時代劇は死なず ちゃんばら美学考の紹介:2015年日本映画。時代劇における「ちゃんばら」を固有の文化と捕らえ、日本映画を支えてきた重鎮達の証言や文化人達の考察をもとに、日本的な精神世界を追及した意欲的なドキュメンタリー作品。監督は「木枯らし紋次郎」などで知られる中島貞夫。最後は中島による撮りおろし、ちゃんばらシーンが見られる。
監督:中島貞夫 出演:中島貞夫、松方弘樹、福本清三、木村彰吾、山本千尋、ほか
映画「時代劇は死なず ちゃんばら美学考」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「時代劇は死なず ちゃんばら美学考」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
時代劇は死なず ちゃんばら美学考の予告編 動画
映画「時代劇は死なず ちゃんばら美学考」解説
この解説記事には映画「時代劇は死なず ちゃんばら美学考」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
時代劇は死なず ちゃんばら美学考のネタバレあらすじ:起
刺し子の胴着に紺袴を着けた女優、山本千尋に映画監督の山本貞夫が、京都の「映画誕生の碑」の前で日本映画の歴史を語るところから映画の前半は始まり、映画の歴史と日本の精神性などを映画評論家の山根貞男、帝京大学文学部長の筒井清忠、時代劇研究家の春日太一らが語り尽くします。後半は映画の中で実際に刀を握って人を切ったり切られたりしてきた殺陣師の面々と中島の対談と、松方弘樹らへのインタビューで構成され、最後は中島渾身の殺陣シーンです。
日本の映画の歴史は古く、1895年フランスのリュミエール兄弟が世界で始めてシネマトグラフ(映画)を発明してから、早くも2年後には兄弟の学友であった日本人の稲田勝太郎によって日本に持ち込まれました。今はチラシしか残っていない『本能寺合戦』が日本で最初の映画と言われています。
琵琶湖の水力発電に成功し、変圧器を使う技術力を有する当時の京都で、日本の映画制作が本格化しました。しばらくは日露戦争などの記録映画が制作されていましたが、やがて演出された演技を撮る劇映画の時代が訪れます。
時代劇は死なず ちゃんばら美学考のネタバレあらすじ:承
「日本映画の父」と言われるマキノ省三がそれまでの歌舞伎のような様式美に基づいていた日本人の演劇観を、リアルなものへと変えました。尾上松之助ら歌舞伎役者がスターとして売り出されます。
昭和初期には日本映画は第一期黄金時代と呼ばれる繁栄の時代を迎え、太秦は「日本のハリウッド」と例えられました。坂東妻三郎、片岡千惠蔵、市川右太衛門、嵐寛寿郎といったビッグスターが銀幕を彩り、それぞれに個性的な殺陣の技を披露していました。
時代劇は死なず ちゃんばら美学考のネタバレあらすじ:転
しかし第二次世界大戦の敗戦を迎え、日本映画はちゃんばらを禁止されてしまいます。日本刀と剣術の持つ日本的な精神性が欧米の人々には奇異に感じられたのかも知れません。1951年にサンフランシスコ平和条約が結ばれ、やっとちゃんばらが解禁になると、忠臣蔵をはじめとする侍が活躍する時代劇が再び作られるようになりました。
大川橋蔵、市川雷蔵、勝新太郎ら新しいスターも誕生し、時代劇は再度活気を取り戻しました。多くの映画作品のちゃんばらシーンや京都で時代劇を支えた小道具の会社、高津商会の模造刀のコレクションが写し出され往時をしのばせます。
時代劇は死なず ちゃんばら美学考の結末
しかし1960年代になると時代劇映画は急速に衰退しました。テレビの普及によって映画産業そのものが衰退したことに加えて、人々の生活の変容による観客の感性の変化が時代劇をスクリーンから遠ざけていったのです。黒沢明のような傑出した時代劇作品を撮る監督もいましたが、多くの人々にとって時代劇はリアリティーを感じられなくなり、代わりに台頭してきたのは時代劇の仇討ちなどの要素を受け継ぎながら、より現代風に戦いを描いた任侠映画でした…。
監督によって目指すちゃんばらの理想が異なるということ。時代劇で活躍したスター達はそれぞれに個性的な殺陣の技を持っており、彼らに呼吸を合わせて剣を交える緊張感や喜び。福本清三をはじめとする殺陣師たちの思い出話や殺陣に対する思いが語られる後半部を経て、ラストは中島がメガホンを撮るちゃんばらシーンで幕を閉じます。
以上、映画「時代劇は死なず ちゃんばら美学考」のあらすじと結末でした。
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