伊豆の踊子の紹介:1963年日本映画。川端康成の同名小説を4度目の映画化。旅の途中で出会った学生と踊子との淡い恋を描く文芸ロマンス。あてのない旅を続けていた川崎は、伊豆で旅芸人の一行と出会った。あどけなさを残す純真無垢な踊子の薫に惹かれる川崎。薫も川崎に思いを寄せるが、身分の違う2人にはやがて別離が訪れる。
監督:西河克己 出演:高橋英樹(川崎 / 高校生)、吉永小百合(薫 / 踊り子)、大坂志郎(栄吉 / 踊り子の兄)、堀恭子(千代子 / その妻)、浪花千栄子(お芳 / 母親)、茂手木かすみ(百合子 / 雇い娘)、十朱幸代(お清 / 湯ケ野の酌婦)、南田洋子(お咲 / 湯ケ野の酌婦)、ほか
映画「伊豆の踊子(1963年 吉永小百合主演)」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「伊豆の踊子(1963年 吉永小百合主演)」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
伊豆の踊子の予告編 動画
映画「伊豆の踊子(1963年 吉永小百合主演)」解説
この解説記事には映画「伊豆の踊子(1963年 吉永小百合主演)」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
伊豆の踊子のネタバレあらすじ:40年前の出会い
舞台は昭和初期の日本、東京。大学教授の川崎は、教え子の男子学生から結婚の仲人を頼まれました。相手の少女がダンサーだと知り、「踊子か」と呟く川崎。若い2人を眩しそうに見る彼の脳裏に、40年前の淡い恋が蘇ります。――当時20歳だった川崎は、高等学校の制帽を被り、高下駄を履いて、1人伊豆を旅していました。九十九折の山かどを曲がった拍子に、旅芸人の一行に出くわします。彼らに興味を持った川崎は、湯ケ野まで一緒に行くことにしました。大島から来たという一行は、中年女性お芳が中心となって旅を続けています。お芳の娘千代子、その夫栄吉、栄吉の妹薫と、もう1人大島で雇った少女の5人組でした。16歳の踊子薫はまだ初々しく、川崎を気にして恥ずかしがっている様子です。そんな薫の様子を見て、お芳は「色気づいたんだよ」と笑いました。
伊豆の踊子のネタバレあらすじ:あどけない踊子
湯ケ野に到着した川崎は、薫達とは別の宿を取ります。風呂で出会った男性と碁を打っていると、賑やかな音楽が聞こえてきました。外を見ると、向かい側の座敷で薫達が芸を披露しています。川崎は踊る薫にすっかり見蕩れてしまいました。翌日。薫は近所の子ども達と遊んでいる最中、みすぼらしい家で横になっている女性を見つけます。彼女は酌婦のお清。仕事が原因で病に冒され、幾ばくもない命でした。そこへ酌婦仲間のお咲が現れ、無体を強いる客への怒りに震えます。生娘の薫は未知の恐ろしい世界にショックを受け、逃げるようにその場を走り去りました。
伊豆の踊子のネタバレあらすじ:たどたどしい恋
その夜。川崎は仕事を終えた薫達を、自分の部屋へ招きました。碁盤を見つけた薫は目を輝かせ、さっさと風呂を済ませて五目並べをせがみます。集中して碁盤を覗き込む川崎と薫。ふと、互いの顔が近いことに気付き慌てて距離を取りました。風呂上りのお芳達から、明日下田へ発つつもりだと聞いた川崎は同行を願い出ます。しかし翌日になって薫達に急な仕事が入ったため、予定を1日ずらすことにしました。栄吉と散歩に出た川崎は、明後日が彼の子どもの四十九日だと聞きます。栄吉と千代子は1人目の子を流産で、2人目の子を早産で亡くしていました。栄吉は薫にだけはこんな生活をさせたくなかったと呟きます。その夜、薫から活動写真に連れて行って欲しいとせがまれた川崎は、快く承諾しました。はしゃぐ薫に川崎は思わず照れるような笑みを浮かべます。その頃、お清は人知れず死亡していました。
伊豆の踊子のネタバレあらすじ:若い2人を待つ現実
翌朝。下田に向けて出発した川崎達は、険しい道に喘ぎながら進んでいきます。急な勾配を先頭で登りきった川崎と薫は、しばらく2人きりで話をしました。薫達は下田に2、3日滞在した後、船で大島に渡る予定です。薫は川崎も一緒に大島へ行くものだと思い込んでいました。川崎は少々驚きますが、薫に惹かれ始めていたこともあり同行することにします。下田に到着すると、宿には旅芸人が大勢泊まっていました。別の宿に移った川崎は活動写真を楽しみにしますが、母親と思われる女性に勉強してくれと縋られている学生を目撃し、物思いに沈みます。夜になって、ある決意を固めた川崎は薫を誘いに行きました。喜ぶ薫ですが、お芳が許可を出しません。お芳は川崎を慕う薫の気持ちに気付いていました。しかし2人は身分が違います。旅芸人の娘が学生に惚れても仕方ないと話すお芳は、世の中にはどうしようもないことがあると分かっていました。それを聞いた薫は項垂れて、行けなくなったことを川崎に伝えます。そんな薫に追い打ちをかけるように、川崎は明日の朝一番の船で東京に帰ることを告げました。2人は互いに強い未練を残したまま、別れの朝を迎えます。
伊豆の踊子の結末:淡い恋の終わり
早朝。川崎が1人宿を出ると、栄吉が見送りに来ました。薫は布団の中でじっとしていましたが、いてもたってもいられずそっと宿を抜け出します。港へ必死に走る薫。しかし川崎は既に海上の船へ移っているところでした。言葉を交わすことも出来ないまま、薫は船上の川崎へ精一杯手を振ります。川崎もそれに気付き、小さくなっていく薫へ大きく手を振り続けました。――男子学生から「先生!」と呼ばれ、川崎ははっとします。男子学生は恋人の手を取り、元気よく駆け出していきました。川崎は静かにそれを見送り、この映画も終わりを迎えます。
以上、映画 伊豆の踊子のあらすじと結末でした。
【珠玉の名作映画】 老境に差し掛かった大学教授はひとり静かに「過ぎ去りし日々を回想する」 忘却の彼方へ去っていった「遥かなる日々」を そしてもう二度と「帰り来ぬ青春」を 。 そしてそれらの想い出を「ゆっくりと味わい ぐっと嚙みしめる」 甘くてほろ苦い「想い出の欠片」が川崎教授の胸によみがえる。 所で、そもそも原作者の川端康成は果たしてどのような心境で「踊子」を書いたのだろうか。 映画の中の回想シーンに入ると、「モノクロ画面」から一気に「鮮明なカラー画像」が立ち上がり、峠の道端で休憩している「旅芸人一座」が学生だった頃の川崎の視界に入る。 そしてその後も「あとになったり、先になったりして」度々 道中で川崎と一座は出逢うことになる。 ふいに川崎と出逢った時の薫(踊子の少女)の所作 や振る舞いには、「見られてはならない」ものを晒しているかのような、ある種の「恥じらいと狼狽」とが垣間見えた。 そしてこれは のちの「湯殿から裸で手を振る薫」の姿や無邪気さとは対照的だったのである。 この辺の繊細で微妙な乙女心を監督の西河克己が絶妙かつ巧妙/繊細に描いている。 薫の中々「素直になれない」もどかしさや、くやしさだったり、ちょっとスネテみたりとか。 この思春期の情緒不安定な少女とは すなわち「乙女心と秋の空」ということなのか。 吉永小百合は撮影時は17歳~18歳だったので この役にはうってつけだった。 この時の吉永は「箸が転んでも可笑しい年頃」の、正に「旬の少女」だったのである。 きりりとした美青年の高橋英樹と、りんごのホッペの吉永小百合は「伊豆の踊子」史上最高のコンビである。 この映画「伊豆の踊子」では、ひなびた温泉街の「ノスタルジックな街並み」や、「懐かしくも美しい」「古き良き和の手触り」が出色である。 かつてはこんなにも「美しい日本」があったのか と しばし感慨に浸ったり。 旅芸人一座が場末の座敷の宴で、質(たち)の悪い客に絡まれる。 この 「或る種の被虐性」(マゾヒズム)が、鑑賞者の加虐的(サディスティック)な心をくすぐるのである。 美徳とされる「健気」や「清く貧しく美しく」と同じ構図である。 私の持論は「美徳と悪徳は表裏一体である」 脇役陣が素晴らしい。 大坂志郎の「卑屈と気骨」の妙 浪花千栄子の「抜け目のない」したたかさ。 浪花千栄子は気丈でありながらも、「己の分をわきまえた」「下層民の悲哀」「哀感」を見事に演じている。 敢えて正確に「下層民と言った」が、その昔 旅芸人は「河原乞食」と呼ばれて蔑まれていた。 またこの映画の最初の場面でも「物乞い 旅藝人村に入るべからず」の立ち看板が目に入った。 「古き良き日本」の中には、こういう「哀しく残酷な ならわし」も含まれていたのだ。 だから「良き と 悪しきもまた表裏一体」なのである。 半世紀以上も前の1963年:昭和38年に撮られた映画なので、「古き良き日本の風景」や「或る種の被虐性」が説得力を持ってよく伝わるのである。 西河克己の「伊豆の踊子」は一見すると地味な作品だが、実は「最も美しい日本映画の一つ」であり、じっくりと味わえば期待に違わず(たがわず)「宝石のような名作映画」なのである。