情熱のピアニズムの紹介:2011年フランス,ドイツ,イタリア映画。「イル・ポスティーノ」のマイケル・ラドフォード監督によるドキュメンタリー映画。骨形成不全症という先天性の障害を抱えながら世界的なジャズピアニストとなったミシェル・ペトルチアーニ。ジャズと女性をこやなく愛した伝説のピアニストの短くも鮮烈な生涯に迫ります。
監督:マイケル・ラドフォード 出演:ミシェル・ペトルチアーニ、チャールス・ロイド、アルド・ロマーノ、トックス・ドロハート、フランシス・ドレフィスほか
映画「情熱のピアニズム」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「情熱のピアニズム」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
情熱のピアニズムの予告編 動画
映画「情熱のピアニズム」解説
この解説記事には映画「情熱のピアニズム」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
情熱のピアニズムのネタバレあらすじ:起
1962年12月28日、フランス南部の町オランジュ。身長1メートル足らずのジャズピアニスト、ミシェル・ペトルチアーニは身体中の骨が折れた状態で生まれてきました。先天性の骨形成不全症でした。骨が変形する難病で、骨がもろいため骨折しやすく、重度の患者に至っては発育不全を余儀なくされます。母アンナは幼き我が子が骨を折らないようにと細心の注意を払いながらミシェルを育てていたとミシェルの兄フィリップは語ります。ミシェルにジャズを教えてくれたのは音楽家の父トニーでした。病のため他の子供達のように外で遊べなかったミシェルは父の影響でジャズに夢中になっていきます。グランドピアノを買ってもらったミシェルは父の方針で学校には通わず、毎日10時間以上もピアノを練習し続け、やがて卓越した技術を習得してきます。9歳にして大人を唸らせる演奏技術を身に付けていたミシェルでしたが、鍵盤を強く叩くため頻繁に骨折していたと本人は語ります。13歳の時、ミシェルは名トランぺッターのクラーク・テリーのステージを母と一緒に見に行きます。ミシェルの噂を知っていたクラークは彼をステージに上げ、ピアノの前に座らせます。ここでミシェルは素晴らしい演奏を披露し、クラークを驚かせるのでした。
情熱のピアニズムのネタバレあらすじ:承
13歳の時ミシェルはアメリカのヒッピーでドラマーのトックス・ドロハートと出会い、親しくなります。ドラマーのアルド・ロマーノもミシェルの演奏に魅せられたミュージシャンの一人です。アルドに抱かれレコーディングにやってきたミシェルと対面した音楽プロデューサーのジャン=ジャック・ピュシオは彼の外見に衝撃を受けたと当時を振り返ります。ジャン=ジャック・ピュシオのバックアップにより一枚目のミシェルのアルバム「ミシェル・ベトルチアーニ」が完成します。17歳になったミシェルはジャズの本場であるアメリカに渡ることを切望するようになっていました。そしてアメリカに住む友人のトックスを頼ってついに渡米、カリフォルニアにやってきます。トックスの友人でサックス奏者のチャールズ・ロイドはミシェルの演奏を聴き、衝撃を受けます。ミシェルにとっても完璧な演奏の腕前を持つチャールズはジャズのお手本であり、憧れの存在でした。やがてチャールズと一緒に演奏活動をするようになったミシェルは「ビックサーの魔術師」と呼ばれ、世間からも注目を浴びるようになっていきます。半年で見事に英語をマスターしたミシェルは障害者に寛容な国アメリカを気に入ります。最初の妻とエルリンダと出会ったのもアメリカでした。そしてミシェルはチャールズと一緒に各地のツアーを回るうちに様々なジャズミュージシャンと出会う機会を得るようになっていきます。
情熱のピアニズムのネタバレあらすじ:転
チャールズはミシェルが道を踏み外さないようにクラブでの遊びを禁じたり、ドラッグに手を出さないよう厳しく彼を管理しますが、ミシェルは更なる刺激を求めてカリフォルニアを離れる決意をします。ジャズの聖地ニューヨークへやってきたミシェルは名門クラブ、ヴィレッジヴァンガードでの演奏を実現します。サックス奏者のジョー・ロヴァーノはこの街のミュージシャンなら誰もがミシェルとの共演を切望したと語ります。そして外国人としては初めてブルーノート・レコードと契約するという快挙も達成します。すべてにおいて好奇心旺盛だったミシェルは時にドラッグに手を出すこともあったものの、酒や薬物に溺れることはありませんでした。派手に楽しむことをモットーに様々なミュージシャンとの共演を楽しむなどニューヨークでの暮らしは充実したものでした。私生活ではニューヨークでの生活を支えてくれた二番目の恋人を捨て、マリ=ロールという女性と付き合い始めます。やがて二番目の妻となったマリが妊娠、周囲はミシェルの病が遺伝することを危惧しましたが、ミシェルとマリは子供を産み育てる決断をしました。しかし息子のアレクサンドルはミシェルと同じ障害を抱えて生まれてきました。成人したアレクサンドルは父親と同じ障害を持って生まれたことについて複雑な心境を抱えてきたことを漏らします。
情熱のピアニズムの結末
ミシェルのピアノテクニックの神髄はその柔らかい骨のため手首を健常者の何倍も早く動かせるところにありました。身体の小さいミシェルはピアノの下に特別なペダル補助具を設置してスタインウェイ社の大きなグランドピアノをも自由自在に弾きこなします。普段は陽気で冗談好きの性格のミシェルですが、気難しい一面もあり、一緒に暮らすことは大変だったとマリは振り返ります。ミシェルはその後ピアニストのジルダと三度目の結婚をしますが、これも長続きはしませんでした。再びヨーロッパに戻り音楽プロデューサーのフランシス・ドレフィスと二人三脚で新しいアルバムを制作したところ予想を上回る大ヒット、コンサートを開けば超満員の観客が彼を出迎えます。ミシェルは世界中で愛される偉大なジャズピアニストとなりましたが、一方で病は少しずつ進行し、骨と身体全体を蝕み始めていました。年間200以上ものツアーをこなし、身体を酷使してきたミシェルは1999年冬に肺炎により倒れ、そのまま帰らぬ人となったのでした。享年36歳、音楽にすべてを捧げた生涯でした。ジャズと女性をこよなく愛した偉大なピアニストはパリのラシェーズ墓地でショパンの隣に眠っています。
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