聖者たちの食卓の紹介:2011年ベルギー映画。インド、パンジャーブ地方にあるシク教総本山であるハリマンディル・サーヒブ。毎日多くの人の奉仕によって十万人分食事が作られ提供される、黄金寺院の無料食堂。そこにはカーストや性別、宗教関係なく、食事を共にする人々の姿があった。日々無料で提供される10万食もの食事の舞台裏を写すドキュメンタリー。
監督:フィリップ・ヴィチュス 出演者:参拝者の方々
映画「聖者たちの食卓」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「聖者たちの食卓」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
聖者たちの食卓の予告編 動画
映画「聖者たちの食卓」解説
この解説記事には映画「聖者たちの食卓」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
聖者たちの食卓のネタバレあらすじ:起・シク教の聖地、黄金寺院
多くの人々が訪れるインドの黄金寺院。この寺院は『現世でのセーワー(無私の奉仕)が天国での栄光を約束する』と書かれた聖典を持つシク教の寺院である。巨大な調理場が備えてあり、日に十万人分もの食事を無償で提供している。
農場からジャガイモを運び、広場で皮むきや刻み作業が行われる。その間にも次々と食材が運ばれ、下ごしらえがされる。同じくしてこの寺院へ多くの人々が参拝にやって来る。
聖者たちの食卓のネタバレあらすじ:承・流れるような作業とルール
ある人は粉を混ぜ、ある人はそれを千切り、またある人はそれを平たいパンの形に伸ばす。それらは集められ、パン焼きの鉄板の上に持っていかれる。ここで交代しながら数人によって次々に大量のパンが焼かれていく。
無料食堂には、『足を洗う事』と『靴を脱ぐ事』という決まりがあり、みな裸足で食堂の中へ入る。その際、ターバンやベールの無い者には適宜それに相当する者が与えられる。そのまま列に並ぶと、皿などの食器一式を渡され、老若男女分け隔てることなく、食堂へ行き着く。
聖者たちの食卓のネタバレあらすじ:転・皆並んで食事を
調理場から、小分けにされたカレー、パン、水などが食堂に運びこまれ、それぞれの皿に盛られていく。カレーは数種類あり、適宜交換される。また、パンの籠やカレーを持った人が常に歩いており、手を出したり欲しいという身振りをするだけでもらう事ができる。
食べ終わった人は退室し、食器を返す。そこから目の前の河で沐浴や祈りを捧げる。その水を汲み、食器などを洗うために使う。
一通り食べ終わった食器が集まると、洗い場に並んだ人々によって、再び流れ作業で洗浄されていく。
聖者たちの食卓の結末・祈りの時間
それら一連の労働の中でも、祈りの時間は守られ、皆が揃って祈りを捧げる。それが終わると再びそれぞれの持ち場に戻る。食事の他にも、ターバン・ベールに相当するものを持たない人のために、オレンジ色の布を切り分ける作業もセーワーの一つになっている。
調理場では空になった、人が入るほどの大鍋が洗われ、食堂は絨毯ごと水洗いにされる。綺麗になった食器が揃えられ、また明日を待つ。
この黄金寺院の無料食堂は、中心となっている導師とそれを支えるセーワーで成り立っている。ここにはインドでありながらカースト、性別、宗教関係なく同じ食堂で食事を共にする。
以上、映画「聖者たちの食卓」のあらすじと結末でした。
聖者たちの食卓のレビュー・考察・同じ釜の飯
おそらく日本で言う所の同じ釜の飯を食べる事で、彼らは共同体としての意味を見出し、その中に祈りや沐浴と同じくらい当たり前の行為として、セーワーはるように思える。見ている限り、彼らに指図する者はおらず、入れ替わり立ち代わり奉仕を行っていく様子が見られる。この黄金寺院の無料食堂に入った者は、なにかの一環のあって、それを通るうちにあ当たり前のように奉仕を行っていくようにも見え、この寺院を巡る食事を共にする事で出来た一つの大きな円環を見たような気がする。
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