ポーズ!~マドンナのバックダンサーたち~の紹介:2016年オランダ, ベルギー映画。90年代、マドンナのツアーでバックダンサーを勤めたメンバーたち。一度は離れてしまった彼らが当時の熱狂と自分たちがなしたLGBTのアイコンについて再び語る。
監督:エスター・グールド、レイエル・ズヴァン 出演:ケビン・ステア、カールトン・ウィルボーン、ルイス・カマチョ、ホセ・グティエレス、サリム・ガウルース、オリバー・クルムズ、ガブリエル・トルーピン、ほか
映画「ポーズ!~マドンナのバックダンサーたち~」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「ポーズ!~マドンナのバックダンサーたち~」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
ポーズ!~マドンナのバックダンサーたち~の予告編 動画
映画「ポーズ!~マドンナのバックダンサーたち~」解説
この解説記事には映画「ポーズ!~マドンナのバックダンサーたち~」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
ポーズ!~マドンナのバックダンサーたち~のネタバレあらすじ:起・マドンナのバックダンサー達
育った環境もセクシュアリティも異なるダンサー達の個性と才能を見極めたマドンナは、直接電話での勧誘やオーディションで集め、マドンナ自身がそうであるようにダンススタイルの可能性と進歩的な豊かな表現を求めた。その中でもヒップホップは当時としては異例の抜擢だった。
ステージではマドンナだけでなくバックダンサーたちにも歓声が送られ、ファンが付いた。しかしステージでの演出が猥褻だとして警察当局からの警告、バチカンカトリック系団体からは神への冒涜だと批判が寄せられた。
しかし、世界が受け入れられずとも、マドンナは先駆者であり続けた。既成概念を破壊する彼女の方法を反抗的だと言う意見もあったが、マドンナにとってはステージで自分の生き方を見せるスタンスは変わらなかった。
ポーズ!~マドンナのバックダンサーたち~のネタバレあらすじ:承・バックステージのドキュメンタリー
ステージ以外でのマドンナとバックダンサー達のドキュメンタリーは、ゲイでも偽装結婚や場末のバーに逃げなくても幸せで充実した人生を送ることができると、当時差別のあったセクシャルマイノリティ達を勇気づけた。マドンナとバックダンサー達はツアーでゲイの権利やHIVの予防の呼び掛けを行った。
成功していくマドンナのツアー活動の裏で語られなかった物語がある。
メンバーのうちの一人は、HIV特有の症状があり、検診を受けたが、マドンナや他のダンサー達には言わないでほしいと言うほど不安を抱えていた。
また、矢面に立つ準備が足りず、世間に自分のセクシュアリティを晒されて傷ついたメンバーもいた。彼は世間を変えたり煽るつもりはなく、自分の人生を生きたいだけだった。そして、使わないように言っていたシーンをドキュメンタリーに使われ、裁判を起こした。
ポーズ!~マドンナのバックダンサーたち~のネタバレあらすじ:転・解散したバックダンサー達
ものわかれとなったマドンナとバックダンサー達は、レコードを出す者、ラスベガスに進出する者、ドラッグにはまる者など様々だった。
そして訴訟を起こすきっかけとなったガブリエルはHIVに感染した事を、他のメンバーが心配しないように隠し、一人で亡くなった。他にもHIVに感染しているメンバーはいたが、皆一人で抱えていた。
さらに彼らのキャリアの始まりはマドンナであり、事あるごとに話題に上り、彼らを苛立たせる事もあった。マドンナは、ドラッグにはまったメンバーや、転落した人生を歩む彼らに助けが必要だと言ってくれたものの、メンバーとマドンナの距離は離れていった。
ポーズ!~マドンナのバックダンサーたち~の結末:再会したバックダンサー達
月日は流れ、再び集まったダンサー達は、互いに喜びあい、マドンナとの伝説的なツアーと映画と、その後それぞれの歩んだ人生について語り合った。
オーディションの度にマドンナのバックダンサーという肩書きが消えず苦労したメンバーなど、試練の多かったメンバーもいたが、彼らにとってマドンナのバックダンサーであった事は後悔ではなく、むしろ離れていかれた事が悲しく、今この集まりに彼女がいてほしいとさえ思っていた。
若く無名だった彼らが名を得たのは事実で、マドンナとは巡り合わせで、彼女が責任を負うものではなく、それぞれが自分の生き方が自分の人生を作ったと語った。
この再会を期に、それまでHIV感染を秘密にしていたメンバーも告白しあい、互いにそれぞれが生きていると励ましあった。
以上、映画「ポーズ!~マドンナのバックダンサーたち~」のあらすじと結末でした。
ポーズ!~マドンナのバックダンサーたち~のレビュー・考察:先駆けのダンサー達
LGBTに対する理解が急速に進んで昨今、十数年前は、パレードはあれど表立って語られることは多くなく、映画にしてもクィア(LGBTQのQに当たる)でひとからげにされていたのを覚えている。90年代に関しては想像すら及ばないけれど、まだHIVに対して誤解や先走る恐怖のようなものもあり、忌避されていたように思う。少なくとも表立って語られる事は避けられていた印象がある。そんな中でマドンナのバックダンサー達は、名前のある個人である前に、希望のアイコンになってしまった。それは、悲しい行き違いだったかもしれない。ただ、彼らのような先駆けがいなければ、今現在あるような、LGBTに対たいして理解を深めようと言う動きも発生しなかったように思う。
この映画の感想を投稿する