ブルーに生まれついての紹介:2015年アメリカ,カナダ,イギリス映画。若くしてスターとなったジャズトランペット奏者、チェット・ベイカー。麻薬に溺れ、様々なトラブルを見舞われながらも音楽にすべてを捧げたチェットの波乱に満ちた半生を描いた伝記映画です。
監督:ロバート・バドロー 出演者:イーサン・ホーク(チェット・ベイカー)、カルメン・イジョゴ(ジェーン/エレイン)、カラム・キース・レニー(ディック・ボック)、スティーヴン・マクハティ(チェットの父)、ジャネット=レーヌ・グリーン(チェットの母)ほか
映画「ブルーに生まれついて」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「ブルーに生まれついて」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
ブルーに生まれついての予告編 動画
映画「ブルーに生まれついて」解説
この解説記事には映画「ブルーに生まれついて」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
ブルーに生まれついてのネタバレあらすじ:起
若くしてジャズ界のスターとなったトランペット奏者でヴォーカリストのチェット・ベイカー。しかし麻薬漬けの生活に陥ってしまったチェットは様々なトラブルに見舞われ、ロサンゼルスの刑務所の中にいました。その後チェットの自伝的な映画を撮りたいという映画監督の助けにより釈放されますが、外界に出た彼には常に薬の誘惑がつきまといます。
映画の撮影に臨んだチェットは自身の別れた妻エレイン役に起用された女優の卵ジェーンをすぐに気に入り、デートに誘います。しかしジェーンはヘロインを断てずにいるチェットを簡単には受け入れられません。
ある夜、薬の支払いを踏み倒したことからチェットはヤクの売人に襲われ、顔面に重傷を負ってしまいます。入れ歯となり、思うように演奏することができなくなったチャットはトランぺッターとして再起不能と見なされ、仲間達も彼を見放していきます。伝記映画の制作も中止に追い込まれますが、ジェーンはチェットを献身的に支えようとしはじめ、二人の間に愛が芽生え始めます。
ブルーに生まれついてのネタバレあらすじ:承
チェットには畏怖している伝説のジャズトランペット奏者がいました。モダンジャズの帝王と呼ばれたマイルス・デイヴィスです。若い時分ジャズクラブでマイルスと対面したチェットは演奏を酷評され、西海岸の白人ジャズマンと侮蔑されたことを今も忘れられず、いつかマイルスを唸らせる演奏をしたいとひそかに闘志を燃やしています。
チェットは全盛期の演奏を取り戻そうとひたむきにトランペットの練習を重ねていきます。そしてジェーンの全面的なサポートのおかげで、ヘロインに走ることもなくなり、健全な生活を取り戻していきます。さらにジェーンから妊娠していることを告げられたチェットは父親からもらったトランペットのバルブ・リングを結婚指輪の代わりにジェーンに渡してプロポーズするのでした。
チェットの演奏にこれまでにない深みが増していることを感じたレコード制作会社のディックはあるレコーディングに彼を参加させます。ここでチェットは素晴らしい演奏を披露します。
ブルーに生まれついてのネタバレあらすじ:転
レコーディングを見に来ていたジャズ界の巨匠ディジー・ガレスビーもチェットの演奏を高く評価します。チェットはニューヨークの名ジャズクラブ「バードランド」で演奏させてもらいないかとディジーに頼みますが、ディジーはチェットの不安定な精神状態を心配します。チェットは3種類の演奏を見つけたのだと必死に自分を売り込み、ディジーも彼の熱意に負けてバードランドへの出演を取りもってくれることになったのでした。
チェットは大喜びでジェーンに報告し、早速明日ニューヨークに発とうと話しますが、ジェーンはオーディションの二次審査があるのでついていくことはできないと告げます。ジェーンのサポートなしではステージに上がる自信がないと漏らすチェットに、ジェーンは一人でも大丈夫だと背中を押します。チェットは心細さを抱えたまま一人ニューヨークへと旅立ちます。
ブルーに生まれついての結末
ニューヨークのバードランドで一日限りのチェットのライブが行われる日がやってきます。客席にはディジーやマイルスの姿もありました。しかし控室に入ったチェットは緊張のあまり嘔吐してしまい、ディックが彼の身体を心配します。チェットが常用している鎮痛剤のメタドンを切らしていることを打ち明けると、ディックはメタドンを持っている客を探してくると話し、チェットを落ち着かせようとします。しかしチェットは再びヘロインに手を出そうとしていました。麻薬をやると自分の演奏に自信を取り戻せるのだとチェットが呟くと、ディックは薬がなくても君は素晴らしい演奏をすると彼を元気づけようとします。
ステージの幕が開こうとしていました。そこにオーディションの日程を変更してもらったジェーンも駆け付けます。ステージに上がったチェットは控室の様子とは別人のような落ち着きぶりで演奏を開始します。歌いはじめたのは切ないラブ・バラード「ブルーに生まれついて」でした。彼の美しい歌声にしばし聞き入るジェーンでしたが、曲が自分のためにではなく前妻エレインのために捧げられたものであり、彼が再び麻薬に手を出したことに気付いてしまいます。自分が必要とされていないことを悟ったジェーンはバルブリングをディックに委ね、クラブを後にします。チェットの演奏は成功し、マイルスも大きな拍手を彼に送ります。しかしチェットはその後も薬物依存から抜け出すことはできず、1988年にアムステルダムでその短い生涯を終えたのでした。
【 孤高の天才 チェット・ベイカー 】 〈耽美派の詩人を描いた傑作映画〉 本作のイーサン・ホーク扮するチェット・ベイカーは、ナイーブで傷付きやすい「繊細な男」として描かれている。 確かに「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」を、「そっと囁く」ようにして歌うチェットは、きっと「やさしくて繊細な」青年であったのだろう。 実を言うと私はチェット・ベイカーが奏でる音楽の「熱烈なるファン」のひとりであり、「彼が到達した領域/サウンドの信奉者」でもあるのだ。 チェット・ベイカーが紡ぎ出す「音楽」は憂いを帯びた「哀歌/エレジー」そのものであり、或いは一種の「幻想曲」なのである。 そしてその「雑味のないピュア」なサウンドは、まるでスコッチウイスキーの雄「マッカランの15年」のようにデリケートで極めてスムーズなのだ。 つまり「芳醇」にして「甘美」であり、ひたすら「ソフト & ドリーミー」なのである。 だから チェット・ベイカーは「夢見る乙女」ならぬ、純真なる「夢想家」の青年であったというわけだ。 なのでチェットのトランペットも「ヴォーカル」も上質の「ヴェルヴェット」のように、ソフトでデリケートで「この上なく叙情的/リリカル」なのである。 また、事前にトランペットの「猛特訓」を受けたという、イーサン・ホークの「熱演」も とても見事で見応えがあった。 そして何よりイーサンは「直向き」であり誠実でもあった。 与えられた役柄に対しては「ニュートラルかつ真摯」に取り組み、ピュアで外連味のない「チェット・ベイカーの本質」を見事に体現していた。 先ほどチェット・ベイカーのことを「やさしい」と言ったが、正確には「やさしい人間」ではなくて、彼は限りなく「甘い人間」だったのである。 じっさい「やさしいと甘いとでは」大きく異なる。 真にやさしい男とは「自己に厳しくて他人にやさしい」ものなのだ。 だが「甘い人間」は自分を甘やかし、意志が弱い「優柔不断」な人間なのである。 チェット・ベイカーが「誘惑に弱い人間」であることは周知の事実。 しかし かく言う私も御多分に漏れず、全ての面において「甘くて」意志が弱い「優柔不断なる凡夫」なのである。 また チェットの愛人を演じた「カルメン・イジョゴ」は、そのしなやかな肢体と「セクシーでキュート」な表情が魅力的なのであった。 そして 一番「グッ!」ときたシーンは、「録音スタジオ」で固唾をのんで見守る「ギャラリーを前」にして、「囁くように」切々と歌い上げた「My Funny Valentine」の場面である。 愛人のジェーンの眼をじっと見つめるチェットの「あの眼差し」と、「シンプル」な歌(バラード)には、チェットの「万感の思いが」込められていたのである。 ─ そんなチェットの「お勧めの逸品」は1958年に発表されたアルバム(不朽の名盤)【Chet】に収録されている「Alone Together」である。 このバラードは我が最愛のピアニスト「ビル・エヴァンスのソロ」から始まる。 そしてチェットの「一抹の狂気を含んだ」トランペットが、唐突に「俺はまだ生きているぞ」っと 小さく静かに叫ぶ。 するとそこへ「肺腑」を抉るような「狂おしい」ペッパー・アダムスのバリトン・サックスが絡み、更には「ハービー・マンのフルート」がさりげなく「そっと」寄り添う。 これらの「天のもの」なる「3つの神器/管楽器」による合奏は 「殊のほか幻想的」で、さながら「地下街のバー」で夜通し飲んだ明け方に、ふらついた足取りで「まぶしいビル街」に出た瞬間の「あの感覚」なのである。 これはいったい「エレジー」なのか それとも「バラード」なのか、とにもかくにもそのサウンドは「哀切極まりない」のである。 そして 何と言ってもチェット・ベイカーのペットが、もう「痛々しく」て、「堪らなく切なくて」どうにもならないのである。 私もチェットも共に「耽美派の甘い人間」なので、互いに同調し「化学反応」を起こして「とめどなく情に流され」てしまう。 そもそもトランペットそのものが「人間の孤独」を浮き彫りにする「哀しき装置」なのだから、これはもうどうしようもない。 かくの如き「孤高の天才」チェット・ベイカーの「名盤」は数知れず語り尽くせない。 まあ 控えめに言っても「耽美派」のチェット・ベイカーは「ジャズ界の異端児」であり、唯一無二の「孤高の天才」だったということに尽きる。 イーサンが奮闘し カルメンが花を添えた「ブルーに生まれついて」は、耽美派の「詩人」チェット・ベイカーの半生を描いた とても「貴重な作品」(傑作映画)なのである。