K-19の紹介:2002年アメリカ,イギリス,ドイツ映画。冷戦時代の1961年にソ連の原子力潜水艦「K-19」が北海のグリーンランド付近で実際に起こした事故を映画化したドラマです。
監督:キャスリン・ビグロー 出演者:ハリソン・フォード(アレクセイ・ボストリコフ)、リーアム・ニーソン(ミハイル・ポレーニン)、ピーター・サースガード(ヴァディム・ラドチェンコ)、クリスチャン・カマルゴ(パベル・ロクテフ)、ジョージ・アントン(コンスタンティン・ポリアンスキー)ほか
映画「K-19」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「K-19」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「K-19」解説
この解説記事には映画「K-19」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
K-19のネタバレあらすじ:起
1961年。冷戦時代真っ只中のソ連とアメリカは競い合うように核兵器の軍備を増強していました。ソ連軍は原子力潜水艦「K-19」を用いて核弾道ミサイルの発射シミュレーションが行われましたが失敗に終わり、艦長のミハイル・ポレーニン(リーアム・ニーソン)は無能な整備員と部品の不良を軍上層部に訴えますが、新たにアレクセイ・ボストリコフ(ハリソン・フォード)を新艦長に、ポレーニンを副長に指名され、ゼレンツォフ国防相(ジョス・アクランド)からK-19の処女航海を命ぜられます。軍上層部はK-19にテストミサイルを発射させ、アメリカに対抗できる兵器があることを誇示しようというのです。
K-19のネタバレあらすじ:承
ポレーニンは航海は時期尚早と進言するも聞き入れられず、訓練学校を出たばかりの新米原子炉担当官ヴァディム・ラドチェンコ(ピーター・サースガード)、政治局員アイゴール・ススロフ(ラビル・イスヤノフ)らを乗せたK-19は出航します。出航早々からボストリコフは電気系統故障の訓練や魚雷移動訓練など数々の訓練を繰り返し、海面が凍結しているというポレーニンの進言を無視して無理やり氷を突き破り浮上します。艦や乗組員を危険にさらすようなボストリコフの命令にポレーニンは反発します。テストミサイル発射は成功し、乗組員は喜びに沸き立っていましたが、ボストリコフに反感を抱く乗組員デミチェフ(スティーヴ・ニコルソン)はポレーニンに「我々の艦長はあなただけです」と告げました。一方、ラドチェンコは原子炉の冷却装置に異変を感じ取っていました。
K-19のネタバレあらすじ:転
休憩を終えたK-19は再び出航しますが、とうとう原子炉の冷却装置が故障して炉心温度は上昇、更に放射能漏れの危険性が高まってきました。このままでは艦は数時間以内に核爆発してしまいます。報告を受けたボストリコフは、対策会議が開かれ、ボストリコフは艦内の任務続行は不可能とするポレーニンの意見を退け、事態を解決したうえで任務を続行すると決断します。急遽対策会議が開かれ、ボストリコフは艦内の30トンの飲料水を冷却水の代用とすることを決めますが、飲料水をパイプで炉心に運ぶには原子炉の中に入らなければならず、放射能汚染を最小限に防ぐためにも短時間で作業しなければならないのです。ボストリコフは避難すべきとするポレーニンの意見を却下し、二人一組・10分交代で作業に当たらせることにします。
K-19の結末
乗組員の被曝しながらの決死の作業も虚しく、状況は刻一刻と悪化するばかりでした。ポレーニンは近くを航行するアメリカの駆逐艦に救援を求めようと進言しますが、ボストリコフは乗組員の安全よりも国益を優先して救援を拒みます。このままでは乗組員の命は危ういと感じたデミチェフは、ボストリコフは放射能汚染で正常な判断能力を失っているとしてススロフらにクーデターを呼びかけ、ボストリコフに銃を向けて拘束します。そんな中、原子炉内に入ったラドチェンコは決死の作業で何とか応急処置を成功させますが、大量の放射能を浴びて倒れ込んでしまいます。解放されたボストリコフは乗組員の功績を讃え、艦の乗組員は救援の潜水艦に救助されましたが、原子炉内で作業した作業員らは助かりませんでした。ボストリコフは事故の件では無罪になるも潜水艦勤務はこれが最後となり、乗組員には箝口令が敷かれました。
時は流れ、ソ連が崩壊後、乗組員たちは固い口を開き事故のことを語り始めました。再会したボストリコフとポレーニンは犠牲者の眠る墓地に向かい、彼らの行いは海軍や国のためでなく仲間たちのためだったとして祈りを捧げました。
「K-19」感想・レビュー
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東西冷戦時代、ソ連の威信をかけて出航し、示威的にミサイルを打ち上げることに成功した原子力潜水艦内で、放射能漏れの事故が発生し、艦長以下の乗組員が究極の選択を迫られることになる——-。
おそらく、この映画はハリウッド製娯楽大作映画としては快挙と言えるだろう。
この作品は、放射能という”見えざる恐怖”と真剣に向き合い、その描写から逃げなかった。もちろん、そうすることなしに、この作品は成立し得ない。何しろこれは潜水艦映画などではなく、”密室原発事故映画”なのだ。旧敵国がいかに無茶苦茶なことをやっていたかを描くことで、間接的に”愛国映画”たる枠組みを使って、キャスリン・ビグロー監督は画期的かつ容赦のない描写を実現した。
この映画はその一点においてだけでも賞賛されるべきだろう。そして、この映画で一番うまいのは、実は、この免罪符としての映画の枠組みにあるのではないかと思う。
旧敵国の英雄を描いているようであって、旧敵国の非人間性や無茶苦茶さ加減、お粗末さ加減が際立ってくる。必要なパーツは供給されず、放射能の防護服の替わりに雨合羽しかおかれていない。
こうしたディテールが、物語の直接的な伏線として機能するだけでなく、描かずして冷戦に勝利したアメリカへの賛歌となるあたりは、計算づくでないわけがない。とはいえ、キャスリン・ビグロー監督は、そんな”愛国映画”を撮ることに興味があるわけもなく、これまでの作品でも垣間見せていた本領を発揮して、力強く物語の核心を抉り出していく。
乗組員と新しい艦長との確執や、政治局員たちのキャラクターなどは今一つ描き切れていない。
しかし、それを帳消しにして余りあるほどの迫力と臨場感で、放射能事故の応急措置をめぐる乗組員たちを演出し、名前の知られていない若い俳優たちから素晴らしい演技を引き出していると思う。ただ、惜しむらくは、致命的な欠点が一つある。
ソ連の軍人がロシア語訛りの英語を話すこと自体は、お約束なので何とも思わない。
英語に吹き替えられていると思えばいいのだ。ただ、ソ連の海軍の艦長にハリソン・フォードというのは、いくら何でも違和感を抱かない方がおかしい。
一度はアメリカ大統領まで演じた男が、ロシア人艦長じゃまずいと思うのだ。年輪を重ねてゴリラのようにたるんだ頬が、幾分それらしさを醸し出すのを助けてはいるが、彼が主演する映画をずっと観てきた、一人の映画好きとしては、その顔にアメリカのヒーローを重ねないわけにはいかないのだ。
もちろん、彼を主演に起用することで製作のゴーサインが出た企画かも知れないが、こればかりはいただけないキャスティングであったと思う。
どの時代もどの国でも、まともな奴ほど追いやられるのでしょうか?