たちはどのような道を辿るのでしょうか。
監督:溝口健二 出演者:ミッキー(京マチ子)、やすみ(若尾文子)、ハナヱ(木暮美千代)、ゆめ子(三益愛子)、より江(町田博子)ほか
映画「赤線地帯」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「赤線地帯」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「赤線地帯」解説
この解説記事には映画「赤線地帯」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
赤線地帯のネタバレあらすじ:起
吉原の「夢の里」ではそれぞれ事情を抱えた女たちが、生活のために体を売って商売をしています。ところが、国会ではちょうど売春禁止法案が審議されているのでした。女たちは仕事がなくなったら困るという思いと、こんな仕事は散々だという思いの狭間で揺れているのでした。 ゆめ子は田舎の一人息子に仕送りをしながら同居を望んで働き、ハナヱは病気がちな夫と赤ん坊を抱えながら家計を支えています。より江には恋人がおり、結婚して普通の主婦になることを夢見ていました。やすみは父親が起こした不始末のために借金を背負い、この世界へ転がり込んできました。今ではお客を上手く転がし、時に騙したりしながら、誰よりも多く稼いでいます。仲間相手に金貸しもやっていました。下働きのしず子はまだ客はとらないものの、田舎から出てきて店のために働いています。
赤線地帯のネタバレあらすじ:承
ある日「夢の里」へ神戸出身のミッキーという不良娘が仲間入りします。「夢の里」のなかでもずば抜けて派手で、はっきりものを言う態度で良くも悪くも目立つ存在になりました。その晩、ゆめ子の息子が田舎から訪問してきますが、母の客引き姿にに思わず顔をしかめてしまうのでした。ハナヱは寒い中、迎えにきた夫と赤ん坊と帰路につきますが、明るい話題はありません。 一方で売春禁止法案は着々と進んでいます。傍聴席へ聞きにいった「夢の里」の旦那は腹を立てながら帰ってきて「この法案が成立したら困るのはお前たちだ、俺たちは政治の行き届かない所を補ってやってるんだ」と抗弁を垂れます。女たちは複雑な思いでそれを聞いているのでした。
赤線地帯のネタバレあらすじ:転
ついにより江がお嫁に行く事になり、みんなでささやかな宴会をして送り出してやります。ゆめ子は息子に会いに田舎へ帰りますが、息子は不在で働きに出ている事を知り、自立した様子にとても喜びます。一方、ハナヱの夫は自殺未遂を起こします。やすみの常連客は借金を抱えたまま店をほったらかして夜逃げをしたようです。それぞれがめまぐるしく生きていく中で、より江は嫁ぎ先の商売の手伝いに嫌気がさして早々に逃げ出し、また娼婦へと戻ってしまいます。ミッキーの元へも、自分の世間体を気にした父親が連れ戻しにやってきました。自分が散々女遊びをして家族を困らせていたのを棚に上げて、説教をする彼をミッキーは泣きながら追い返します。
赤線地帯の結末
ゆめ子はしばらくぶりに息子と会う約束をしました。彼女はとても嬉しげで、仲間たちにも「きっと一緒に住むって話になるさ」とうきうき話したのでした。ところが、当日の息子は始終むすっとしており、母親の商売を「汚い」といって突き放し、もう連絡を取ってこないでくれと離縁を申し立てたのです。「夢の里」へ戻ったゆめ子は気の抜けたようになり、ついには発狂し病院送りになってしまいます。一方でやすみにも災難が起きます。散々騙して、じらしてきた客がついに我慢の限界に達し、彼女に乱暴を振るい、警察沙汰になったのでした。幸い命に別状はありませんでしたが、その日「夢の里」は早々に店仕舞いをしました。 結局、売春禁止法案は流れました。やはり女たちは複雑な沈黙を持ってそのニュースを聞いているのでした。やすみは回復してから、いつかの夜逃げ客の店に後釜として上手くおさまりました。滑り出しは好調のようで、吉原からはすっかり足を洗ったようでした。 稼ぎ手が減った「夢の里」。ついに下働きのしず子が客をとることになります。濃い化粧を施され、店先へ出された生娘のしず子は慣れない手つきで客引きをするのでした。
溝口健二の「赤線地帯」。これはある種の残酷物語である。「赤線地帯」は映画としても殊の外重いテーマでありそれがそのまま溝口健二の遺作となった。この作品は果たして生涯をかけて女を描いてきた溝口の集大成なのだろか。京マチ子に若尾文子などの美女の饗宴を期待したら、いきなり冷水を浴びせられてしまう。溝口の「リアリズムの美学」は、情け容赦なく女たちの赤裸々な生態や苦悩を炙り出す。そこには華やかなロマンスもなければ一抹のエロティシズムさえもない。あるのは苦悩し歯を食いしばってひたすら苦痛を耐え忍ぶ「女の悲哀」のみである。「赤線とは何だったのか?」と問われれば、私は即座に「赤線は女たちの戦場だった」と即答する。女が自分の内臓(性器と子宮)を晒け出して春を鬻ぐ(ひさぐ)。女が自分たちの主戦場(第一線)で春を鬻ぐ(ひさぐ)のは当然の権利であると言った時、女たちのそう言う「世界観」を全面否定する権利がいったい誰にあるのか。世の男どもは自分の家庭だけでは満たされない理想を求めて赤線へやって来る。つまり男が理想とする「母性」などの夢を買いに来る場所が「赤線」だった。女たちの戦場である吉原の「夢の里」は、男たちにとっては「夢の聖地」だったのだ。この映画はミッキー、やすみ、ハナエ、ゆめ子、より江の5人の女を通して展開して行く群像劇である。京マチ子のコケティッシュなセクシーダイナマイトにも圧倒されたが、溝口(宮川一夫)のファインダーを通すことで、若尾文子の「美」が狂おしいまでに昇華されたのには感動した。また脇を固める俳優女優の存在感も見事で、貫禄に加えて品格さえ漂う進藤英太郎の演技は絶品であった。更に、沢村貞子の冷淡でビジネスライクなクールさも際立っていて見事だ。私が最も衝撃を受けたのが、この映画のラストシーンなのである。まだ幼さの残る娼婦見習い「おぼこ娘」しず子の恐怖に歪んだ表情と、黛敏郎の「気色の悪い音楽」でこの作品は幕を閉じる。私はこのラストシーンを見て鳥肌が立ち全身の毛穴が開いて、悪寒と吐き気を催すくらいの強い衝撃を受けたのである。首吊り自殺(自殺未遂)や発狂などのショッキングなシーンや、人間同士の醜い言い争いなどの修羅場がこれでもかと押し寄せる。それでも尚、繰り返し観る価値がこの映画にはある。溝口健二の「赤線地帯」は、女が逞しく生きなければ男を含めた人類が生き残れない、っと言う厳しい現実(事実)を再認識させられる稀有で貴重な傑作映画なのである。