華麗なるギャツビーの紹介:2012年アメリカ映画。第66回カンヌ国際映画祭でオープニング作品として上映された。誰もが偉大と言い、みんなの憧れだったギャツビーが本当に欲しかったのは他でもないただ彼女の愛だけだった。幾度となく映画化されてきた同名原作を、新たにレオナルド・ディカプリオが主人公ギャッツビーに扮し、華やかさで派手な生活を送る謎の大富豪を熱演。当時のアメリカの大富豪達の華やかすぎる生活や豪華な衣装等も見所の一つです。
監督:バズ・ラーマン 出演者:レオナルド・ディカプリオ(ジェイ・ギャツビー)、トビー・マグワイア(ニック・キャラウェイ)、キャリー・マリガン(デイジー・ブキャナン)、ジョエル・エドガートン(トム・ブキャナン )、 アイラ・フィッシャー(マートル・ウィルソン)、ジェイソン・クラーク(ジョージ・B・ウィルソン)、ほか
映画「華麗なるギャツビー」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「華麗なるギャツビー」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
華麗なるギャツビーの予告編 動画
映画「華麗なるギャツビー」解説
この解説記事には映画「華麗なるギャツビー」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
華麗なるギャツビーのネタバレあらすじ:起・ギャツビーとニックの出会い
1929年冬、パーキンス療養所。精神疾患を抱えるニック・キャラウェイ(トビー・マグワイア)は、医師の前で過去の出来事を回想します。
1920年代初頭、かつてない好景気に沸くアメリカ。ウォール街は野心に満ち溢れた若者であふれていました。
ニューヨーク郊外ロングアイランドのウェストエッグ。ニックは大豪邸の隣にある小さな家に引っ越してきました。学生時代は作家志望だったニックでしたが、今は夢を諦めて証券マンとして投資の勉強を始めようとしていました。
ある日、ニックは隣の邸宅の持ち主ジェイ・ギャツビー(レオナルド・ディカプリオ)に招待されてパーティに参加します。
毎週、週末になると盛大なパーティを開いているギャツビーでしたが、パーティには顔を出さず、パーティに来ている誰もがギャツビーの顔を見たことがありませんでした。それにもかかわらず、ギャツビーはニックには直接会い、二人は色々な話をして仲良くなります。
若くて、顔もかっこいい、大金持ちでみんなに偉大な人と呼ばれているギャツビーがニックに近付いた理由は、ギャツビーが昔からずっと会いたがっている女性デイジー・ブキャナン(キャリー・マリガン)とニックが親戚だったからです。ギャツビーは時間を重ねてニックと親密な関係になった後、デイジーに会わせてほしいと頼みます。
華麗なるギャツビーのネタバレあらすじ:承・ギャツビーの過去
華麗な経歴をニックに語ったギャツビーでしたが、真実は違いました。
ギャツビーは貧乏な農夫の息子として生まれました。子供のときから、貧乏な家庭で生まれた自分の人生に満足できず、自分の故郷を離れていつか金持ちになろうと夢見ていました。そんな彼は、偶然ヨットの事故に遭ったお金持ちを助けたことにより、信用を得たギャツビーは彼の死後、彼の家族を騙して財産を自分が相続します。しかし、その財産はあまり長く持たず、再びギャツビーは貧乏になります。貧乏になったギャツビーは軍隊に入隊することになります。
ある日、ギャツビーが偶然行ったパーティで運命の人に出会います。そのパーティにデイジーがいたのです。誰よりも綺麗だったデイジーに一目ぼれしたギャツビーでしたが、ギャツビーが第一世界大戦に出征することにより二人は連絡が取れなくなります。
そんな中、デイジーは鉄道王の御曹司であるトム・ブキャナン(ジョエル・エドガートン)との結婚を半ば強制的に勧められ、デイジーはトムと結婚することになります。しかし結婚式当日、ギャツビーからの手紙が届き、デイジーはやはり結婚はできないと泣きながら拒否するも、強制的に結婚させられることになります。
華麗なるギャツビーのネタバレあらすじ:転・デイジーとギャツビーの再会
デイジーが結婚したことを知りながらも彼女のことを諦めきれないギャツビーは、再び金持ちへと登り詰め、いつかデイジーが来てくれると信じて毎週末のパーティを開いていました。現在もデイジーは大金持ちのトムとの結婚生活を幸せだとは思っていませんでした。浮気性のトムは今も他の女性と浮気をしていて、デイジーはそのことが分かっていながら知らないふりをしています。
デイジーがパーティに現れることはありませんでしたが、デイジーの親戚であるニックが現れた事がギャッツビーにとってチャンスだったのです。ギャツビーはニックを通して彼女に再会するため、ニックの家でお茶会を開きます。
再会の日、ギャツビーはニックの家中を花で派手に飾り、緊張しながらデイジーの訪問を待ちます。デイジーが来て、久しぶりに会った二人は最初は緊張した面持ちでしたが、今でも想い続けていたこと、そしてデイジーがいまだに夫のトムを愛せていないことから、デイジーの気持ちも以前のようにギャッツビーに傾いていき、二人がまた恋に落ちるにはそう時間はかかりませんでした。
何としてでもトムからデイジーを取り戻そうとするギャツビー。デイジーもトムとの結婚生活が幸せだと思っていなかったこともあり、ギャツビーのところに戻ってくるものと思っていました。
華麗なるギャツビーの結末:二人の運命
一方、トムは以前からギャッツビーの事を怪しいと思っていました。すぐにギャッツビーの調査を始めると、やがてギャッツビーとデイジーの関係を知ることになったのです。それ以降トムはギャッツビーを刺激し続けます。ギャツビーはそんなトムの行動にもかかわらず、早くトムと別れて欲しいとデイジーに頼むものの、デイジーはトムに別れたいとは言い出せません。
トムはギャツビーのことをデイジーの前でずっと刺激し、結局ギャツビーは我慢できず爆発、酒のビンを投げるなど暴れてしまいます。そんなギャツビーの姿に失望したデイジーはトムに一緒に家に帰ろうと話すものの、トムは『堂々とギャツビーと一緒に帰ってくるように』と話し、一人帰ってしまいます。
デイジーは家に帰ろうとギャツビーの車を運転していると、その途中でトムの浮気相手マートルを誤って轢いてしまいます。デイジーの起こした事故でしたが、ギャツビーはその事実を隠蔽します。しかし、自分の浮気相手が死んだことにデイジーとギャツビーが関係していると気がついたトムは、マートルの夫ジョージにギャツビーが彼女を殺したのだと話します。
ギャツビーを浮気相手だと信じたジョージは憎しみが抑えられず拳銃を持ってギャツビー邸に乗り込んでいきます。ちょうどニックと電話をしていたギャツビーを背後から撃ちます。「デイジー…」と呟きギャツビーは息絶えてしまいました。
ジョージはその後、自らの頭を打ち抜き自殺してしまいます。メディアはマートルの不倫相手及び轢き殺した犯人をギャツビーだと報じました。ギャツビー邸には数多くのマスコミが押し寄せています。
ニックはギャツビーの葬儀について伝えようとデイジーに連絡をとろうとしますが、デイジーはトムと共にニューヨークを離れるため連絡がとれません。ギャツビーの葬儀にはニックだけが参列しました。
話は冒頭のニックに戻ります。ニックはギャツビーとの関り合いをまとめた回顧録に記しました。それは「ギャツビー」というタイトルでしたが「華麗なるギャツビー」にタイトルを改めるのでした。
以上、映画「華麗なるギャツビー」のあらすじと結末でした。
「華麗なるギャツビー」感想・レビュー
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原作にも出てきますがデイジーが産まれた娘に対して女は綺麗でバカに育てと思ったと回想するシーンが圧巻です。華麗なニューヨーク社交界で男性の手元でしか生きてはいけない女性の息苦しさが切々と伝わってきます。個人的にはその他派手なパーティシーンやもぐり酒場も臨場感があり経済が高騰しバブルに沸いた人々がどのように20年代を生きていたかを垣間見られます。事故が起こる現場に掲げられた眼科の目(いつでもお前を見ているぞの目)の看板が印象的でした。
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良かったです
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トムがスーパークズのクソ野郎で何も報いを受けてないのが残念。
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とにかく美しい映画だと思いました。
その時代の強烈な光と、それが故に生まれた闇との共存というか。強かで、かつ、とても弱い人間の有様だとか。劇中のニックの言葉が忘れられません。
『橋に差し掛かる頃には、僕はすっかり混乱していた。頭は回らなかったが、クイーンズボロブリッジから見た街は、いつも初めて見た時のままだ。この街を訪れる者たちに世界中の神秘と美を約束してくれる。なんだってありだ。今、橋を渡り終えてこう思った。なんだってありなら、ギャッツビーだって、ありじゃないか。』
猛烈に怒涛の時代を登りつめたジェイだったけれど、野心にまみれたその恋心は驚くほどに無垢で、痛々しいほどでした。 -
儚さと美しさが切なさに変わっていった。最後のギャッツビーのデイジーからの電話がやっときたと喜んだ束の間であのプールに倒れた時のギャッツビーの目が印象的で最後は悲しかった。やっぱりレオナルドディカプリオの綺麗なグリーンの目には吸い込まれそうです。デイジーに一途なギャッツビーは富とか生い立ちとかそんなのはもうどうでもいいと関係なく純粋に人を好きな気持ちが美しいと思いました。とても良い映画を見れました。
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ギャツビーの純粋さが痛いほど伝わってきて辛かったです…
デイジーはクズだと思うけど、ギャツビーが彼女を好きならそれでいいし、それでもギャツビーには幸せになって欲しかった泣
アメリカ文学の金字塔的作品「華麗なるギャッツビー」にアレンジを加えつつ、空前の活況に沸く1920年代のアメリカの浮かれた雰囲気とレオナルド・ディカプリオ演じるギャッツビーの華麗さや豪胆さが見事に描かれた映画になっています。1974年に初めて映画化された同映画(ロバート・レッドフォード主演)と比較すると、物語の起伏に応じてメリハリのある演出が目立ち、ギャッツビーとデイジーが再会する場面や、デイジーの夫とギャッツビーが対決するシーン等は、壮麗でとても迫力がありました。特に、ギャッツビー邸で夜ごと繰り広げられる、映画史に残るレベルの超絢爛豪華なパーティも大きな見どころの一つだと思います。