ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブの紹介:1999年ドイツ,アメリカ,フランス,キューバ映画。ライ・クーダーがプロデュースした同名のアルバム『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』とキューバ国外でほとんど無名だった老ミュージシャンの来歴やキューバの風景を織り交ぜたドキュメンタリー。第53回エディンバラ国際映画祭観客賞作品。
監督:ヴィム・ヴェンダース 出演者:ライ・クーダー、イブライム・フェレール、ルベーン・ゴンザレス、オマーラ・ポルトゥオンド、コンパイ・セグンドほか
映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブの予告編 動画
映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」解説
この解説記事には映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのネタバレあらすじ:起
ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのアムステルダム公演直前、劇場は熱気に包まれていました。舞台は1998年のキューバ。アメリカ・フロリダ半島の南に浮かぶ社会主義国家で、1962年のキューバ危機以降アメリカと国交のない国です。老人・コンパイ・セクンドを乗せた車はある住宅街で止まります。コンパイは住民に「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」の場所を尋ねますが、今はもうないと返されます。それは、首都ハバナにあった旧共和政時代の会員制クラブの名前です。キューバ革命で閉鎖されるまで、音楽やダンスを楽しむ人が集っていました。同じ頃、ハバナをオートバイとサイドカーが走ります。オートバイに乗っていたのは名ギタリスト、ライ・クーダーとその息子です。ライは2年前、アルバム「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」のレコーディングでキューバを訪れていました。かつて同名クラブで活動していた老人たちで構成されるバンドです。長年無名でしたが、ライのプロデュースにより再結成し、アルバムは世界中で売上400万枚を記録、1997年のグラミー賞を受賞しました。結成のきっかけは2年前、ライがキューバ音楽に魅了され、キューバで音楽活動をしていた老人たちと出会ったことです。しかし彼等はすでに70歳~90歳、わずかに生き残った人々も靴磨きや木工所で生計を立ており、音楽を続けていませんでした。
ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのネタバレあらすじ:承
それでもクーダーは彼らと一緒に演奏するため、老人たちをスカウトします。そのうちの一人、イブライムは10年以上前に歌をやめた元ボーカリストで、キャラメル売りや靴磨きで生計を立てていました。ライのスカウトにも「靴のクリームをふき取ったらすぐ行く」と返します。スタジオにはイブライムをはじめ平均年齢70歳以上の老人が集まり、昔の定番曲をセッションすることになりました。セッションがはじまると透き通った美しいキューバ音楽が流れ始めます。老人たちは、打ち合わせもなくたった一回で成功させてしまいました。普通の老人に見えるイブライムの歌声も老いを感じさせない、優しく深みのある歌声です。ライは素晴らしい音楽に出会えたことに衝撃を隠せません。集まった老人たちの多くはブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブで活動していたため、そのクラブから名前をとり活動を始めます。もう一人のボーカル、コンパイ・セグンドも、葉巻職人として生計を立てていました。90歳になっても帽子と葉巻スタイルを貫き、町でも声をかけられるほどの人気者です。ライブで歌い上げる姿は微塵もブランクを感じさせません。ライはアメリカへ帰国した後も思い出に浸っていました。ライの友人でこの作品の監督であるヴェンダースは、興味を抱きデモテープを聴いたところ、心を奪われます。走行中の車を停めて聞き、一晩に4回も聞くほどでした。そして一年後、ライからの連絡でヴェンダースは二枚目のアルバム制作に密着します。出発の一週間前の連絡であり、ろくな準備も出来ずハバナに向かいます。それが今回のドキュメンタリーの経緯でした。
ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのネタバレあらすじ:転
ピアニストのルベーン・ゴンサレスは90歳。しかしピアノを10年間も弾いていません。関節炎をわずらっていたと言いますが、本当は貧しくてピアノが手もとになかったのです。それでもキューバ音楽史上三本の指に入ると言われるほどの実力を持っており、やがてピアノを弾く彼の周りに子供達が集まってきました。彼等は社会主義になった現在でも「人生こそ、歌と女性と花とロマンス」だと楽しげです。1998年7月、カーネギーホール公演のため老人たちはアメリカにいました。リハーサルとライブの合間にニューヨークの街中を散策します。ニューヨークは社会主義国家であるキューバとは違う世界でした。1962年のキューバ危機以降、アメリカによって経済封鎖が実施されていたため、経済も文化的交流も滞っており、キューバとは全く違う世界が広がります。有り余るほどモノがあふれるニューヨークの街で、老人たちはキューバ音楽を奏でるのでした。
ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブの結末
カーネギーホールでの公演も、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブおなじみのナンバーを奏でます。演奏の合間には笑顔がこぼれ、メンバー同士で笑いあい、リラックスした表情で音楽を楽しんでいました。観客も音楽に合わせて身体を揺らし、時には涙をたたえながら音楽に浸っていました。最後の曲が終わると、彼らはカーネギーホールに祖国キューバの国旗を広げます。彼等はそれぞれ挫折や葛藤を抱えながら、それすら音楽の糧にし、老いても音楽を楽しんできました。その姿勢を称えるかのように観客の拍手はいつまでも続きます。
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