イースタン・プロミスの紹介:2007年イギリス,カナダ,アメリカ映画。ロンドンの助産師アンナの働く病院にロシア人少女が担ぎ込まれた。少女は女児を出産した後、息を引き取る。彼女の遺品である日記からタチアナという名前と、ロシアンレストランの名刺を入手したアンナは、女児の身元をはっきりさせるため、単独で調査することに。しかしロシアンレストランの主人セミオンとその息子キリルは恐ろしいマフィアの一員であった…。
監督:デヴィッド・クローネンバーグ 出演:ヴィゴ・モーテンセン(ニコライ)、ナオミ・ワッツ(アンナ)、ヴァンサン・カッセル(キリル)、アーミン・ミューラー=スタール(セミオン)、イエジー・スコリモフスキ(ステパン)、シニード・キューザック(ヘレン)、ほか
映画「イースタン・プロミス」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「イースタン・プロミス」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「イースタン・プロミス」解説
この解説記事には映画「イースタン・プロミス」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
イースタンプロミスのネタバレあらすじ:起
アンナはロンドンで働く助産師でした。ある都市のクリスマス、十代の少女が救急搬送されてきました。彼女は妊娠しており、女の子を出産した後そのまま息を引き取ってしまいます。彼女の日記を手にしたアンナは中を読んでみますが、ロシア語で書かれており、読むことができません。日記の中からロンドン市内にあるロシアンレストランの名刺を見つけた彼女は何か手がかりが得られると思い、自ら訪れます。気前の良い優しそうな年輩のロシア人男性が迎えてくれました。彼の名はセミオンといい、その少女のことは知らないと言いつつも、日記の翻訳を手伝ってあげようと申し出ます。
イースタンプロミスのネタバレあらすじ:承
彼の息子キリルは放蕩息子でした、ドライバーのニコライを従えて夜な夜な遊び回っていました。後日、アンナはセミオンに日記のコピーを渡します。アンナは帰路で自分のバイクがエンストしたのをニコライに助けて貰いました。翌日、アンナの働く病院にセミオンが訪れ、日記の翻訳が済んだと告げました。日記によるとキリルが少女に乱暴してできた子供が、アンナの取り上げた赤ん坊だと言います。アンナは家へ帰ると、ロシア人で伯父のステパンに「この日記に関わらない方が良い」と忠告を受けます。また続けてキリルではなく、父セミオンが乱暴してできたのが彼女の赤ん坊だと日記から読み取れたのだと言われます。れっきとした児童買春でした。
イースタンプロミスのネタバレあらすじ:転
セミオンとの間にはニコライが入りました。日記の原本を渡せば少女の故郷についての情報を渡す、という条件でアンナはニコライと面会しますが、それは口から出任せでした。セミオンはステパンが日記のことを詳細に知っているのを危惧して、ニコライに殺すように命じます。そつなく仕事をこなす上、従順で出来のよいニコライはすぐにセミオンに取り入ることに成功します。キリルはニコライに、セミオンの属するマフィアの一員になるように打診し、すぐに叶います。キリルは兄弟のようにニコライを歓迎しました。ある時、キリルの以前の汚名をニコライがかぶることになってしまいました。しかしニコライは素手にもかかわらず、暗殺者たちを駆逐。重傷を負ったためアンナの病院へと搬送されます。
イースタンプロミスの結末
そこでニコライに面会に来たのはFSB(ロシア連邦保安庁)の職員。実はニコライはマフィアに潜入捜査していた捜査官だったのです。ニコライの病室を訪れたアンナはステパンが無事であることを彼から聞かされ安堵します。ところが安心したのも束の間、アンナはキリルが新生児室から赤ん坊を拉致するところを目撃。急いでニコライと跡を追いかけます。キリルは赤ん坊を溺死させようとしていました。「まだこんなに小さいのになぜ殺さなければいけないんだ」と泣きながら話しかけていましたが、ついにキリルに追いついたふたりに呼び止められます。キリルは改心し、赤ん坊をアンナに預けます。ニコライはマフィアの頂点に上り詰め、滅ぼすつもりであるとほのめかして、消えていきました。赤ん坊はアンナが引き取り、セミオンは逮捕されました。ニコライはマフィアの一員として今もなお暗躍しているようでした…。
ロンドンの街に広がるロシアン・マフィアの影。
その犠牲となった少女の遺した手記を手にした、助産師ナオミ・ワッツは、産み落とされた遺児の身元を探したために、マフィアに追われる身となってしまう。
全編を通して非常に暗い。ましてや監督は、「ビデオドローム」や「イグジステンズ」など、肉体のグロテスクな変容に取り憑かれてきたデヴィッド・クローネンバーグですから。
何か、とてつもなく悪い予感がしてきます。
ところが、観終わって、後味はそう悪くないのだ。
それどころか、闇に沈むロンドンの片隅に咲いた一輪の花という味わいなのだ。
ただ、そうは言ってもクローネンバーグの映画だから、バイオレンスは、たくさんあって、死体の身元を隠すために、指先を一本一本切り落とす。
あるいは、トルコ風呂では、全裸の男たちが、ナイフ一本で斬りつけ、殺し合うのだ。
銃ではなく、ナイフに頼るところが、またとても怖いのだ。
だが、この映画は、実はチャールズ・ディケンズの世界だと思う。
闇に包まれてはいるが、モラルが残されている。
起承転結のついた物語を落としどころに持っていく、古風な話法もディケンズそのもの。
ナオミ・ワッツは、邪悪の詰まった箱を開けてしまったパンドラだけど、箱の底にはちゃんと希望が残されているのだ。
非情な暴力とわずかな希望の二重性を見事に表現した、主役のヴィゴ・モーテンセン、実に素晴らしい名演です。
暴力の絶えない世界の中で、倫理はどこに残されるのか。
コーエン兄弟、ティム・バートン、ポール・トーマス・アンダーソンと、優れた監督は皆、このテーマなのだ。
かねてより、クローネンバーグ監督は、善悪の彼岸で死の匂いに浸っていたわけですが、そのニヒルでシニカルな筈のクローネンバーグが、モラルと希望を探している。
実に、皮肉なものです。
かつてのクローネンバーグに比べると、甘すぎると思う人もいるだろうが、ドラマの保守性とかすかなモラルがなければ、生きている意味もないではないか。
暗い映画なのに、久しぶりに救われた気持ちになりました。